(78)若い人ほど 胃の検診を

85万人という数字を聞いて、皆さんは何を想像しますか?

これは、2011年に国内で新たに「がん」と診断された患者さんの人数です。船橋市の人口が約62万人ということですので、実に船橋市の総人口を上回る人たちが、一年の間に「がん」と診断されたわけです。

このうち、胃がんにかかった人が最も多く、次いで大腸がん、肺がんとなっています。男女別にすると、男性は1位から順に、胃がん・前立腺がん・肺がんとなり、女性は乳がん・大腸がん・胃がんとなっています。胃がんは新たに発見されるがんのトップスリーに君臨しているわけです。日本をはじめとする東アジアでは胃がんが多く、その理由の一つとして、ヘリコバクター・ピロリ菌という胃の中にいる細菌が引き起こす慢性胃炎が多いからだと言われています。日本人の約半数は胃にピロリ菌がいるとされていて、胃の粘膜が長い年月炎症にさらされて傷つき続けると、一部の細胞が「がん細胞」に変化します。

胃がんにならないためには、慢性炎症に長期間さらされないことが重要で、胃の粘膜が傷ついてボロボロになってしまう前の段階でピロリ菌を除菌することが胃がんにかかるリスクを減らす上で重要だと考えられています。つまり、もし慢性胃炎があってピロリ菌が原因となっている場合は若い人ほど除菌をする効果が高いと言えるでしょう。「がんは年をとってからかかるもの」とか、「病気のことなんて考えられない」とか思っている若い人ほど慢性胃炎の有無をチェックするべきなのです。

では、ある程度高齢になって、すでに慢性の炎症に長期間さらされてしまった人はどうすればいいのでしょう。胃に発生したがん細胞は、時間とともに大きな塊へと成長し、ある時点で一部のがん細胞が胃から離れて周囲のリンパ節や肝臓・肺など他の臓器へと飛んで行って、それぞれの場所で悪さを始めてしまい、最終的には手がつけられなくなってしまいます。

胃がんは早期に発見できれば、根治を期待することができます。特に早期がんの一部は、お腹を切ることなく、内視鏡でがんを取り除くことで根治が出来ます。早期発見・治療のための定期的な検診が重要ということですね。

セコメディック病院

外科 加納%e3%82%bb%e3%82%b3%e3%83%a1%e3%83%87%e3%82%a3%e3%83%83%e3%82%af%e5%8a%a0%e7%b4%8d%e8%89%af%e5%bd%a6良彦医師

(38)防災対策 -避難経路の確保-

8月30日、岩手県に上陸した台風10号の影響で、北日本では所によって24時間雨量が8月の観測史上最大となるような記録的な大雨となりました。特に北海道と岩手県では、河川の氾濫や浸水、土砂災害等による被害が相次ぎ、岩手県岩泉町の高齢者グループホームでは9人の方がお亡くなりになりました。行政からは「避難準備情報」が発令されていましたが、施設の運営団体の責任者や職員が「避難準備情報」の意味を理解せず、「避難勧告」が出てから入所者を避難させようとしていたため、避難が遅れたのが原因と報道されています。

「避難準備情報」とは、避難に時間がかかる高齢者や障害者などの、いわゆる災害弱者を早めに避難させるために、自治体が避難勧告や避難指示に先だって発令するもの、と定義されています。また「避難勧告」とは、災害対策基本法に基づき、災害発生の恐れのある場合に市町村長が出す避難の勧め。さらに状況が切迫して、災害が発生することが予想され、急を要する場合に、災害対策基本法に基づいて、市町村長が居住者・滞在者などに対して地域外へ立ち退くよう強く求めることを「避難指示」と定義されています。避難準備情報、避難勧告、避難指示、いずれも報道でよく聞かれる言葉ですが、定義をよく理解して行動する必要があるようです。

印西市防災ホームページには、「揺れやすさ」、「液状化」、「洪水・土砂災害」、「内水」の4種類のハザードマップが示されています。印西市の特徴は南北及び東方をそれぞれ利根川、印旛沼とそれをつなぐ水路で囲まれており、さらにそれらに流れ込む数本の河川があることです。これらの流域とその周辺の地域は、揺れや液状化、洪水が起こり易く、結果として印西市は西方を除く3方面をリスクの高い地域で囲まれているようです。また市の中央部は北総線と国道464号線が走っていますが、この2線は掘り込み式であり、それをまたぐ道路は全て架橋となっており、大地震の時の崩壊が懸念されます。避難する際のルートの確保を日頃から考えておく必要もあります。

火災の延焼拡大等や地震、台風、大雨による災害から市民の身の安全を確保するため、印西市防災ホームページには4つの避難場所の指定について記載があります。それぞれ公共施設等を、一時的に避難する「広域避難場所」、避難を必要とする者を一時収容し、保護するための「指定避難所」、災害時要援護者に対する特別な配慮として福祉避難所を事前に定める「特別避難所」、災害時の危険を回避するため、一時的に避難する「一時避難場所」と解説してあり、具体的な場所も明記してありますので、普段からの確認が必要と思われます。

風水害に加えて、首都直下地震に対する防災対策も備えが必要と思われます。首都直下地震とは、関東地方の南部で歴史的に繰り返し発生するマグニチュード7級の地震を指す総称です。今後30年以内に発生する確率は70%と言われ、東海地震(87%)、東南海地震(60%)、南海地震(50%)などとともに緊急な防災対策が必要な巨大地震の一つとして挙げられています。
首都直下地震の推定されるマグニチュードは7・3で、印西市は震度5強~6弱に相当しています。これより震源の近い茨城県南部地震では、推定されるマグニチュード7・3、震度分布は震度6弱~6強に相当します。茨城県南部地震は東京湾北部地震とならんで切迫性が高いと考えられており、2011年3月以降、茨城県南部を震源とする地震は、震度5弱以上6回、震度4以上33回発生しております。小さな地震を繰り返すことでプレートの抵抗が減弱し大きなズレを引き起こすとも言われています。巨大地震を絶えず意識して防災対策に心がけ、避難場所、避難経路の再確認が必要と思われます。

(37)妊娠・出産の包括的支援

先の参議院議員選挙で、ある候補者の応援演説をしていた小泉進次郎衆議院議員の言葉が心に残っています。「皆さん、日本の人口減少は避けられない事実なんです。でも50年後、60年後には日本の人口は1億人で下げ止まります。これも分かっています。人口が減ると経済も小さくなります。私たちは身の丈に合った経済活動を模索しなければならないのです」 他の政治家の方々が老齢人口の増加と出生率の低下を憂い、いかに人口減少を食い止めるかという点に焦点を当てていた点と比べ、インパクトがあり新鮮に感じました。

1960年代から70年代、日本の高度成長期に育った私たちの世代は、日本経済が西欧諸国を抜き去り、アメリカに次ぐ経済大国に発展していった過程を見ています。そして今、中国や韓国を含め、シンガポールを代表とする東南アジア諸国の経済の拡大を見、相対的に下流へ流されている日本の現実を認めたくない気持ちがあります。しかしこの事実を認め、アジアにおける新しい日本の立ち位置を考えることが必要と思いました。

人口減少の原因は、日本の人口ピラミッドにおける高齢化と出生率の減少です。1940年台後半の第一次ベビーブーム世代3,700万人が、一斉に後期高齢者に突入する「2025年問題」に対し国は医療介護総合確保推進法を策定し、「地域的包括ケアシステム」の構築を進めています。一方で、2005年に日本の合計特殊出生率が1.26と最低を記録しました。合計特殊出生率とは、一人の女性が一生に産む子供の平均数を示す指標を言います。近年持ち直して1.42まで改善してきましたが、人口置換水準(人口が増加も減少もしない均衡した状態となる合計特殊出生率)の1.5~1.6には及びません。2015年の日本の年間出生数は100万人の大台を割り込んだと予測されています。そして、2005年前後に生まれた女性達が妊娠適齢期に入る2025年までには、出生率の低下と未婚化・晩婚化との相乗効果で80万人まで低下すると予測されています。小泉進次郎氏の「日本の人口は50~60年後に1億人で下げ止まる」という予測は日本の人口ピラミッドにおける各年齢層の比率、平均寿命、出生率の変化の予測から割り出したものであると思われます。

東京都知事選挙の立候補者であった増田寛也氏が、2014年5月に「消滅可能性都市」を公表しました。低出生率・低出生数と地方から東京圏への若者の移動がこのまま続くと、地方から人口は急減し、約半数の自治体が消滅する可能性があるというのです。一方で厚生労働省の調査による夫婦の「理想子供数」2.42人、「予定子供数」2.07人という数字に対し、「希望出生率」1.8という数字を提唱しています。これには、出産・子育て時の切れ目のない行政サービスなどによる育児支援の充実、すなわち妊娠・出産にかかわる包括的支援の取り組みが必要です。アベノミクス新3本の矢の一つ、「夢をつむぐ子育て支援」でも合計特殊出生率を1.8としています。日本で最も出生率が高い沖縄県の出生率は1.94、OECD諸国の半数が1.8を超えており、実現不可能ではない数値とも言われています。

東洋経済新報社が、全国の都市を対象に公表している「住みよさランキング」で印西市は5年連続1位の評価を得ました。「利便性」、「快適度」、「富裕度」、「住居水準充実度」で高い評価が出ているようです。実際、2015年国勢調査速報で人口約9.2万人、人口増加率5.11%は千葉県内では数少ない人口増加地域です。地域周産期医療に携わっている私たちも、毎年増え続ける患者様の数で実感しています。妊娠・出産の包括的支援をどのように展開するかが今後の私たちの課題と考えます。

みらいウィメンズクリニック

院長  茆原弘光

浅き夢みし

古澤由紀子

〈第1回〉晩年を愉しむ

「月刊千葉ニュータウン」2016.1.16所載

 一昨年八月に夫が逝き、去年の六月に転居をした。

引っ越すといっても、同じマンションのB棟からC棟に移っただけだが、日々窓から眺める景色は変わった。

南と西に窓のある前の家は、西陽が射し込み、西陽よけが必要であったが、そのかわり窓から見える夕空は変化に富み雄大で、西陽の煩わしさを帳消しにして余りがあった。

しばらく同居していた一歳の孫を抱き上げて、とき色の雲や、刻々と沈む太陽を眺めたものだった。

新しい部屋は南と東に窓があるので、夕空の楽しみはなくなった。そのかわり、南の窓からは公園の樹木が広がり、私の好きなヴェランダの花と一体となって私に楽しみを与えてくれる。春は新緑と桜。夏は調整池で水冷された風が、深い緑の梢をそよがせる。秋は一本屹立した銀杏に光が映え、落葉する様は神々しい。そして冬の樹々は葉を落として、すっくと天に向かって、素直に、ひたむきに、決然と、誰に己を訴えるでもなく伸びている。

夫の死を契機に、住環境を含む私の総ての生活が変わった。その中で顕著なのは、己の死に到る迄の時間を明確に意識する様になった点だ。一寸の光陰軽んずべからずという、わかり切っていそうな真実が、はたと身につきつけられ、具体性を帯びて私に迫ってきたのだ。

「学成り難し」に関して言えば、残念ながら学成る様な生き方をしてこなかった私だが、自己の内で立てた人生の目標の様なものはあったのだ。志学の頃から、私は人間とは、世界(自然)とは何ぞやとの思いを抱きながら生きてきた。それを識りたい。その為には、自己の生を客体化すると同時に、自分は主体的に生きるという相矛盾する立場を引き受けることになるが、私はできうる限りその立場に即して冷徹に生きてきた。唯素直に生かされていればよかったのかもしれないが、私は、自己の生とそれを囲む世界を捕えようと構えて生きてきた。

そんな私という主体に、温かみと楽しさを与えたのは夫であった。夫の存在は、私の人生の起承転結の中心に重く関わっている。私はこれから、与えられた残りの時間で、自己の人生の目標を、腑に落ちる形で完成させたい。人生の中で拘束される条件の最も少ないこの時期を私に残して、今ごろ夫は、そう構えずに楽しみなさいよと言っているだろう。私もそろそろ従心を迎える。人生の大団円にあたって、静かに自分の立てた目標の結果を見極めたいと考えている。

(2)台湾総統選挙に想ふ

「月刊千葉ニュータウン」2016.2.13所載

 一月十六日に台湾総統選挙・立法院選挙が行われた。

約三十年前に知遇を得た台湾の知人より、それ以来台湾情勢を聞いていたので、独立志向の強い民進党が中華人民共和国寄りの国民党を破って勝利したことは、私にとっても感慨深いものがあった。

民進党は陳水扁氏によって二〇〇〇年に初めて政権を取ったが、その後は再び馬英九氏が国民党政権を取り戻した。中華人民共和国の経済、軍事、対外的影響力が増強するに従って、国民党は中華人民共和国が強く望む「一つの中国」(一九九二年合意)に傾倒し、特に経済的依存度を高めてきた。

そのさなかでの民進党の勝利は、台湾の国民が国家に何を求めているのかという明確な意思表示をしたことになる。特に今回は若者の政治参加がめざましい。民進党を応援した若者の中には、国民党を支持する家庭の姉弟が多数いたと言われている。民進党と国民党は政策の違いはもちろんあるが、表面の政策の違いでは済まされない事情もある。

元々台湾にいた本省人が支援する民進党と、毛沢東との内戦に敗れ、蒋介石とともに大陸から台湾に渡ってきた外省人が打ち立てた国民党との間には、外省人による本省人への圧政、国民党の一党独裁という歴史がある。そのような対立関係を崩して民進党が選ばれたということは、民主制、自由主義経済、独立という国の在り方を、台湾の人々が民進党に託したということである。

しかし、今の中華人民共和国を見る限り、台湾は今後厳しい政治選択を迫られるに違いない。国民党の圧制下にあった時、一度は同じ日本人であった台湾の人々は日本に支援を求め続けた。結果として日本は何もしなかった。しなかった、できなかった諸事情も皆無ではないだろう。だがそんな日本を見限って台湾は自力で発展を遂げ、自由な政治風土を築き上げてきた。

今後の世界情勢を考えてみると、アメリカの覇権が絶対ではなくなってきた分、世界の胎動が激しさを増している。何が生まれ何が壊れても不思議ではないダイナミックなカオスの時代に、日本はどの様な政治的スタンスをとっていくのだろうか。

日本は法治国家として、民主制を執る国として、多くの課題を抱えている。憲法に関わることであり、安全保障の問題であり、急を要するものばかりだ。台湾やチベットのことと違い、自らの国の問題だ。知らぬ振りを決め込むことはできない。

法律を作るのは立法府だ。しかし法律は国民の価値観に裏付けられたものでなければならない。国民が国家に何を託し、自ら何を担うのか。国民の信義のあり方と腹構えが日本の将来を決める。

(3)台湾人から観た 日本の台湾統治

「月刊千葉ニュータウン」2016.3.12所載

 台湾の人は親日家が多い。それは今の日本人が作った関係かというと、そうではない。台湾人が日本人であった頃にできた関係だ。

当時の日本の植民地政策が、台湾の人々にとって決して悪いことばかりではなかったからだ。教科書や大新聞の論調は、植民地政策の否定的な側面をデフォルメしがちであるが、実際は台湾にとって利するところが多かったのだと台湾人自らが語っている。台湾人である知人のK氏は、第四回日経アジア賞を受賞した際にも、記念講演会の中で日本の台湾統治について述べている。欧米の植民地政策は自国の利益追求であるのに対して、日本は自国の負担をかえりみず莫大な財政出動をし、それによって台湾人の生活はそれ以前に比べてめざましく向上したと。K氏の言葉を借りると「日本程良心的な植民地政策を採った国はありませんよ」ということになるのだ。

具体的に挙げると、

一 教育の普及(普通は被統治者を統治者に盲従させる為に教育を施さないが、日本は施設を整え、一流の教師を日本から呼びよせた)
二 病院の建設(誰もが等しく医療を受けられた。予防接種、回虫駆除の制度もあった)
三 上水道、下水道(東京にもない)の整備
四 治水による農業振興(鳥山頭ダムの建設)
五 産業振興(道路の敷設、日月潭発電所建設、新渡戸稲造による製糖技術の導入等)

その他にも、その功績を慕い廟を建て現在に到っても祀られている警察官森川清次郎の話や、生徒の尊厳を気遣いながら貧しい子供の面倒をみた教師、戦後の物資不足の中での日本人の矜持、「夜不閉戸」の治安の良さ等々、台湾に渡った日本人の人品卑しからぬ事を示す逸話も数多く残っている。親日の情は、こうして培われたものであることがわかる。

もちろん植民地政策である限り、総て良いとはK氏も私も考えてはいない。K氏の「台湾の歴史」と題する文の中で、生意気な役人や、台湾人に対する優越感を示す日本人が出てくる。しかしすぐそのあとには、使命感の強い教師や、横暴であっても節度のある役人の記述が続くのである。

そしてK氏は言う。「古澤さん、今の日本人は戦前の同胞を悪し様に言うけれど、昔の日本人の方がずっと立派でしたよ」と。二つの大戦当時、領土拡大は先進国の国是のようなものであったから、当時の植民地支配自体を全否定するとなれば、今まで書いたことは全くの無駄となる。しかし植民地支配であっても、その内容は欧米と異なっていて、その異なった所にこそ日本らしさがあるとすれば、それは歴史として後世の人々に伝えておくのが公平というものであろう。将来日本の歴史を背負う者達に、できる限り偏りのないものを残すことは、今を生きる者の責務である。

(4)白井の春

「月刊千葉ニュータウン」2016.4.9所載

 暖かなある日、木蓮のビロードのような芽に気づく。そろそろ花が開くと思う頃。辛夷、レンギョウ、ユキヤナギも次々と咲き揃い、そして最後に桜の花が、期待を裏切るまいとばかりに開花する。

花曇りの桜、晴天の青にふちどられ静かに花開く桜、雨の下の桜・・・・。

「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは」とはいうものの、青い空の下、陽光を受けて白く咲く満開の桜はことのほか優美だ。しかも一輪一輪よく見ると、決して咲き誇るという風情ではなく、むしろ謙虚ですらある。

「花は桜木、人は武士」と言って、散り際の良さが評価されたけれど、散り際のみならず、世俗を離れた無心な風情で超然と咲いている姿に、私は心惹かれる。

しかし最近の桜の木は、側を通る人の都合を考えて枝を払ったものが多い。桜は梅と違って、枝は切らぬ方が良いと言われている。枝を払った桜は、一件桜かどうかわからない。風情が損なわれ興醒めだ。とは言え、今は何につけても人間の利便が最優先の傾向にあるから、自分の敷地ならいざ知らず、公道に植えられた桜の木に関しては贅沢は言えない。

その点、東京は小金井公園の桜は、人間の都合に合わせて剪定されることがないとみえて、豊かに花の付いた枝がたわわに垂れ、見応えがある。

桜は花が終わった後も品がよい。木蓮は枯れ始めると白い花弁が茶色くなり、地上に落ちた花はなかなか朽ちずに無残な姿を晒し続けるが、桜の花はさらさらといつの間にか砂のようになって漸次消えてしまう。

さて、花が終わるのを待たずに、落葉していた樹々が芽吹き始める。

夏にはみごと一律に深緑になる葉の色だが、春には微妙に色合いの異なる若い芽が萌えいで、織りなす緑のグラデーションは花の美しさに優るとも劣らない。

そのような季春の一日、五歳の孫と散策する。藪から鶯の啼き声が聞こえ、道路沿いに植えられた低めの生け垣の中を、目白が群れをなして飛び渡る。以前は調整池に棲んでいたカワセミは姿がみえなくなった。孫は池で甲羅干しをしている亀の数を数えたり、鳥の名を訊いたり、野の花をつんだりと無心に春を楽しんでいる。

タンポポ、菫も咲き出した。ハコベもしっかり根を張って、仏の座、カラスのエンドウとともに健在だ。青い小花が美しいオオイヌのフグリも群れ咲いて、雑草と言われている植物の強靱で伸びやかな姿に魅了される。

孫が摘んだ野の花は、家に帰って自分で小瓶に生け、棚に飾った。清楚なかわいい生花を見て、孫の母である私の娘は言った。

「白井はきれいネェ。それに便利だし」

二十数年前、不便な白井と嘆いていた娘。私は思わず、クスリと笑ってしまったのだった。

(5)子どもと過ごす時間

「月刊千葉ニュータウン」2016.5.14所載

 夫と結婚する時「子供が成長するまでは家庭に居てほしい」と言われた。夫が望んだからというだけではなく、私自身も子供の側に居て育てたいと思っていたので、私はすんなり「主婦」となり、娘が中学二年になる迄母親として落ち着いた時間の中で過ごすことができた。その後社会に出て二十五年間程仕事をし、そして今また家庭に戻ってきた。

するとちょうど五歳になる子供を育てている最中の長男と長女は、最初は遠慮がちに、そして次第に気軽に孫を祖母である私に委ねるようになってきた。自分の子供を育てている時は、若くもあり、経験も浅く、親という負担も加わり、真面目な面が勝って、育児を楽しむという余裕がなかった。

しかし今は自分の子供を通して得た経験と、支援学校での生徒との体験を経て、私は子供がとても好きで、自分が子供に対して柔軟になったという実感を持っている。

「遊びやせんとや生まれけむ」の通り、子供にとっては遊びが生活そのものだ。体を動かすこと自体が楽しいし、料理の手伝いは、自分ができることを増やすための挑戦でもあり感触遊びでもある。

危険を回避する態勢を整えてから作業をさせると、実に生き生きと嬉しそうだ。二歳前の孫が卵をわり、三歳になれば小麦粉をふるいにかけて、パンケーキの素をフライパンに流し入れる。

とても手伝いどころではないが、一緒にうさぎやくまの形をつくって焼けば、大喜びで食も進む。自己の目標値を少し上げて、それができた時の達成感は、子供にとって何ものにも替え難い体験だ。

とはいえかくれんぼ、積木、タングラムと延々と続く遊びに大人は息を切らす時がある。しかしとことんつきあい大人が子供と心から楽しむと、子供の心は充足し、次には大人の事情にも理解を示す余裕を持てるようになるものである。

親は子に対して負うものが多いため、時として近視眼的になることがある。そしてその必死さが子を育てるという側面もある。だがそればかり続くと親子ともに疲れてしまうから、時にはかくれんぼで眠ってしまった良寛様の心境に近い祖父母との時間があってもよいのだろう。

そして遊びながらふと考える。子供が親と居る時間はそう長くはないと。孫と過ごす時間はそれに増して短い。子供たちには親として伝えておくことは、おおよそ伝えられたように思える。あとは自分の判断と選択だ。では孫には残りの時間で何を残していこう。これからの激動を予感させる時代の到来に、伝え残すことは何であろう。市井のささやかな幸せを守るための規範や知恵が、ものの役に立たぬ自体とて皆無ではないかもしれぬ。

私の書棚を見て孫が言った。「アーちゃんこのご本全部読むね」と。

この沢山の本を読んで、せめて何か?みとる迄、激しい変動のなき事を祈った。

(6)日本の戦後とオバマ大統領広島訪問

「月刊千葉ニュータウン」2016.6.11所載

 平成二十八年五月二十七日、米大統領オバマ氏が広島の地を訪れた。アメリカ国内でも賛否両論ある中での訪問であった。原爆投下に対してせめて謝罪の言葉をと期待していた日本人も少なくなかったが、謝罪はしないと来る前から言われていた。

平和記念公園に着くのは四時頃という行程であったので、各テレビ局は昼ごろから警備の様子や沿道に待つ市民の様を映し出し、市民にインタビューする等「歴史に刻まれる日」の演出、報道に余念がなかった。

オバマ大統領の広島訪問に対する期待が膨らむ中で、市民からもテレビのコメンテーターからも平和記念公園に来る事そのものが謝罪に替わるものであり、訪問に感謝するといった言葉が聞かれた。

私は日本人の人の好さと、争い事の嫌いな性向を再認識しながらテレビを観ていた。中韓に責められれば、していないことにさえ謝り、原爆投下に関しては、大統領の広島訪問という事だけで、わだかまりを昇華させる。市民はよしとしても、政治家や報道人のまとめ方は、これ程単純でよいのかと考えてしまったのだった。

インタビューに応じた市民の一人が次のような発言をした。「もうどこかでくぎりをつけたいですからね。オバマ大統領を見に来ました」と。この発言は理解できた。善いことがあっても、不幸なことがあっても、人はひとくぎりつけようと心の枷をはずしながら、片付けながら前に進む。憎むことも憎まれることも恐ろしい記憶も悔恨の情も、どこかで解放され前に進みたいというのが人情かもしれない。日本では「水に流す」という言葉がある。葛藤から脱け出す清々しい表現だ。

そうこうしているうちに大統領は到着し、一連の行動がテレビで報道された。オバマ氏の誠実そうな表情と、ストイックな体型が望遠で映しだされ、スピーチが始まる。第一声「七十一年前の快晴の朝、空から死が降ってきて・・・・」を聴いた時、美しすぎる表現と、主体を意図的に曖昧にしたことに反発を覚えた。

しかし十七分に及ぶスピーチ全てを聴き終わった時、大統領の心情、真意は素直に受けとってもよいと思った。世界に於ける矛盾の存在とその超克を語り、広島と長崎を「我々の道義的な目覚めの始まり」と位置づけた。

みごとな総論だ。が、現実政治という側面からみれば矛盾と限界とそれゆえ困難が残る。だが、権力ある米大統領の言動だ。意義を認めてもよいのだろう。しかし、日本は国家自らの問題として、まだ戦後を終結することができない。私は、戦後とは①敗戦からの復興と国の将来の設計②後世に繋ぐ歴史を整えること、この作業を行う時間だと考えている。国家は個人と異なり「水に流す」わけにはいかない。大統領が述べた「懸命に努力するための理想」「全ての人に不可欠の価値」に近づく為にも、日本の価値観を反映した憲法制定と近現代史の整理を行うべきである。それができてはじめて、日本は独立した国家として戦後から訣別できるのだ。

(7)ほどほど 塩梅・按配 好い加減

「月刊千葉ニュータウン」2016.7.9所載

 今年も梅雨に入った。ここ数年の傾向として、梅雨の様子が違ってきている。従来の穏やかで延々と続く、やり切れなくなるような梅雨ではなく、局地的な豪雨や、空梅雨の後の豪雨の様相を呈してきている。梅雨は国土を潤す慈雨であったものが、いまや豪雨の後には必ずと言ってよい程の水害をもたらす。それも今年は、すでに地震や津波、水害に見舞われ復興に至っていない東北、熊本、広島に豪雨が集中し、何とも気の毒としか言いようがない。転じて社会現象を見ても、他者に対する攻撃姿勢が強く感じられて、来る日も来る日もその状況がエスカレートされ、見るに、聞くに堪えなくなる。

私はインターネットで情報を取り入れることがない全くの文字中心の人間であるから、新聞、テレビと雑誌、書籍による情報に接しているだけであるが、聞くところによるとインターネット情報の過激さは社会問題となりつつあるようだ。

日頃から私は人間の能力を過大評価してはいないから、研究と称して飽くなき追及をしていく今の社会の風潮に大いなる懐疑を抱いている。特に人間が制御不能であることに関しては、研究そのものがもっと慎重であるべきだと思っている。今技術が可能であるからと言ってそのまま進んでいった先に、制御不能な事態が出現した時、いったい人間はどうやってその状況を治めていくのだろうかと懸念が膨らむばかりである。原子力然り、先進生化学しかり、そして人工知能情報等である。この様な思いを抱きながら、日常の下世話なことにも想いを馳せる。この数か月ニュースやワイドショーに供される話題は尽きることがなかった。

それら社会事象から浮かび上がってくるのは、今や日本は自己の主張の正当性を信じて疑わない人の何と多くなったことか、ということである。今自分が主張している考えの前提にはこのような判断があって、それはこう裏付けられて・・・という掘り下げがあってしかるべきであるが、目前の事象のみから得られる判断と主張が目立つ。もっともな理由を言っている裏に、相手への思いやりや、自分の不便を承知で相手に譲ろうという気遣いは見られない。総ての人があらゆる事に十全に満たされる世の中は存在し得ない。どこかで譲って、何かを我慢して、それでも大きな災害や事件、飢餓や戦争がなく、日々ささやかな幸せがあれば幸福なのだという認識が現在の人々には(多くの人の傾向として)ないのだろうか。

日本には昔から「ほどほど」という言葉がある。「好い加減」「塩梅・按配」という言葉もある。「好い程合い」「徹底せぬ事」「ほどよく処分すること」という意味だ。

どうも最近、物事は徹底すれば理想に近づくと考えている人士が多くなったのか、ある程度のところで治めるという対処法が下位に見られがちだ。しかしそうだろうか。世の事相は複雑だ。今一度この価値を見直してもよいのではないかと思うこのごろである。

(8)生徒達が教えてくれたこと

「月刊千葉ニュータウン」2016.8.13所載

 七月二十七日、テレビのニュースを見ていた時である。衝撃的な事件の発生を知る。画面を追いながら慄然とした。相模原市の知的障害者福祉施設で二十六日未明、元職員による殺傷事件があり、多数の死者、重軽傷者がでたというニュースであった。

私は四十歳から約十年間、養護学校(支援学校)で教師をしていた。主に高等部の生徒を教えたが、教えるという行為以上に濃密な時間を過ごしたという感覚が、今も残っている。

一体何が容疑者をして事件を起こすまでの心境に至らしめたのか、今の段階ではわからないが、少なくとも今わかっている容疑者の発言については、否、否と声をあげたい思いで一杯である。特に「意思疎通ができなければ動物です」という言葉に、あの施設で暮らしていて殺傷に遇った人達の無念を想うとやりきれなくなる。

障害を持つ人がどのような困難の中で意思を伝えようとしているのか、接する機会のない人にはよくわからないかもしれない。私が担任となった生徒の中には、就職の指導を受け、現場実習に行き、職を得て社会に出て行く青年や少女もいれば、肢体にも知的にも重いハンディを負った若者達もいた。寝たきりで自分で体位を変えることもできず、生活のあらゆる場面で介助が必要な少女。視力聴力共に弱く、その上全身の脱力が著しい為、いつも眠っている様な状態にある生徒。筋力異常で発声さえうまくできない少年。聞いて理解することはできても、自分の思うところを言葉にできない子ども。

当時はコンピューターを使って障害を軽減する研究も進んでいなかったから、一人一人全て状態の異なる障害を持つ生徒とのコミュニケーションをとるために、指のかすかな動き、まぶたの開閉、うなずき、発声(単音の)等々、各々の意思表示のツールとして使える所や方法を探すことは必須であった。しかし必死な〝時〟を重ねて、双方の心と体がなじんでくると、どこといわず、存在全体からわかってくるのが不思議でもあり嬉しいことでもあった。学期初めから一週間程して、いつも目をつぶっていた子が、弱い視力ながら見えているのがわかり、声を出し、笑顔を浮かべて内なる意思を伝えはじめる。修学旅行の清水寺参詣で、車椅子から引いたおみくじが、大吉だった時の少女の笑い声と顔つき。小二の少年は運動の得意な活発で素直な、そして本好きな生徒。だが彼は言葉を話すことができなかった。成長するにつれて、複雑な要求や説明をしたいのに、言葉が出ないもどかしさ。耐えかねて号泣した。忘れることのできぬことばかりである。

趣くままに綴れば十年の想いは尽きない。私は障害を持つ子供達と過ごして、「人は誰もが認められたいのだ」という、私にとっての真実を掴んだと思っている。そこを原点とした時、難しい意思の発受信も、きっと糸口がみつかると考えている。

ラーバン生活宣言(1)

林 檸檬

(1)千葉ニュータウンに越してきました

「月刊千葉ニュータウン」2008.6.14所載

 はじめまして。このたび千葉ニュータウンに引っ越してきました、1児の母です。

縁あって、本紙に千葉ニュータウンでの生活について、その始まりから現在進行形で綴っていくことになりました。どうぞこれからよろしくお願いいたします。

私は現在、夫と1歳半の長男との3人で暮らしています。出産とほぼ同時に仕事を辞めてしまったので、今は専業主婦。夫は都心の会社に通っているサラリーマンです。

これまでは都心にとても近いところの賃貸マンションに住んでいたのですが、息子が生まれ、荷物が少しずつ増え、家が手狭になってきて、もっと広いところでのびのびと生活したいなという思いが強くなり、いろいろ探した結果、この千葉ニュータウンに住むことになりました。

とはいえ、千葉ニュータウンにたどり着くまで、長い道のりでした。

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ベビーカーで快適散歩

私たち夫婦は都心の便利な生活に慣れていたため、最初は当然今まで住んでいた家の近くでマンションを探し始めたのです。が、今は都心のマンションは驚くほど価格が高くなっているのですね。私たちが住んでいた地域も、ミニバブルといっていい状態で、調べれば調べるほどそれほど甘くはない現実を知り、私たちのマンション探しは、自然に少しずつ都心から郊外へと向かっていったのです。

そして価格と、都心へのアクセスの良さ、マンションの広さなどのバランスをあれこれ考え、東京近郊の町のモデルルームをいくつも周り、そのうち中古マンションもいくつか周りましたが、私たちが欲しいというような環境を備えたマンションには出会えずにいたのです。

途中である程度妥協して、そこそこのマンションで満足するべきか、なんていう考えも頭をよぎったのですが、そんな時夫がネットで千葉ニュータウンのことを調べてきて、ぜひともここのマンションを見に行こうということになったのです。

実は私、この時はあまり乗り気ではありませんでした。おそろしく運賃の高い北総線のことはうっすらと知っていたので、千葉ニュータウンというと心理的に都心からかなり離れたところというイメージがあったからです。

でも一応見るだけ見てみるかと重い腰を上げ、夫、息子とともに休日に観光がてら目当ての物件に向かったところ、千葉ニュータウンの町の環境にすっかり感激してしまいました。おまけに見に行ったマンションの条件が私たちの条件にほぼ完璧に合ったということもあり、その日のうちにマンション購入を決めてしまったのです!!

都心から同じような距離の町をいくつか見に行きましたが、これだけ環境が整ったところは初めてでした。しかもそれらの町とくらべ、値段もかなりお手ごろ。

何より気に入ったのは、駅を中心として町がきれいに整備され、子連れでも安心して歩けることや緑多い公園が多いことです。それに少し行けばまだまだ美しい自然がたくさん残っていて、都心から1時間弱でこのような環境の町があるとは思ってもみなかったので、本当に嬉しい発見でした。

これらは実際この町に来て見なければわからないことなので、夫に誘われてきてみて本当に良かったと思っています。まさに百聞は一見に如かずですね。

駅前にはお店が何でも揃っていて便利そうだし、きれいに整備された町並み、それに美しい自然があり、都心とはまた違う楽しみがあるであろう、これからの生活が楽しみで、今からワクワクしています。

今は私たちと同じような条件でマンション購入を検討している家族に、ここの町のことを教えたくてしかたない気分です。

今一番の楽しみは、自分のマンションのテラスにテーブルと椅子を出し、そこから近くの緑を見ながらコーヒーブレイクをすることです。

とにかくこれから始まる新生活を考え、ウキウキしている私です。

ニュータウンの皆様、よろしくお願いします。

(2)市長さんとお会いしました

「月刊千葉ニュータウン」2008.7.12所載

 6月初旬にこの千葉ニュータウンに引っ越してきて、約1ヶ月経ちます。まだまだ引越後の整理やら新しい生活への対応、切り替えやら、てんてこ舞いの毎日です。いったいいつになったら、穏やかな日常生活に戻れるのかといった感じです。

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明るくパワフルな市長さん

それでも少しずつですがニュータウンの町を楽しむ余裕も出てきて、時々近所を中心に散歩しては新たな町並みのきれいさなどを発見して、喜んだりしています。やっぱりきれいに整えられた町に住むのはいいもんですね。毎日が快適です。

前回の記事が印西市長さんのお目にとまり、お陰で市長さんにお会いすることになりました。会うまではちょっと緊張していたのですが、実際にお会いしてみると笑顔が素敵で私などとも気楽に話してくれる温かい感じの方でした。そして全身からパワフルなオーラというか雰囲気が漂っていて、それがとても印象的でした。

印西市に引っ越しての感想などをお話したのですが、その会話の節々から、市長さんは常に市の発展というか市を少しでも良くしたいと考えているものなんだな、ということを感じました。なかなか会って話をする機会なんて持てないので、今回はお会いして話を聞くことができて、本当に幸運でした。市長さん、お忙しい中本当にありがとうございました。

印西市役所に行くのも今回初めてでした。

ニュータウンから印西市役所に至る道のりが新参者の私にとってはけっこう楽しかったのです。あれが里山というのでしょうか。田園地域のところどころに、こんもりとした緑の濃い森というか林があったりして、まるで『となりのトトロ』に出てくる風景みたいで、思わず「あっ!トトロの森だ!」と言ってしまいそうでした。そういえば何年か前、那須高原に旅行に行ったときも同じような風景に触れ、その懐かしいような美しさに感動したのを思い出しました。家のすぐ近くのはずなのに、まるでちょっと旅行に来たような錯覚を覚え、旅行好きな私としては得した気分になりました。

ちなみに市役所の脇にも、立派な森があるんですね。市役所の窓から見えるうっそうとした緑の美しさに「ここはいったいどこだ?」と思ってしまいました。目が洗われるような気がするほどの濃い緑でした。千葉ニュータウンは、便利な町でありながら、ちょっと足を伸ばせば豊かな自然に触れられるというのが大きな特徴だと思いますが、その一面を見たという感じです。まさにラーバンという言葉を体験したみたいです。

それにしても、印西市は色々な顔を持っているのですね。私が知っている印西市は、千葉ニュータウン中央駅の周辺とジョイフルホンダあたりくらいでした。だから市役所の周りの町並みといい、ニュータウンから印西市役所に行くまでのその里山のような地域といい、私が知っている印西市とはまったく違う顔なので、印西市はなんて奥が深いんだろうとあらためて思いました。

考えてみれば、私は印西市のニュータウンのある意味特殊な部分しか知らず、そこに住んでいるとそれが印西市の姿かと思ってしまいがちですが、ニュータウン以外の地域が本来の印西の町なんでしょうね。今度はJR成田線のほうとか、ニュータウンではない地域にもどんどん行ってみたいと思います。

とにかく、色々な顔を持っているということは何であっても味があって面白いものだと思います。だから、これから印西市の色々なところを少しずつ見ていこうとまたワクワクしてきました。ただ私達家族は車を持っていないので、文字通り自分たちの足であちこちを周ることになりそうです。時間がかかりそうですが、そのほうがその地域のことはよくわかると思いますので、少しずつ印西市、それに千葉ニュータウンのあらたな面を発見していきたいと思います。

(3)便利な街って何だろう

「月刊千葉ニュータウン」2008.8.9所載

 6月初旬にこの千葉ニュータウンに引っ越してきてから、約2ヶ月経ちました。引越しのばたばたもあり、あっという間の2ヶ月といった感じです。でも徐々にここでの生活にも慣れてきて、新しい町での生活リズムもできあがってきたような気もします。

ところでこれまで私達家族は、都心近くの賃貸マンションに住んでいました。が、1歳を越えどんどん活発になっていく息子を、もっとのびのびと環境のいいところで育てたいと思い、ニュータウンを選んだ次第です。

この町に住もうと決めた最大の理由は、なんてったって環境の素晴らしさです。駅周辺の町がきれいに整備されていること。歩道は広いし、街路樹の緑も豊か。それによくありがちな駅前の雑多で猥雑な雰囲気がない。

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立派な野菜たち

かといって、お店もほとんどない閑散とした不便な町ではありません。とりあえず子持ちで車なしの私でも、便利に生活できそうな店揃えです。美しい町並みに加え、便利な都市機能、ここまで揃った街はなかなかないのではないかと私たちには思われたのです。

これまで自分たちが住んでいた都内は、地下鉄も何本も走っているし、都心の繁華街もすぐだったので、こんな便利なところはないと思い、ここに引っ越すことを決めるまでは、ずっと離れたくないと思っていました。

しかし、それはある意味私の思い込みの部分も多かった。なぜならその私の“便利”という言葉の意味は、長年独身生活を楽しんできた独身の頃の私の“便利”さであり、1歳の息子の母親となった今の私の“便利”とはかなり違っていたのです。

それは独身だった私が、飲みに行ったり遊びに行ったりするには“超便利”な場所であり、やれ「六本木ヒルズができた!」とか、「丸ビルがオープンした!」などというときに、「それっ!!」とばかり、おしゃれな雰囲気の場所を楽しめたあのときに“便利”な住居だったのでした。

その証拠に、今までの家は都心なので近くにスーパーや大型量販店などはなく、ベビーカーでけっこう遠くまで歩いて色々買い物に行かなければならず(なにせ車なしの生活なので)、そうなると子持ちにとっては意外に不便だったりしたのです。おまけに物価も高い。

それに車の交通量が多く危ないのはもちろん、排気ガスで空気も明らかに汚いので、ベビーカーで安心して散歩ができない等々、小さな子どもを育てるにあたっては、あまり環境がよろしくないのではないかということに、遅まきながらやっと気づいたのです。
なんとも自分中心の母親でした。

しかも、気づいたら子どもが生まれてからは、せっかく近くにあるおしゃれな繁華街などにもとんと出かけていませんでした。子どもはおしゃれなレストランになど入ってもじっとしていられるわけがなく、泣き叫んだりしたら慌ててお店を出たりする羽目になるので、自然とおしゃれな地域から足が遠のいていました。

こうしてだんだんこれまで住んでいた都心の便利さの恩恵にあずかっていないことに気づき、それならいっそ環境のいいところに移り、子どもをのびのびと育てようということになり、ここ千葉ニュータウンで新生活のスタートをきることになったのです。

そして実際2ヶ月ばかりこの町で生活してみて、やはり小さな子どもを持つ専業主婦の母親にとっては、都心よりもこの町のほうが便利かもしれないと思う私。我ながら驚くほどの変化です。

おしゃれなお店やグルメのお店はないけど、生活必需品は駅の周辺で大体揃い、しかも都心より物価は安い。野菜なんて東京にくらべだいぶ安く、しかも地元千葉産の質の良い野菜が多いので、これだけでも嬉しいことでした。それに加え、ここでは道のところどころに野菜の無人販売もあるのですね!これはスーパーの野菜よりもさらに安く、しかも驚くほど立派な野菜がごろごろ入っていたりします。これは主婦にとってはとても嬉しく、ありがたいことですね。頻繁に利用させてもらっています。

というわけで、私たちの目論見通り、いや予想以上にここでの生活は満足度の高いものとなっています。ついでに私たち家族は、せっかく環境のいいところに引っ越してきたのだから「千葉ニュータウンで、健康的な生活を楽しもう!」ということで、早寝早起き生活を実践中です。

独身の頃の不規則で夜型だった都心型生活を考えると、本当に人間変われば変わるものだなと思う私です。

(4)夏の思い出

「月刊千葉ニュータウン」2008.9.13所載

 私達家族にとって千葉ニュータウンで過ごす初めての夏です。今までの生活とは違った夏を味わおうと思い、けっこう積極的に色々楽しんだ夏になりました。

中でも特に思い出に残っているのは、7月26日に行われた阿夫利神社のお祭りです。私たちはこの神社のことは事前に何も知らず、お祭りが行われるという当日、家で地図を調べ頭の中に叩き込み、歩いて神社に向かいました。

お祭りが最高潮を迎えるのは午後8時過ぎと聞いていたので、家を出たのは7時過ぎ、あたりはもう暗くなっている時間でした。初めての道、それも暗い夜道を歩いていくのはけっこう不安で、それほど複雑な道ではなかったのですが、「この道でいいのかな~」なんて何度も思いながら歩きました。

道路沿いに大きな石の鳥居が見え、2~3人のお祭りの世話人と思われる方たちがいるところまで来たときは、「やっと着いた」とホッとしたものです。でもそのホッとしたのも束の間、神社への道は実はここからが本番みたいなものでした。

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お祭りの楽しみ

それまで人通りや車通りが少ないものの、街灯のある普通の道だったのが、大鳥居から先は、神社の参道というのか、ほとんど街灯というものがなく、うっそうと茂る森の中の道をこわごわ歩いていくという感じで、本当に怖かったです。お祭りのために設置されたと思われる小さな豆電球が、頼りなげに頭の上にところどころちらちらしているだけの、真っ暗な道だったのです。

おまけにお祭りだというのに、人もほとんど歩いていない。本当に今夜お祭りがこの先で行われているのか、何度も疑いたくなるほどでした。唯一の救いは、こんな真っ暗な何もなさそうな道には不似合いなくらい、何台もの車が私達を追い越していくことで、車もまったく通らなかったら途中で引き返していたかもしれません。

やっと神社に着いたとき、真っ暗な森の木々の中に明るい光とお囃子の音が聞こえてきたときは、心底ホッとしました。

「やっと着いた~!」と地獄から戻ってきたみたいに喜ぶ私たちの目に飛び込んできた阿夫利神社のお祭りの様子は、まさに幻想的な光景でした。真っ暗な森の中にぼんやりと浮かぶ明るくにぎやかな部分が、なんというか、まるで狐の嫁入りを目にしてしまったような、見てはいけないものを見てしまったような不思議な非日常の光景だったのです。それほど周囲の暗闇が濃かったということなんでしょうね。
このような人里離れた場所で行われるお祭りというのは初めての経験でした。私の田舎でもお祭りはいくつもありましたが、どれも煌々とした街中で行われるものなので、こんなに非日常を感じることはありません。そういった意味では、本当に貴重な体験で、ぜひともこの環境でのお祭りを残していってほしいと思いました。

神社自体はとてもこじんまりしているのですが、小さいながらも賑やかで夏祭りらしく、とても楽しかったです。息子が小さいので、最後のお御輿を全部堪能することは出来ませんでしたが、運良く帰りがけに坂道でお御輿と遭遇し、しかも間近で打ち上げ花火も見られたので大満足で帰ることができました。ただ、お御輿を担いで盛り上がっている人たちのそばで、どうしても私達はよそ者という感をぬぐいきれませんでしたが。

そして8月23、24日は、ニュータウンでの夏祭りもありましたね。大塚前公園で行われたお祭り、これももちろん楽しませてもらいました。先ほどの阿夫利神社のお祭りとは正反対のお祭りでしたが、これはこれで楽しめるし、これから先息子が成長するにつれ、色々な形で参加できるのではないかと楽しみにもなりました。最後はあいにく雨降りの中での打ち上げ花火でしたが、初めての夏のいい思い出となりました。

このニュータウンでのお祭りの前後は雨降りの涼しい日が続いたせいか、このお祭りを機に私の夏が終わってしまったような気がします。これからまた暑い日がぶり返すのかもしれませんが、なんとなく気分の上では秋が始まりつつある今日この頃です。

(5)夏の終わり

「月刊千葉ニュータウン」2008.10.11所載

 もうすっかり秋になってしまいましたね。よく晴れて陽射しが強い日でも、真夏の陽射しとは違って、やわらかく心地良い秋の日差しになってきました。ところで私は、今年ほど秋を待ち遠しく思ったことはないのではないかというほど、今年の夏は暑さがきつかったです。エネルギーをもてあました1歳の息子を、毎日外で遊ばせなくてはならなかったので、よけいに暑さを感じたのかもしれません。

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風通しのいい町

そんな暑い夏でしたが、この町に引っ越してきたお陰で、東京での夏よりは快適に過ごせたと思います。何よりこの町は、風通しがとても良いですよね。日中は暑くても、夕方には爽やかな風が吹いていることが多く、そんな風を感じるだけで「あ~、幸せだな」って思えました。

この土地自体、風がよく吹く土地なのかもしれませんが、風を気持ちよく感じるのはそれだけではなく、町のつくり自体にも理由があるような気がしました。人口密度があまり高くないためか、町のつくりに余分なスペースがたくさんあり、そのため街中を風が爽やかに通り抜けていくような気がしました。東京では、ビルまたビルで、空を見上げても広さを感じられず、なんとなくいつも息苦しいようなところに住んでいました。だから夏なんてなおさら暑苦しかったです。ビル風は吹くかもしれませんが、この町のように爽やかな風を感じることはあまりなかったので、この町の開放感を本当にありがたく感じました。スペースだけでなく生活のあらゆる場面でも言えるのかもしれませんが、生活するにおいて直接必要のない余分なものというのは、人生や生活にゆとりや潤いを与えてくれ、なくても生活できるけど、でも心にとっては重要だったりしますよね。だからこの先この町がどんどん発展していっても、このゆとりある町のスペースというのはなくしてほしくないと思いました。

あともう一つ、風を心地よく感じるのは、あちこちにある木々の緑のお陰でもあると思いました。街路樹や公園の緑が涼しい木陰を作ってくれるだけでなく、風までもきれいにしてくれるような気がしました。目で見ても、風にそよぐ木々の緑はなんとも言えない良さがありますよね。

町のつくりに余裕があるということのついでに、ニュータウンは公園の数が多く、一人当たりの公園占有率というのか、余裕をもって楽しむスペースがとても高いのではないかと思います。緑の芝生のきれいな公園や子どもが遊ぶことができる公園、どちらも生活するうえでありがたいものです。特に私のように小さな子どもを育てていると、どんなに小さい公園でも、子どもが遊べる公園があちこちにあるということは、とても助かります。こういうところもニュータウンの良さの一つなんでしょうね。

夕方涼しくなった頃、念願だったテラスでゆっくりお茶をしたり、きれいな遊歩道を散歩しながら、豊かな緑が風にそよいだりするのを見たりすると、わけもなくふと幸せを感じることがよくありました。そういえばこちらに移って来てから、普段の日常生活の何でもないことを幸せと思ったり、楽しむことができるようになってきています。東京では、どこかに出かけたり何かイベントがないとなかなか楽しめなかったのが嘘みたいです。すごい変化ですね。こちらではそれほどお金をかけなくても、楽しい生活を送ることができるような気がします。それを思うと、東京というのは色々な意味でお金がかかる町なんだなってあらためて感じました。とにかく確実に生活の質(QOL)が上がった気がして、引っ越してよかったとつくづく思っています。

ニュータウンは秋もきっときれいなんでしょうね。町の緑がどのように変化していくのかとても楽しみです。ただ、夏の風が気持ちよかったということは、冬は寒いということなんでしょうか。それがちょっと心配だったりもする私です。

(6)コスモス祭り

「月刊千葉ニュータウン」2008.11.8所載

 公園の木々や街路樹の緑が少しずつ色づき、落ち葉も増え、すっかり秋らしくなってきました。夏が大好きだった私も、秋のあの切ない感じのしっとりした雰囲気もたまらなくいいなと思う最近です。

子どもの頃やもっと若かった20代の頃より、良いと思うこと、好きと思えることが多くなってきたような気がします。色々なことの機微が楽しめるようになってきたのかもしれません。昔思っていたほど、年を取ることは悪いことではないなと最近は思います。

というわけで、ニュータウンの秋も楽しんでいます。先日牧の原公園で行われたコスモス祭りも行って来ました。私たちが行った日曜日は天気にも恵まれ、びっしりたくさん咲いたコスモスの花が本当にきれいでした。あれだけたくさんのコスモスがいっぺんに咲いているのを見たことがありません。本当に見事ですね。

ふれあいバス

ふれあいバス

200万本もあるあのコスモスは、耕運や種まきなどすべて市民のボランティアの方々によってなされているということですが、まったく頭が下がる思いがします。あんなに素敵な景色を私たちに楽しませてくださって、本当にありがたいと思いました。

しかもコスモス祭りは、色々なイベントや出店、それにフリーマーケットなどですごく賑わっているんですね。お祭り大好きな私は、あの会場にいるだけでも楽しくなりました。本当は色々なイベントやお店で食べ物を楽しみたかったのですが、ついついフリーマーケットの会場に吸い込まれるように足を踏み入れ、そこで買い物に夢中になってしまいました。一緒に行った叔母が息子のためにフリマでたくさんおもちゃや絵本を買ってくれ、大満足で会場を後にしました。フリーマーケットって見ているだけでも楽しいし、安く買えるのでありがたい存在です。

こういった感じで、コスモス祭りは色々な意味で充実したお祭りだったと思います。もちろん来年はフリマだけではなくもっと色々楽しもうと、今から期待しています。

ところで私は、最近になってやっと“ふれあいバス”というのを利用してみました。今までも、ふれあいバスの存在自体は知ってはいたのですが、ルートなどもよく知らなかったのでまったく利用していませんでした。ただ今回、千葉ニュータウン中央の私の家から印西牧の原まで買い物に行こうと思った際、ふとふれあいバスのことを思い出し、乗ってみようと思いたったのです。

調べた結果、家のすぐ近くにバス停があり、駅に行くよりも便利で、しかもどこまで乗っても100円というあの値段です。北総線だと片道300円ですから、これは本当に嬉しいことです。家族で乗ったら、息子は運賃がかからないですが夫婦で片道600円なのでえらい違いですもんね。ふれあいバスのことを思い出した自分を、でかした!と褒めてあげたくなりました。

土曜日の午前中に乗ったのですが、バスはけっこうすいていて、快適でした。千葉ニュータウン中央の町から印西牧の原まで、今まで通ったことのない場所をバスは通り、見るもの見るものが珍しく、あっという間に印西牧の原に着いたという感じです。実際30分くらいしかかからず、予想以上に便利なバスだと感激しました。

ただしふれあいバスの本数自体が少ないので、バスの時刻に合わせることが大変かもしれませんが、それさえ合わせられれば車のない私たちみたいな家族にとっては、とてもありがたい存在だと思います。

以来、息子の健診のために保健センターに行く時もふれあいバスを使ったりしています。このふれあいバスを使うまでは、やはりそろそろ車を持たなければ・・・・、なんて感じることもあったのですが、バスのお陰でまだまだ頑張れそうです。あとは欲を言えばもうちょっと本数が増えてくれるといいな、なんて願っている私たちです。

(7)成田空港

「月刊千葉ニュータウン」2008.12.13所載

 だいぶ寒くなってきましたね。寒さは苦手な私ですが、この町の冬から秋への美しい季節の移り変わりを楽しんでいます。

先日、妹の家族が車で私の家に遊びにきたので、その車に乗ってみんなで成田空港に遊びに行ってきました。妹の家にも同じくらいの小さな男の子が2人いて、うちの息子同様乗り物大好きなので、子どもたちに飛行機を見せるのが表向きの目的です。

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間近で見る飛行機に興奮

が、成田空港に行くのを一番楽しみにしていたのは、実は私でした。というのも私は大の旅行好きで、独身時代それに子どもが生まれるまでは、毎年欠かさず海外旅行を楽しんでいました。私のような海外旅行好きな人にならわかってもらえると思うのですが、旅行好きにとっては、成田空港は心躍る旅行の出発点であり、旅行と同じくらい大好きな場所だったりするのです。日常生活とはちょっと異なる空気が漂っていますよね、空港には。それになんとなく外国の匂いもしたりします。だから海外旅行にはしょっちゅう行けなくても、せめて成田空港にだけでも遊びに行きたいとよく思っていました。

でも、千葉県外に住んでいる者にとって、成田空港はけっこう遠いところで、交通費も馬鹿にならないし、そんな簡単にちょくちょく行こうと思うところではないと思うのです。だから成田空港に近いこの町に引っ越してきたこと、これは私にとって予想外のうれしいおまけでした。なぜなら今までよりも気軽に成田空港に遊びに行ける環境だからです。

今回のように、旅行以外の目的で成田空港に行ったのは初めて。しかも初めて車で行ったので、電車で行くのと違う入り口から入り、空港がまた違って見えたりして面白かったです。そして展望台でたくさんの離発着する飛行機を間近に眺め、期待通り子どもたちは大喜び。帰りに息子に飛行機のおもちゃを買ってあげ、息子はずっと飽きずに遊んでいました。もちろん私も海外旅行の雰囲気を満喫し、大満足でした。

というわけで、私のような旅行好きや乗り物大好きな子どもたちにとって成田空港は、けっこう楽しめる観光地だと思います。だから2年後の成田高速鉄道の開通が本当に待ち遠しいです。これで車のない私達にとっても、成田空港がより近い存在になりますよね。昔から漠然と考えていた「一度は成田空港で働いてみたい」なんていう私の夢も、もしかしたら実現するかもしれません。

(8)半年という節目を迎えて

「月刊千葉ニュータウン」2009.1.10所載

 新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくおねがいいたします。

私達家族はこの町に引っ越してきてもう半年になりました。本当にあっという間の半年でした。半年というこの時期は、まだまだ引っ越してきたばかりのような新鮮な気持ちも残っていますが、生活のリズムも整い、町での暮らしにも慣れてきたちょうどいい頃合かもしれません。

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あけましておめでとうございます。

ところで半年を過ぎ、この町に引っ越してきたことをどう思うかあらためて考えてみると、やっぱり私達家族にとってこの引越しは今のところ大正解だったと思っています。家を買って新しい町に引っ越すということは、人生の中で大きな決断であり、やはり多少の迷いはありました。特に住んだことのない新しい町での生活でしたから、引っ越してみてやっぱり東京に戻りたいなんて後悔したらどうしよう、とも考えました。

でも実際にこちらに半年住んでみて、そんな後悔はまったくしないですみました。もちろん東京での生活は、便利で刺激的で楽しいものではありましたが、この町での暮らしよさ、心地よさのほうが今の私たちにとってはありがたいものだと心の底から言えるからです。何より息子を伸び伸びと育てることができる、この町の造りや雰囲気がとても気に入っています。引っ越してきて日増しに逞しく育っていく息子を見ていると、本当に「あー、この町に引っ越してきてよかったな」と思います。

時々用があって東京に行ったり、他の町に出かけたりすることがありますが、そういう時に他の町を見るたび、「あー、ニュータウンって本当にきれいな町なんだな」とつくづく感じます。

ただ2歳になる乗り物大好きな息子は、東京の山手線の駅などに行くと、たくさんのホームにひっきりなしに出入りする電車に目を奪われ興奮しているので、息子にとってはその点は大都市が羨ましいのかもしれません。

(9)ニュータウンで迎えた初めての正月

「月刊千葉ニュータウン」2009.2.14所載

 今年のお正月は、この千葉ニュータウンに古くから住んでいる叔父夫妻に、車で何箇所か初詣に連れて行ってもらいました。私たちは車がないので、ありがたいお誘いでした。

まず1件目は松虫寺。日医大駅の近くの新興住宅地のすぐ裏にあるのに、まるで山奥にあるのではないかと思えるほど緑に囲まれたところで、その対比が不思議な気さえしました。

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うれしい初詣

1月2日に行ったため、参拝客はほとんど見かけず、静かなお寺をお参りすることができました。しかも初めての鐘つきまでしてしまい、満足してお寺をでました。

2件目は、観音寺というお寺。このお寺は小さな山を背に建っていて、私たちが訪れた時には太陽が山に隠れていて、いかにも日暮れ時の山寺といった雰囲気でした。でもそれがまた、山に囲まれた私の故郷にあるお寺に似ていて、故郷のお寺をお参りしているような懐かしい感じになりました。

このお寺ではお参りをしたあと、温かい室内で甘酒や煮玉子、みかんなどをふるまわれ、「この煮玉子おいしいね~」なんて言いながらゆっくりくつろがせてもらいました。

そして最後に行ったのは、観音寺からほど近い阿夫利神社です。この神社は引っ越してすぐの頃、夏祭りに行ったのですが、あの時は真っ暗な夜道を不安になりながら歩いていったので、今回のように明るい時間に正々堂々と(?)行くのは初めてです。明るい日の下で見るとどんな神社なんだろうとわくわくしながら向かいました。

この神社はけっこう多くの人で賑わっていました。前回は周りの景色なんてまったく見えなかったので、「ふむふむ、まわりはこんなふうになっているのか」なんてきょろきょろしながらお参りしました。

こちらの神社も嬉しいことに、甘酒やさつまいもがふるまわれており、焚き火を囲んで温まりながらいただきました。さつまいもはとても甘くておいしくて、さっき煮玉子を食べたばかりの息子は、ここでもさつまいもを頬張っていました。

初めての町での楽しいお正月の思い出になりそうです。

(10)安心して子連れ散歩ができる道

「月刊千葉ニュータウン」2009.3.14所載

 毎日寒かったですが、今年の冬、私と2歳の息子はほぼ毎日外遊びをしました。息子の体を丈夫にするためと、私の運動不足解消のためです。

といっても、2歳の息子はすたすた歩いてくれるわけではないし、あちこち寄り道ばかりしているので、私の運動にはあまりなっていませんが。

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鳥を追いかける息子

息子を外で遊ばせるのに、この町の整備された歩道はとてもありがたいです。車道の横にある歩道にしても、道幅が広くて歩きやすいし、車道とはまったく独立した遊歩道などもあるので、それも子どもの散歩に大変役立っています。

東京などでは、車の往来が激しい上歩道自体も狭く、あとかあとから人や自転車が通るので、とてものんびりと息子を歩かせることはできませんでした。子どもを歩かせやすいお陰で、引っ越してきてからは自然と外遊びの機会が増えました。公園に遊びに行くにしても、危険な道を通らなければならなかったら、きっと億劫になり今よりも外遊びが断然減っていたと思います。

ところで、この町の遊歩道は道の周囲に色々な植物が植えられていて、好奇心旺盛な息子にはそれもまた良い刺激になっているみたいです。初めて見る松ぼっくりに目を丸くし、恐る恐るさわってみたり、寒椿の花を「きれいねー」なんて言いながら触ってみたり。どんぐりもたくさん拾いました。

それに初めての霜柱も経験しました。私にとっても数年(数十年?)ぶりに目にする霜柱だったので、ついつい懐かしくて息子と一緒になって踏みしめてしまいました。こういう経験が、息子の中でも良い思い出となってくれると嬉しいです。

こうして寒い日も毎日外遊びをしたお陰で、最近の息子は体力がめきめきつき、すっかり逞しくなりました。それに今年の冬、息子は風邪らしい風邪を引いていません。去年の冬はしょっちゅう風邪を引き、よく熱を出して私も一緒になってびくびくしていたので、本当に嬉しい限りです。

春になったら、今度はどこか近くの山で、山登りにも挑戦したいと思っているこの頃です。

(11)心浮き立つ早春

「月刊千葉ニュータウン」2009.4.11所載

 だいぶ春らしくなってきました。幸い、花粉症に悩まされることのない私にとって、だんだん暖かくそして景色が色づいていくこの時期は、気分も明るく前向きになり、意味もなく希望に満ち溢れた気持ちになります。

季節の移り変わりの時というのは、私の場合、それまでの季節に飽きてきたこともあって、どの季節の時でも次に来る季節が妙に待ち遠しく感じたりします。が、それにしてもやっぱり春は、特に待ち遠しい気持ちが強いような気がします。

それはなんと言っても、どんどん暖かくなるということが理由です。寒さが苦手な私にとって、暖かくなっていくというだけで、「あれもやりたい、これもやりたい」とやたら行動的になるほど、暖かさは重要なことです。我ながら、まるで冬はじっとしていて春になったら動き出す、冬眠から目覚めた動物みたいだなって思います。

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心浮き立つ早春

それに2歳の息子がいるので、冬の寒空の下でも、ほぼ毎日息子の外遊びに付き合い、外で震えていたので、これからは外遊びも楽になるのでその点でも嬉しい限りです。

少しずつ日が長くなるということ、これも嬉しいことの一つです。夕方、明るい時間が少しずつ長くなっていくだけで、世の中全体が生まれ変わり、明るくなっていくような気がするのです。

というわけで、暖かく、そして日が長くなっていくこの時期は、努力せずとも自然にウキウキ楽しく、前向きな気持ちになりやすい私です。特に天気の良いきれいな朝なんかは、冬の寒い朝にくらべたら妙に元気で、これからやりたい楽しいことを色々考え、一人でニヤニヤしたりしています。

とっくの昔に学生を卒業した私ですが、春は新学期を迎える学生のように、新鮮なやる気に満ちた状態になるので、やはり春は新学期にぴったりな季節なのだと思います。

これからさらに新芽が芽吹き、色々な花が咲き、このあたりもいっそうきれいになっていくのでしょう。まずは手始めにどこかでお花見といきたいです。

(12)さくら さくら

「月刊千葉ニュータウン」2009.5.9所載

 4月はじめの日曜日、小林牧場のお花見に行ってきました。今まで何度か小林牧場のところを車で通り過ぎたことがあったのですが、普段のあの静かな小林牧場とはまったく違うのですね。普段と同じつもりで行ったので、ちょっとびっくりしました。

車や歩いている人でいっぱいだし、それに出店もたくさん出ている。まるでお祭りみたいな賑やかさでした。でもあの立派な桜並木を見ればそれも納得です。

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さくら さくら

あの広い通りを覆うほど大きな桜の木がたくさん並んでいます。なかなかお目にかかれない立派さだと思いました。

去年引っ越してきた私たちは知りませんでしたが、この辺では有名な桜の名所なんですね。

去年までの息子は、桜の花とか外界の物事をよくわかっていなかったので、一緒に桜の花を味わうのは今年が初めてと言えます。並木道を歩きながら、「桜のトンネルだね」なんて話しながら歩き、息子も桜の花がどういうものかがわかったみたいで、嬉しそうに「さくら、さくら」なんて言っていました。その息子の成長ぶりも嬉しかったです。

並木道の脇にあるちょっとした広場でお弁当。ここもたくさんの人で賑わっていました。

お花見の季節って、意外に冷えたりすることが多いのですが、この日はぽかぽか陽気のまさにお花見日和で、桜を見ながら食べるお弁当はとてもおいしかったです。普段は食の細い息子も、こんな環境でのご飯はおいしかったらしく、もりもり食べていました。

そして普段もきれいなニュータウンの春の景色は、それはもう本当に、気持ちがいいほど美しいと思いました。そんなニュータウンの春を満喫しようと、小林牧場以外にも息子と近所の桜をあちこち見てまわったりしました。

ただ桜が咲いているのはけっこう短く、「あそこも見たかったのにな」というところがいくつもあり、桜の花が一ヶ月くらい咲いていてくれたらいいのになって思う私でした。

(7)幸せな一年

「月刊千葉ニュータウン」2009.6.13所載

 この6月で、私たち家族がこの町に引っ越してきてちょうど1年になりました。月並みな言い方ですが、本当にあっという間に過ぎ去ったように感じる1年でした。

去年の春頃、たまたまこの町に家を探しに来た私たちは、この町の環境の良さに感動し、たった1度の見学でこの町に引っ越してくることを決意しました。東京から近いところで、こんなにきれいに整えられた町があるなんて思いもしなかったのです。

ただ、誰でもそうだと思いますが、いくら気に入ったといっても、今まで住み慣れたところから新しい町に引っ越すには、やはり不安がつきまといます。私たちも便利な東京を離れるにあたって、「いくら町がきれいだと言っても、便利な東京を離れて後悔しないだろうか?」とか「住んでみたら、不便でいまいちだったということはないだろうか?」などという不安も多少はありました。

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息子も元気に育って

でも、1年経った今はっきり言えることは、それらの心配はまったく当たることもなく、私たちの決断は正しかったのだと胸を張って言えることです!

毎日、緑の多いとてもきれいな町の風景を見ながら暮らすことが、こんなに快適なものだとは思いませんでした。それに人口密度があまりにも高すぎると、それはとてもストレスなんだということに、この町に暮らし始めてからあらためて気づきました。

それと車や人通りをあまり気にすることなく、好奇心いっぱいな息子をたくさん遊ばせることができるこの町の環境に、本当に感謝の気持ちいっぱいです。夫とよく話すのですが、「あのまま東京のあの家に住んでいたら、息子をあまり外で遊ばせなかったかもしれないね」ということです。それだけ前の環境では、息子を思いきり外で遊ばせるには、様々なハードルがあったのです。

ということは、今元気いっぱいの息子は、もしかしたらこの町の環境のお陰もあるかもしれません。

そんなわけで、幸せな思いでこの町に越してからの1年を振り返る私たちです。

 

 

(77)歯ブラシしてますか?

みなさんは歯ブラシを毎日行っていますか?また、1日に何回していますか?

食後はきちんと歯ブラシをしましょう、というのはよく言われます。おそらく皆さんも毎食後とは言わないまでも1日に朝晩の2回くらいは歯ブラシをしているのではないでしょうか。厚生労働省の調査によると以前は1日に1回という人が半数を超えていましたが、最近では1日に2回以上磨くという人がほとんどのようです。
ただむし歯や歯周病で歯科に受診してくる患者さんの中には、〝歯ブラシは毎日やっているのに〟、とか〝歯の質が悪いです〟、〝歯ぐきが弱いです〟という声を耳にします。
以前私は大学病院で歯周病を専門に治療をしており、その中にはかなり重度の歯周病の方もいらっしゃいました。しかし歯ブラシをまったくしていないという人はほとんどいなかったと記憶しております。やはり1日2回くらいは磨くという人がほとんどでした。ちゃんと歯ブラシを毎日しているのに何故歯周病やむし歯になってしまうのでしょうか。やはり体質なのでしょうか?勿論、生まれつき虫歯や歯周病になりやすい人がいるというのは事実です。しかしながら、そういう人はほんのわずか。ほとんどの人は正常な歯、正常な歯ぐきをもっているはずです。では原因は何でしょうか?
皆さんは歯ブラシにどのくらい時間をかけていますか?この質問をすると1-2分と答える人がほとんどです。歯ブラシをするというだけでなく、しっかりと歯に付着した汚れ(歯垢)をとることが重要です。しかし、ただ時間をかけて磨けばよいというわけではなく、この歯垢をしっかりと落とさなければなりません。
では歯ブラシをどう使うか。歯垢がたまりやすいのは歯と歯の間、歯と歯ぐきの境目。
歯ブラシを大きく動かしてしまうと歯の表面だけにあたって、上記部位にはうまくあたりません。歯ブラシの毛先を歯と歯茎の境目に当てて、歯と歯の間で小さく歯ブラシを往復させる。これをすべての歯に対して行います。この方法だと1-2分では終わりません。まずは時間をかけてしっかりと歯垢をおとす。これを習慣付けることが虫歯・歯周病の予防へとつながります。

セコメディック病院

歯科口腔外科 須田 智也

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生活バスちばにう 新たに2路線を開設

各地で説明会開催

生活バスちばにうは、現行の千葉ニュータウン中央駅~新鎌ケ谷直行便に加えて、新たに2つのルートを計画、現在陸運局での審査、新車両の発注など、新路線の開発準備を進めている。順調にいけば、今秋~年内にも新ルートの走行が始まり、現行ルートと合わせて3ルートの運行が実現することになる。

このため、8月下旬に新ルートが通ることになる3地区で、住民説明会を開催、より詳細な説明と併せて同バス事業への理解と協力をお願いする(別表に説明会の日程)。
新しい2つのルートは、いずれも中央駅からビジネスモール地区を通過、そこから東西に分かれて、それぞれの住宅地を走る。業務施設が集積しているビジネスモール地区と各住宅地区を結ぶことにより、これらの施設へのニュータウン在住者の通勤、ニュータウン地区外(新鎌ケ谷経由)からの通勤の足として、活用されることを狙っている。
【牧の原循環ルート】千葉ニュータウン中央駅~ビジネスモール~国道464号~ジョイフル本田・牧の原モアの裏道(牧の原地区)~印西牧の原駅北口~(南環状線)原、西の原地区~中央駅。

【北環状線ルート】中央駅~ビジネスモール~(北環状線)小倉台、木刈、桜台~小室(公務員官舎)~白井市役所(千葉白井病院・聖仁会病院)~白井駅北口~464号~新鎌ヶ谷駅。

地域の人々をつなぎ、地域を元気にするバスをめざして

地域をつなぐバス

生活バスちばにうは、乗って楽しいバス、トクするバス、地域の情報が得られ、地域が好きになるバスをめざします。

◇お楽しみ特典券でバス停周辺の施設をおトクに利用!!

生活バスちばにうを利用される方が、バス走行ルート周辺の商業施設をご利用になる場合、車内に置いてあるチラシを持参すると、割引サービスなどが受けられます。現在は中央駅近くの数店の参加となっていますが、今後新鎌ヶ谷駅その他のバス停周辺のお店と提携し、さまざまな特典サービスが受けられるよう拡大していきます。

◇地域のさまざまな情報が得られます

生活バスちばにうは、バスの車内やバス停がさまざまな情報の発信、交流拠点として、地域の皆さんに親しまれ、役立てるような運営を心がけます。タウン紙の最新号を配布するなど地域のさまざまな情報が得られ、またこれらの媒体を活用して、各種の地域活動への参加、交流の機会が生まれます。

◇バス停のオーナーになりませんか

新たに開通する2ルートのうち、〈牧の原循環ルート〉は16カ所、〈北環状線ルート〉は14カ所のバス停が設置される予定です。これらのバス停のオーナーを、クラウド・ファンディング方式で募集します。

進化するバス

〈第1段階〉通勤の足として

新たに走行が予定されている2ルートは、いずれもビジネスモールの中央を貫通し、〈牧の原循環ルート〉は、印西牧の原駅圏の牧の原、東の原、原、西の原地区に住む人たちを中央駅まで運びます。また、〈北環状線ルート〉は、中央駅北地区や白井駅周辺地域に住む人たちがビジネスモールに通勤したり、都内・船橋・柏方面へお出かけの際にご利用いただけます。

〈第2段階〉生活(買物、通院など)の足に

新ルートが通勤の足として定着するとともに、このバスはまさに「生活バス」として、地域の多くの人たちの買い物、通院などの日常生活の足として活用されます。たとえば、朝夕の通勤タイムと昼間タイムとでルートを変え、生活者にとってより利便性の高い走り方を検討していきます。

友の会へのお誘い

 〈生活バスちばにう友の会〉に入会しませんか?

友の会は、バスを運行する鎌ケ谷観光バスさんをサポートし、地域の人たちにとって、より親しみやすい、楽しいバスの運営を考えていきます。

○月1回の例会で、皆様の知恵、アイディアをお貸しください。

○年1回の親睦旅行で、交流の輪を広げましょう。

○会員には「月刊千葉ニュータウン」を毎号お届けします(新聞折込みで入手できない方)

印西市長選の経過と結果を横目で見ながら 勝手にまちづくり宣言

焦点・論点・争点なき選挙
7月10日行われた印西市長選挙は、現職の板倉正直氏が約2600票差で再選された。

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2期目当選を果たし、初登庁の板倉正直印西市長

今回の市長選、明確に対立する争点があったわけでもなく、一方が他方を明らかに上回る優位点が目立って存在したわけでもない。いずれかの候補をもともと支援している人たちを除いて、どちらの候補にも思い入れをもたない人たちにとっては、最後までどちらに一票を投じるか、迷う選挙だった。

市長選などトップ・リーダーの座を争う選挙においては、現職に対抗する形で出馬する新人候補の側が、現職の市政運営の問題点を指摘、批判するとともに、それに対する有効な対案を提示して、有権者に選んでもらうという形が一般的だが、今回この点が有権者の眼には明確な像を結ぶに至らなかった。

当初、中沢氏は出馬表明の席などで、この間の板倉市長の政治姿勢が市議会や行政の現場を混乱させてきたことを指摘、議会や行政の正常化を出馬の動機にあげていた。中沢氏は、大学卒業後、民間企業に勤めた後、印西市の職員、その後議員となった経歴から、市役所や議会の内部をよく知る者として、着実な市政運営を図っていくことを「ウリ」に掲げるものと思われた。いわば、「市民目線」のスローガンのもと、行政の「外」からの刺激で市政や議会を動かしていく板倉氏に対して、市役所や議会の「内側」から着実な改革を進めていく中沢氏という図式が描かれるかに思えた。

しかし、実際の選挙戦が始まると、この図式は瞬く間にぼやけていった印象がある。

中沢氏には「自民党公認」の冠がつき、「内側」からの着実な改革というイメージよりも、「市民目線」とは別の意味での「外の目線」に依存するイメージが次第に強まっていった。

中沢氏が市役所や議会の内部をよく知る者として、「内側」から着実な改革を進めていくというのであれば、中沢氏には最優先でやるべきことがあったはずだ。それは、板倉市長が昨年夏頃までに議会や行政の現場を混乱させたことを正面からきちんと批判し、首長としての資質を問うとともに、あるべき議会運営、職員たちの仕事をする環境の整備と内部のコミュニケーションの円滑化等々について、板倉氏とは明確に違うビジョンを提示することだった。そのことを正面からきちんと批判、提案することで、新人候補としてのアイデンティティが「見える化」し、有権者に訴えるインパクトのあるイメージとなったはずだ。
少なくとも多くの市民の目に、中沢氏が今回の市長選に出馬した意味が明確に伝わり、有権者にとっては、二人の候補者の違いを理解した上での選択となったと思われる。その、少ないチャンスを逃したことが、中沢氏から市長席の椅子を遠ざけたのではないか。

地域独自の知恵を発揮
選挙の話はそれくらいにして、本稿では、今回の市長選で両候補が公約に挙げたさまざまな政策課題とは少し違う角度から、今後の印西でのまちづくりについて展望したい。

市長選に立候補したお二人とも、実に多種多様な政策課題をあげていたが、第三者的にみて、それらの政策課題を貫く基本的なポリシー、あるいは印西市のまちづくりを進める上で最も重要な壁あるいはエンジンについて、どのように考えているのかが伝わってこなかった。

たとえば、中沢候補の話を聞いていて、強い違和感を覚えたのは、選挙戦の後半、中沢氏の口からしきりに「中央とのパイプ」という言葉が聞かれるようになったこともその一つ。「自民党公認」というスタンスに立ち、「国や県との太いパイプがある」ことを強調することで、対立候補との差別化を図ったのかもしれないが、筆者がこれを聞いた時に感じた違和感はおおよそ次のようなことだった。

1) 昨今、各地方で取り組んでいる「地方創生」事業で共通してみられる問題意識は、「中央に何かをやってもらおう(補助金をとってくる)」というようなことではなく、いかに各地域が知恵を絞って、その地域の実情、地域特性に合った「創生」を進めていくかが強調される傾向にある。今、ことさらに「中央とのパイプ」を強調するセンスでは、現職市長に挑戦する新人候補として必要なフレッシュなイメージを損なってしまうだけだったのではないか?

2) 特に、印西市の場合、千葉県、URといった「中央」「地域外」「グローバル」的な勢力が進めてきた千葉ニュータウン事業が成熟期を迎え、ここに集積された高規格インフラや大規模商業施設のおかげで「住みよさ日本一・5年連続」というような栄誉を受けるまでになっている。「中央とのパイプ」をこれ以上太くするよりも、ニュータウン事業の成果を活用しつつ、一方この事業推進の中で積み残されてきた問題の一つ一つに丁寧に取り組むことこそが、印西市のまちづくりの主要課題なのではないか。

ざっくり言って、国道464号線沿いの地域の整備に関しては、印西市(の行政、議会)が放っておいても(実際、市は放っておいてきた)、URが(勝手に?)どんどん事業を進め、有名大企業の大型事業所を誘致してきて、売れ残っている空き地もどんどん埋めていくだろう。

ニュータウン事業の「負の遺産」解消を通して
有り体に言って、これまでの千葉ニュータウン地区の整備は、ほとんど地元行政が関与しない(できない?)ところで進められてきた。「住みよさ日本一」も、URが都市基盤整備と業務施設誘致を進めてきた結果でしかなく、印西市(の行政や議会)の力によるものではない。言い換えれば、印西市はほとんど労せずして「住みよさ日本一」の座を射止めてしまったわけで、住民が本当に「住みよさ日本一」を実感できているかどうかはともかく、印西市という行政体が「ラッキー度ランキング」「棚ボタ度ランキング」で、上位に食い込むことは間違いなさそうだ。

一方で、ニュータウン事業は、その進展の過程で大きな荷物をいくつか積み残してきた。たとえば、木下など既存市街地の衰退、また北総線の高運賃問題なども、そうした積み残し、ニュータウン事業の「負の遺産」といえる。

こうして積み残された宿題は、いずれもURとしては「苦手科目」であり、それどころかURの方でも、これが自分に課せられた宿題などと思っていないフシもある。だから、これら「負の遺産」をいつか県やURが片付けてくれるのではないかと期待してもダメ、「中央との太いパイプ」を以てしても解決できない問題であり、印西市の行政、住民、地元企業が力を合わせ、知恵を絞って取り組むしかない宿題といえる。

ニュータウン事業の「負の遺産」を、印西市自らが解決していくことで、印西市は初めて、千葉ニュータウン事業と正面から向き合い、この地域の整備課題に主体的に取り組んでいるといえる状態になる。すでに印西市は「住みよさ日本一」といった成果をUR主導の千葉ニュータウン事業から受け取っているのであり、ここで「負の遺産」を引き受けないと、資産だけ相続し、負債は知らんぷりという、アンフェアな相続人の汚名を着てしまう。

別の見方をすると、「負の遺産」はURの「苦手科目」ということであり、これを地元の行政、住民、企業が引き受けることこそが、地元にとって、未来への挑戦の足がかり、踏み台となる。

今まで、千葉ニュータウン地域の開発・整備には、地元の行政や地元企業などはほとんど参加、関与できないまま、県とURの手で進められてきた。それは、地元からみて、必ずしも望む方向、内容でないケース、事例もあったであろうし、また、ニュータウンの開発が進み、にぎわいのある街が形成されていくのと反比例するかのように、既存市街地が取り残され、かつての賑わいの街がシャッター通りと化していく現象が繰り返されてきた。

地元の行政、住民、企業がニュータウン事業の「負の遺産」を引き受けることは、そうした地元の「劣勢」をここで挽回するチャンスが到来したことを意味する。

北総台地の地形、風景を大きく作り変えてきたURという優等生にも「苦手科目」があることが分かり、長らく優等生の後塵を拝してきた、田舎の劣等生にも、ようやくクラスの皆を見返してやるチャンス、出番が回ってきたということである。

「宿題」の解き方に関する一視点
では、印西市の行政、住民、地元企業は、どうやってニュータウン事業の「負の遺産」を引き受け、宿題を解決していくか。

問題解決の基本的な視点は、千葉ニュータウン事業の「負の遺産」への取り組みは、県やURが手がけてきたビッグ・プロジェクトの「すき間」を埋めていくということになろう。言い換えれば、「ニュータウンに無いもの」(ニュータウン整備にできた穴ぼこ)を探し出し、県やURに代わって穴ぼこを埋める作業がそのまま「宿題」の消化ということになる。さらに、地元がそうした作業を積極的に引き受け、消化していくことが、ポスト・ニュータウン事業、ポストURのまちづくりの新しい主役を育てることにつながっていく。

多様な地域交通網を整備し、地域の脱クルマ社会化をめざせ
千葉ニュータウン事業が積み残した宿題、負の遺産の代表的な事例が「北総線の高運賃」問題であるのはたしかだろうが、この地域が抱える交通問題は北総線の高運賃だけではない。

千葉ニュータウンは、太く長い背骨(北総線および国道464号)に数本の肋骨と臓器が取り付いたような街の形状をしており、高運賃問題というのは背骨の使い勝手が悪いというだけの話。そのほかに、ニュータウンというのは、徹底したクルマ社会であり、車(マイカー)を利用できるか否かで、地域での住みやすさは大きく変わる。

B11印西市と山手線
別図は、東京の山手線と印西市の地図を重ねたものだが、旧印旛、本埜との合併後の印西市は123・79k㎡、山手線の内側面積(約65k㎡)の約2倍ある。広大な地域だけに公共輸送でカバーされている地域は少なく、多くの地域でマイカーが日常生活の足となっている。しかし、今後高齢化の進展で、マイカーに乗れなくなる高齢者、マイカーを手放さざるを得なくなる家庭が増えていった場合、人々の移動ニーズは大きく制限されることになる。

マイカーでの移動を前提に組み立てられてきたニュータウンに対して、今後マイカーでも既存の公共交通だけでも満たされない、多様な交通ニーズが増えてくることが予想される。特に、印西市のまちづくりにあっては、北総線と既存のバス交通に加えて、より多様できめ細かい交通網を整備していく必要がある。

大型店と「競わない」事業構築でオールドタウンの再生を
印西市のまちづくりの大きな課題は依然として、木下駅圏に代表される「オールドタウン」をどう活性化するかというテーマがあがる。

ただし、木下駅圏の活性化という場合、この地域の衰退が千葉ニュータウン事業だけに結びつけて議論するのは不適当である。ニュータウン事業が始まる以前から、木下の街は往年の賑わいから少しずつ元気をなくしていき、千葉ニュータウンに人や商業施設が集積するにつれて、そうした傾向に拍車がかかったというのが本当のところだろう。

B11古い街だと
本項では、オールドタウンの活性化というテーマにおいても、「ニュータウンに無いもの(穴ぼこ)」を探し、そうした穴ぼこを埋めていくイメージを提唱する。それは、オールドタウンの小さな店や事業者が、ニュータウンに集積されている大資本による大型店舗との競争にさらされるのを避け、大型店舗とは別の土俵で事業を展開していくことを意味する。

オールドタウンのまちづくり、地元企業や商店の事業展開のおおよそのイメージは別表のように、あくまでニュータウンの大型店とは異なる、独自の行き方が求められる。そのような事業手法を意識しつつ、地元企業・商店はオールドタウンのまちづくりに関わっている市民グループとの密接な連携を図り、市民グループを事業のパートナー(プロシューマー)として、大型店と「競わない」市場開拓、展開を図っていく。
小紙では以後、木下などオールドタウンの活性化に取り組む市民グループと地元商店の取材を通して、この問題を新しい視点から考えていく。

月刊千葉ニュータウン第184号(2016.8.13)