2011年7月 のアーカイブ

菅首相の醜態を見るにつけ、本埜村長リコール運動の偉大さが偲ばれる

2011年7月25日 月曜日

民主主義の基本中の基本は、「国民(有権者)には、選挙権がある(首長や地方および国政の議員を選ぶことができる)」「選ばれた議員や首長は、国民に代わって政治を運営することができる」ということにつきる。要するに、「選挙」があらゆる議論の出発点であり、ゴールだということだ。

選挙によって選ばれた者は、予め定められた「任期」が来るまで、国民の代表として、国民に代わって政治を行い(権力を行使し)、その持てる権力の行使について制限を受けない。

もちろん、首長は議会からチェックされ、議会の同意なしには政策を実施できないし、有権者にあまりに不人気な政策を実施、もしくは多数の有権者が熱心に求める政策を不実施すると、次の選挙で選ばれなくなる可能性があるから、議会や有権者に理解してもらうための「妥協」はありうる。

しかし、不人気をものともしない首長が、国民の利益を損なう政策や行為を行った場合、この首長を止められる者は誰もいない。

本埜村の場合、選挙で合併を公約した村長が、合併よりも自分の身分(村長)の保全を優先していることが、時間の経過とともに明らかになった。それに対して、議会は村長の辞職勧告決議を可決するが、法的な強制力のない決議を、当然のこととして村長は無視する。その後世論の高まりにつれて、村民の間でリコールの動きが出てくるとともに、議会は不信任決議で村長を辞めさせようとする。と、村長は議会を開会しないという挙に出た。

議会の開会を求める議員や住民の動きに対して、議会を開けば不信任を突きつけられることを知っている村長は、議会を開かないという違法行為で対抗したわけだ。もちろん、これに対して県からは議会を開会するよう「勧告」が出されるが、これにも法的強制力はない。

ひとたび選挙で選ばれた首長は、かくも明確で強大な権力を保証され、その権力は何人からも制約を受けることはないのである。それが、民主主義の骨格なのである。

こうした経過の中で、一つはっきりしたことがある。

首長にこのような強大な権力を与えているのは、住民(有権者)から選ばれたという事実であり、したがって首長の権力に対抗できるのは、唯一住民(有権者)だけだということ、しかもその住民の権力は選挙権(リコール権)を行使することによってのみ発揮できるという冷厳な事実であった。

かくして始まった住民のリコール要求は、法律で定められたいくつかの厳しい条件をクリアしながら、粛々と進められ、ついに村長から一切の権力を剥奪することに成功した。

民主主義の原則は、首長に明確で強大な権力を与えている。しかし、それは住民(有権者)が彼を首長に選んだという事実が唯一の根拠となっているのであって、首長の「剥き出しの権力」に対抗できるのは、国民(有権者)がリコール権という「剥き出しの権力」を行使することによってのみなのである。

民主主義の骨格は、選挙で選ばれた者に保証される強大な権力と、選挙権を行使することができる住民(有権者)の権力とでバランスさせる、いざという時には二つの権力が互いに全力で戦って決着をつける形を想定しているのである。

本埜村長リコール運動の直前、合併を求める住民の圧倒的な意思を「署名」で集めて、それを村長に突きつけるという運動も出てきた。しかし、案の定、住民の8割以上が署名した訴えを突きつけられても、村長はびくともしなかった。こうした状況において、署名だの請願、陳情といった、聞く耳を持たない相手との「交渉」は一切役に立たない。

世間体、不動人気を気にせず、剥き出しの権力を行使している相手に対しては、彼を権力者として選んだ者が、こちらも剥き出しの権力を使って、引きずりおろすしか手はないのである。それだけが、民主主義の冷厳な原則なのである。

* 本埜村長リコール運動の下で進められた印西市、印旛村、本埜村の合併については、こちら(http://chiba-newtown.jp/Gappei/Gappei2ndDX.htm)を参照のこと。

いんざい産学官まちづくり懇話会

2011年7月18日 月曜日

7月14日、千葉ニュータウン中央駅近くにある、いんざい産学連携センターの会議室で、「いんざい産学官まちづくり懇話会」の設立第1回会議が開かれた(News&Data参照)。

懇話会設立を呼びかけた印西市の狙いは理解できる。市内には、4つの大学、一つの高等学校(学)をはじめ、国道464号線沿いに有力な企業、研究所など(産)が進出しており、今後の印西市のまちづくりを考えていく上で、これらは魅力的で有力な地域資源となる。こうした恵まれた「学」「産」の機能と連携しない手はない。市の呼びかけに応えて会議に参加した「学」「産」側の人たちも、概して積極的にまちづくりに関わっていこうという姿勢も感じられ、この連携が今後多くの実りをもたらすことを期待する。

ただ、会議を途中までだが傍聴していて、少し物足りない感じがしたことも事実である。

一つは、懇話会に多くの魅力的な「学」「産」分野の地域資源が結集したことは間違いないのだろうが、これらの魅力的な地域資源をくっつける接着剤というか、連携して、さて何をやるのかという方向性が見えてこないことである。なるほど、印西市にはまちづくりに活用できそうな、さまざまな魅力的な資源がある、つまり供給側の「役者」は揃っていることはわかった。で、これらの名優たちを束ねてどんなシナリオの劇を上演するの? というところで、その先が見えてこないのである。

このシナリオを提示することができるのは、懇話会を呼びかけた印西市以外には考えられない。というより、各「役者」たちは、当日の会議でもそれぞれ独自の取り組みについて報告していたように、誰からも言われなくても、それぞれ独自にまちづくりに取り組んでいる。「連携」して何をやるかは、連携を呼びかけた者が提示するしかない。

果たして、印西市にそうしたシナリオはあるのか。そもそもおおよそのシナリオもなく、「名優」たちに呼びかけたのではないのか。

もう一つ感じたのは、錚々たる学術機関や有力な企業と連携してのまちづくり推進というのは、たしかに一つの望ましい方向であり、これだけ魅力的な学・産の資源が存在する以上、こうした取り組みをしない方がおかしいといえるのだろうが、一方で、それ以前の、もっと初歩的なレベルでの地域の中小企業や若者が参加したまちづくりへの取り組み、あるいはそうした取り組みについての基本的な考え方が必ずしもはっきりしていないことをどう見るか、である。

印西市には、地域の中小企業をどう育て、独自のまちづくりに役立てていくという意味での産業政策があるのか、ないのか、はっきりと見えてこない。

国道464号沿いに集積している有力な企業や大学などの力を活用してのまちづくりも大事だろうが、それとともに、いやそれ以前に地域に古くからある、しかも昨今の経済情勢の中で苦しんでいる地域企業に対して、どのような支援、育成策を考えているのか、いないのか。

ここ数十年間、千葉ニュータウン事業が進展し、ニュータウン地区に大型商業施設などが進出してにぎやかになる一方で、在来市街地はさびれ、シャッター通りと化してきた。印西市の行政は、ニュータウン地区の整備をURや企業庁に任せっきりにする中で、在来市街地のまちづくりに対して、どんな体系的で継続的な手を打ってきたのか。

ここ数年、ニュータウンをはじめとして印西市内での大型建設工事、公共事業は活発に進められてきたが、多くの地元の中小建設企業の関係者から聞こえてくるのは、「これだけあちこちで槌音が聞かれる中で、地元の建設業者がばたばた倒産している地域って、いったいどうなってるのやら」という声ばかりである。

これだけ活発に建設工事、公共事業があるのなら、その中で地元の中小建設業者にでもできる工事があるはず。工事を一括して大手ゼネコンに丸投げする前に、地元の中小業者にできる部分は、より分けて地元業者優先で発注するなど、「地域の中小企業育成」「地域の産業政策」の観点からの施策を実施すべきではないのか。

そうしたことが地道に行われて来てこその「祝・産学官まちづくり懇話会発足」となるのではないか。

7月14日発足した「産学官まちづくり懇話会」に、仕事がなくて倒産の危機におびえる地元の中小建設業者は、関われる部分はあるのか。これによって少しでも救われる業者はいるのか。

みちくさ図書館

2011年7月12日 火曜日

NPO法人を作って「民間図書館」というプロジェクトを進めているOさんという若者に会った。

民間図書館というのは、商店街の空き店舗などを利用して、誰でも無料で本の貸出サービスを利用できる図書館を運営する事業。図書は、地域の人たちが読み終えた本を寄付してもらい、貸出業務などに当たるスタッフはボランティア、貸し出す本にかけるカバーに地域企業などの広告を載せ、広告料収入を運営費(家賃その他)に充てる。

Oさんたちは、すでに船橋市近辺に6館を運営しているほか、最近京都にも1館開設している。

Oさんとは、1ヶ月ほど前にある会合で会い、「民間図書館」の話を聞いているうちに、非常に面白いアイディアなので、千葉ニュータウンでもどこかで開設、運営していけないかと思い、これまで場所と人の両サイドから、いろいろなところを当たったり、相談したりしてきた。そうするうちに、Tさんがこの話に興味をもち、まず実際に運営しているところを見学し、話を聞いてみたいということになり、今日Oさんの案内で船橋市の中心部にある民間図書館第1号の現場を見学、併せて詳しい話を聞いてきた。

千葉ニュータウンでこのアイディアを形にする場合、私は「みちくさ図書館」のコンセプトで進められないかと思っている。住宅地の中あるいは空き店舗でもいいが、小学校から帰宅途中の子供たちが、気軽に立ち寄れる場所。そこに子供用、大人用のいろんな本(漫画を含む)が置いてあり、できれば図書館の隅に「駄菓子屋」コーナーも欲しい。

下校途中の児童が犯罪に巻き込まれる事件が起きて、現在は子供たちの下校ルートには高齢者などの「見守り隊」が子供たちの安全を見守っている。確かに、下校途中の子供たちの安全は守られなければならないが、一方で、学校の門から自宅玄関まで、一直線に(安全に)帰ることで、下校途中の子供たちが「道草」を食う「楽しみ」までも奪われてしまうことになった。

やはり、子供たちにとって下校途中の「道草」は、必要なのではないか、というより、「道草」の全くない登下校なんて・・・・、何だか可哀想な気がする。

下校途中の子供たちが、安全に「道草」を食い、読書にも親しむ、ついでに駄菓子も・・・・という空間があったら、楽しいのではないか。蛍光色のジャンパーを着て、下校の子供たちの安全を見守っている高齢者たちにも声をかけて、「みちくさ図書館」の運営ボランティアも手伝ってもらえれば、高齢者と子供たちのふれあい、交流といった面でも、面白い空間になるのではないか。

最前線で国策を支える人のハシゴをはずす国のトップ

2011年7月7日 木曜日

海江田経済産業相の「安全宣言」を受けて、九州電力玄海原子力発電所2、3号機の運転再開を了承(7月4日)していた玄海町の岸本英雄町長が、7日になって再開了承を撤回すると、九電の社長に伝えたという。報道では、撤回の理由として、①菅首相が急遽ストレステストを実施する方針を打ち出したため、運転再開そのものが先送りとなること、②九電の「やらせメール」の発覚、の2つがあげられている。

センセーショナリズムという点で言えば、「やらせメール」の発覚の方が派手に騒がれているが、本質的な問題としては、菅首相が「またもや」思いつき的にストレステストを実施する方針を急遽打ち出したことの方が、はるかに深刻な問題ではないか。

原発立地市町村の首長が、国(経産相)の「安全宣言」に対応して、原発の運転再開を認める姿勢を打ち出した後で、首相がさらに耐性試験の方針を急遽打ち出して、再開スケジュールそのものを先送りしてしまうというのでは、国のエネルギー政策(国策)に最前線で協力しようとしている首長が、国によってハシゴをはずされたも同然である。まさに「やってらんない!」と叫びたいところだろう。

この時点で原発の再開を認める姿勢を示すというのは、地方の首長にとって非常に政治的リスクの高い、重い重い決断だったろう。それを国の方からハシゴをはずされたのではたまったものではない。

民主党のトップはどうしてこういう愚かなハシゴはずしばかりやらかすのか。

鳩山前首相は、普天間飛行場の移転問題で、自民党政権下で何とかまとまっていたキャンプ・シュワブへの移転コンセンサス(それには、地元の知事や首長などの血のにじむような協力、努力があった)を自らひっくり返し、つまり、政府や日米間の合意に協力的な姿勢を示していた関係者すべての顔にドロを塗りまくり、迷走に迷走を重ねたあげく、元の案しかないことを認めざるを得なくなって、政権を投げ出した。その後は、それまでずっと協力的だった沖縄県知事も、今度は「県外移設」を頑なに主張せざるを得なくなっていた。

今回の玄海原発の再稼働問題でも、同じような迷走が繰り返され、結局同じような「ねじれ」が残されるのではないか。もし、そうなったらすべては政府、というよりも菅直人個人の責任というほかない。

井尻千男「明智光秀」(海竜社、2010)

2011年7月7日 木曜日

今まで読んだり、TVドラマ等で見てきた歴史物では、「本能寺の変」というのは、明智光秀という知性は高いが、やや神経質な武将が、主君信長の激しい譴責に耐えかねて、遂にクーデターを起こし、主君を倒すのには成功したものの、所詮は無計画な反乱だったため「三日天下」に終わったという、大筋のストーリーだったと思う。しかし、冷静に考えると、このストーリーはどうにも分からない、納得できない部分が多く残る。

本書は、そうした従来のストーリーに敢然と異を唱え、明智光秀という武将の本質的な姿、何よりも当時の社会情勢の中で、光秀的なものと信長的なものとが、何をめぐって争っていたのか、「本能寺の変」の歴史的な意義に改めてスポットを当て直すとともに、現代のわれわれの歴史観にも大きな楔を打ち込む書だといえる。

本書が従来の歴史(ストーリー)と大きく異なる視点は、まず織田信長が日本史上きわめて特異な権力者であり、比叡山を焼き払い、高野聖を大量殺戮し、足利幕府を倒し、正親町天皇に退位を要求するという一連の動きは、わが国の万世一系の歴史を否定し、支那の易姓革命をめざしたものと性格づける。対する光秀は古典的な教養、美意識を豊かに蓄え、信長という権力者がこれ以上存在し続けることの危険性を、ある一定の「仲間」と共通認識として、立ち上がったというのが、「本能寺の変」についての位置づけである。

計画もなく、一時の怨恨に駆られて主君を討ち、その後直ちに秀吉に滅ぼされる(三日天下)という経過も、クーデターというより、テロリズムと考えた方が、歴史の解釈としては従来のストーリーよりもはるかに「合理的」に思える。光秀としては、信長という「危険物」を取り除くことが最大のテーマだったのであり、別に自分が信長に代わって天下を取るなどということは、最初から考えてもいなかった、逆に言うと、信長という人物が、中世的なくびきから日本を解放した「革命児」でも「英雄」でもなく、足利幕府を倒しながらもその後の政権のあり方を提示するでもなく、さらには正親町天皇に退位を迫るという、歴史を破壊するだけ、創造とは無縁のニヒリストと、本書では位置づけられている。

これまでの信長像、光秀像とはほとんど180度逆の見方であり、本能寺の変の位置づけもこれまでのストーリーをひっくり返す視点を与えてくれる書といえる。同時に、これまでのストーリーそのものが、歴史というものを「価値」の格闘と見るよりも、現代人のわれわれの薄っぺらな意識(一種のニヒリズム)でしか見ていない、現代の歴史観に対する強烈なアンチテーゼを提示しているように思える。