2011年11月 のアーカイブ

仲俊二郎「この国は俺が守る―田中角栄アメリカに屈せず」

2011年11月23日 水曜日

千葉ニュータウン在住の著者・仲俊二郎氏の最新作である。前著「我れ百倍働けど悔いなし」(本紙4月9日付で紹介)では、伝説の商社マン・海部八郎が、そして近著では不世出の政治家・田中角栄が主人公である。

これら二作を通読してみて、作者の問題意識の核というか、各作品の基底部分に流れている「通奏低音」のようなものに触れた気がした。海部八郎も田中角栄も、自らが奉じる企業なり国家なりに、私心なく持てるものをすべて捧げ尽くし、それでいて最後は世間から理不尽な攻撃を受け、悲劇的で無念な最期を迎えるというパターンを辿っている。

本書では、田中角栄は政治家らしからぬ純な熱情をもち、「私」よりも「公」を上位に置くことを真骨頂とし、「自分の夢は国民を幸せにするための政策実行」であり、そのために多数決の議会で数を確保するとともに、自民党を維持するための資金集めに率先して手を汚してきた人物として描かれている。そして、総理就任3ヶ月で実現した日中国交正常化、さらには世界を股にかけた独自の資源外交、北方領土問題を含むソ連との平和条約交渉に精力的に取り組んだことが、アメリカ(特に、キッシンジャー大統領補佐官)の「虎の尾」を踏んだことから、やがて「田中金脈」批判からロッキード事件での失脚へと運命が暗転していく。

角栄氏の人物像も、失脚へのプロセスも、長い間マスコミが振りまいてきた「金権政治」「闇将軍」といった負のイメージからすると、ほぼ逆転といってもいいプラスのイメージで描かれている。

著者のいう「良きにつけ悪しきにつけ、田中は成熟した大人の政治家だった。気骨に満ちた信念の政治家だった。・・・・そんな田中に比べ、今日の為政者の何とスケールの小さなことか。内政にせよ外交にせよ、国益と国民の幸福という大局観を持たず、ただ自己保身だけに汲々とし・・・・」は、現在のわれわれの社会が陥っている病的な状況を、田中角栄という人物を通すことで鮮やかに映し出している。

「気骨に満ちた信念の政治家」のいた時代から、「大局観を持たず、自己保身だけに汲々とする」政治家ばっかりという状況へ導びかれる中で、政治も経済も、大震災からの復旧復興も、デフレ脱却も、格差是正も、結局は何ひとつ問題解決ができないまま、衰退の道を辿るのか。いつからこんな日本になってしまったのか、どこで道を間違えたのか、どこまで遡ってやり直せば、再び日が昇るチャンスに巡り会えるのか。

そのためのヒントを、冒頭にあげた仲氏の二作品は多く含んでいるように思う。

井尻千男「明智光秀」

2011年11月4日 金曜日

本書を読んでいて、戦後日本の教育を受け、何もかも個人の自由に委ねられ、個人の尊厳が何よりも重視される社会に生きてきた私たちが、いかに歴史や社会そのものを薄っぺらに見ているかを思い知らされた気がした。

「戦国時代」「下克上」「国盗り合戦」等々の文脈でしか歴史を見ることを知らない私たちには、明智光秀がどうして信長を討ったか、信長という人物が当時の社会の中で何をしようとしていたか、光秀は信長の何が許せなかったために「謀反に」立ち上がったのか、永遠にわからないし、想像することさえできなかった。

本書によれば、信長という人物は「室町幕府を打倒したのに、自ら幕府をひらこうとしないばかりか、密かに正親町天皇に退位を迫るなど、朝廷との対立を深めるばかり」、光秀ら当時の正統的な知識人、武将(政治家)の眼には、信長が「国体の危機」をもたらす、危険きわまりない人物として映っていた。比叡山を焼き払い、室町幕府を倒した(破壊)だけで、その後の政治的安定機構を創り出す(創造)ことには全く無頓着な信長こそは、巨大なニヒリズム的存在であり、だからこそこれを取り除くことが、当時最大の正義だったとして、描かれている。

本書がどこまで明智光秀という人物の真実を描ききっているのか、それは知らない。が、このような明確な価値観をもって当時の武将たちが死闘を繰り広げていた可能性、多くの戦国武将が天皇の権威のもとに、これを補佐する機構として幕府を設置した「国のかたち」を求めて闘っていた可能性は、少なくとも戦後教育を受けたわれわれが脳裏に描いてきた、戦国の人々が単なる権力闘争のための権力闘争に明け暮れ、理想も理念もなくただただ目の前の敵を倒すことだけに人生をすり減らしていたとの想像よりは、はるかにあり得べき、歴史に対する合理的な解釈といえるのではないか。

明智光秀が、信長から数度にわたる譴責、叱責を受けた、単なる個人的な不満や怒りを募らせ、ついに主君・信長打倒に立ち上がったというような荒唐無稽とも言うべき「物語」ではなく、戦国武将をはじめとする当時の人たちが何を尊重し、何のために命がけで闘っていたかを忘れた、歴史の見方は、それ自体一種のニヒリズムと言われてもしかたがない。本書を読んでいて、頭をなぐられたようなショックを受けたのは、そのことである。

戦後の個人主義で洗脳されてきたわれわれは、戦国時代はもとより歴史そのものを、単なる「政局」としてしか見てこなかったのではないか。もう少し、「政策」をも視野に入れて歴史を見ていかないと、本当の姿は見えてこない気がする。

井尻千男「明智光秀 正統を護った武将」(海竜社・2010年6月)