急遽、ある会合で挨拶する必要が生じたので、下記の原稿を書いた。
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急なご指名だったので、朝ネットで「今日は何の日?」というのを調べましたら、「原子力の日」と「フロの日」というのが出てきました。
昭和38年(1963)10月26日、茨城県東海村の日本原子力研究所で日本初の原子力発電に成功しました(JPDR)。昔、ちょっとこの辺りの取材をしたことがあったのですが、祝賀会場に電球を飾り、その電球に原子力で起こした電気が通じて、明るく灯がともった瞬間、会場に参加していた関係者が皆拍手と歓声で大喜びしたというような、目に浮かぶような話を、当時第一線でこのプロジェクトに関わっていた責任者から聞いたことがあります。
何度か車で東海村に通って、当時の責任者の話を聞くという行脚活動を続けていたのですが、話を聞いていて一番印象に残ったのは、原子力開発の初期の頃は、原子力も日本の経済や社会も、極めて低い、貧しいレベルにあったのですが、それでもここに関わっている人たちが皆生き生きとして、明るい希望を持って、前進していたことです。「昨日よりも今日、今日よりも明日」、自分たちの生活も原子力も必ず良くなっていくんだという、みんなが底抜けに明るい信念をもって突き進んでいた時代でした。
今からでは想像もつかないと思いますが、新幹線が当時「夢の超特急」と呼ばれたように、原子力の分野でもいろいろなものに「夢の」という枕詞がついて語られていました(夢の高速増殖炉など)。
その原子力が、3月11日の大震災と東電福島原発の事故によって、いまやほとんど将来への展望など語れない状況にいるわけです。
東電の事故は、まだ収束への途中段階にあるので、もちろん将来の展望どころの話ではないのはわかりますが、同じようにもう原子力はダメだから、一気に再生可能エネルギーに突き進もうというような風潮にも、危うさを感じます。原子力がダメだとしても、これまで日本の電力の3割以上を供給してきた原子力に代わりうるエネルギー源がそう簡単に開発されるとは思えませんし、ムリにことを進めると、市場原理を無視した、国民生活に大きな負担を強いる結果にもなりかねません。
最近、私は「ごく微量の放射線は、むしろ人間の健康に良い」という説を、大量のデータとともに発表し続けている、ある学者の活動に注目しています。
われわれ素人でも、ラドン温泉の効用やCTスキャンの威力は知っていますし、たしかに微量放射線のお世話にはなっているわけです。
たまたま今日は「原子力の日」であると同時に「フロの日」でもあるので、この際、もう一度原子力、放射線を「危険」「悪魔」という見方から、われわれがそこから受けてきた「恩恵」という側面をも見ながら、バランスのとれた長期的なエネルギー政策の方向を考えていったらどうかと思います。
もう一つの「バランス」として、「脱原発」を主張するのなら、日本だけでなく、中国が進めようとしている大量の原発建設計画にも強く反対し、そのような国際世論を沸き起こしていくべきだと思います。あのような高速(および地下鉄)鉄道事故を起こし、あのような事故処理をする国が大量の原発を建設するなど、まさに狂気(凶器?)の沙汰としいうほかありません。
いくら日本で国内の原発のすべてを運転停止させたとしても、中国で事故が起これば、放射能が偏西風に乗って、あるいは黄砂に含まれて、わが国土にも流れてくる可能性が大きい(現に、中国が何度も地上核実験を行っていた頃、黄砂にはかなりの放射能が含まれていたといわれます)。一度原発で事故が起きた後の事故処理だって、国際的な常識からは想像もできないような杜撰で、はた迷惑なことが行われるのではないでしょうか。
今、東電を頂点とする日本の原発推進体制全体が非難の矢面に立たされていますが、今も原発の構内で危険を顧みず頑張っている技術者や作業員、初期の頃活躍した自衛隊、消防なども含めて、日本の原発推進体制、それに関わる人たちのモラルや組織的な訓練度などは、やはり世界最高だと思います。それでも、あれだけ困難、大変さが伴ったのです。これが、あの鉄道事故を起こした中国で、同じような事故が起きたら、どんな事態になるか、想像するだに恐ろしい。
「脱原発」を主張する人たちは、中国に向かっても声高にそれを言うべきです。国会や東電にデモをかけるのと同時に、中国大使館前でも大きな怒りと懸念の声を揚げるべきでしょう。