季とともに食を創る      
 こよみとともにりょうりをつくる
 花季 店主
 佐藤 豊

一  日本料理の調理場より 二  人のつながりが仕事を豊かにする
三  目利きになれ 四  自分の味覚、好みにこだわる
五  旬を楽しむ技術、旬をはずす知恵 六  ケツを振れ 蹴っ飛ばせ
七  基本は「おもてなしの心」 八  マニュアルで伝えられないもの
九  誰よりも先に 誰よりも後で  十  味をきわめる 
十一 市場に聴け  十二 消費不況を逆手にとって 
十三 日本の食文化を大切に  十四 不順な気候が料理にもたらす影響 
十五 じめじめした季節 爽やかな食事  十六 目で楽しめる料理 この時季いちばん 
十七 実りの秋へ 変わりゆく食材  十八 実りの秋だが、続く猛暑
十九 まだまだ続く猛暑の影響  二十 厳しさに耐えてこそ 
二十一 ラクな仕事を求めてはまる落とし穴 二十二 どんな仕事に就くか 決めるのは自分
二十三 それぞれの仕事に必要な「基礎体力」 二十四 豊かな山菜を楽しもう
二十五 こんな時だからこそ!! 「外食」のお勧め    

(月刊 千葉ニュータウン 平成21年4月11日号)

 料理の世界では、お客様に料理をお出しして、サービスしている時間は全体の3割、残りの7割の時間を仕込みに充てているといわれます。
これから、私の体験談に基づく日本料理の内側の世界をお見せします。料理が食卓に並ぶ前の世界を知っていただくことで、より味わい深く楽しんでいただけると思いますし、また若い人たちが料理の世界に興味をもってくれ、料理人をめざすきっかけにでもなってくれれば幸せです。

つらい修業が料理人を育てる

 和食の世界では、経験をつむことによって担当する持ち場が変わっていきます。最初からお刺身を引けるわけではありません。

 店によって順序は異なりますが、追い回しからはじまり、焼き場、揚場、脇鍋、脇板、八寸場、煮方、最後は花板を目指していくわけです。

 最初の追い回しというのは、要するに雑用係です。誰よりも早く調理場に入り、調理場を出るのは最後ですから、1日のうち18時間くらいは調理場で過ごしました。ミスをすれば殴られることもあり、忙しければ食事もとれません(こんなこと言ったら労働基準法にかかりそうですが)。

 それでいてお給料は大体手取りで10万円くらい。それでも、月2万円くらいは貯金していました。なにしろ、お金を使う暇がない。休みは週に1回もありませんでした。

 長くてきつい仕事ですが、これを修行と考えるのか、ただの長時間労働と考えるか、ここを頑張れるかどうかでこの先が決まってきます。

 残念ながら、最初の追い回しの時点で4割〜6割がたの若者が料理人をあきらめるようです。

 ただこの時のきつい仕事を経験していなかったら今の自分はなかったので、いい経験をさせてもらったと思います。

良い料理人になるために

 良い料理人になるのに何が必要か。手先が器用だからとか、味覚が鋭いなどというのは二の次。まずは根性があるかどうかです。このことは何の仕事においても同じだと思いますが、努力なくして職人は務まりません。努力することを軽視し、将来の為に頑張ろうではなく、今が楽しければそれでいいというような最近の風潮には不安を覚えます。

 『若いうちの苦労は買ってでもしろ』ということわざがありますが、今となってやっとわかってきました。自分の店を持った今でもまだまだ修行の身です。覚えること、勉強することは山ほどあります。一生涯勉強です。

 次に必要なのは感性。大げさに聞こえるかもしれませんが、料理は芸術です。味はもちろんのこと、見た目もよくなければいけません。器の上に作品をつくるのです。

 色合い、季節感の表現を勉強する為によく美術館通いもしました(それまではまったく芸術には興味がなかったのです)。

 最近では暖かくなり、店の庭にもいろいろな花が咲いてきてにぎやかになってきているので、それを見るたびに新たな創作意欲がわいてきます。

 (写真・季節の和菓子 桜香寄せ)


(月刊 千葉ニュータウン 平成21年5月9日号)

先輩にかわいがられる

 どんな職業でもそうでしょうが、良い料理人の条件の一つは先輩にかわいがられ、後輩から慕われることです。

 料理人というのは、同じ店にそんなに長い間いるものではありません。店の味は料理長の味、店によって仕事の仕方、味は違います。だから、一つの店しか経験していなければその店の味しかわかりません。

 私は大体3年〜5年位で店を移っていましたが、親父(料理長)や先輩にかわいがられていれば、次の店を紹介してもらえます。自分で新しい職場を探すより、紹介してもらったほうがより良い待遇で移ることができます。

 仕事で信頼される他に、職場外での付き合い、たとえば酒の付き合いは非常に大事です。私は先輩から誘われた酒の誘いは一度も断ったことがありません。断わってはいけないものだと思っています。

 そのせいか先輩には非常にかわいがってもらいました。ほとんど寝ないで職場に出勤したことも何度もありましたが、そこで仕事に支障をきたすようでは失格です。信頼がなくなり、次には誘ってもらえなくなります。

人と人とのつながりから
 酒の席での先輩の話は非常に勉強になり、職場では教えてもらえないことがたくさんあります。上司からの酒の誘いを平気で断ったりする人がいるようですが、実にもったいない。どれだけ信頼や、経験が得られるものか。

 他の世界と同様、料理人の世界も広いようで、意外と狭いものです。だから、縦のつながり、横のつながりが非常に大事になってきます。私の場合も、横浜、八王子、品川、成田とすべて親父や先輩の紹介で店を移ってきました。その時々に覚えた味、献立、仕事の仕方が自分の財産です。

 今の花季の味も自分の経験したすべての集大成の味です。人のつながりも大事にしております。今でも小僧(新入社員)の時の親父とも連絡を取っております。

 花季の調理場で手伝ってくれている金川直充君も成田で知り合った料理人の一人で私にとっても、花季にとってもなくてはならない人間です。彼も何軒も店を回って修行をしてきた職人です。私とは違う店を経験しているので、彼の仕事も非常に勉強になります。

 五月、花季の庭は一年で最も華やかな季節を迎えます。

 職人の経験が集大成された味を、お確かめに足をお運びくださいませ。


(月刊 千葉ニュータウン 平成21年6月13日号)

ブランドに惑わされないで

 食材選びは、あくまでも自分なりのしっかりした「目利き」を養うことだと思います。ブランドに惑わされるのは賢明ではありません。

 たとえば、大衆魚であるアジやサバも、大分県佐賀関の漁協が水揚げしたことを示すタグが付いた関あじ、関さばとなると、刺身料理用の高級魚として料理店などで高く引き取られます。

 でも、言うまでもなくアジもサバも回遊魚なのだから、その近辺の港に水揚げされるアジ、サバも品質的に変わるはずがありません(タグは付いていませんが)。

 このように、ブランドに惑わされず、自分の目でしっかりと選ぶことで、ブランド品と少しも違わない品物がはるかに安い値段で手に入れられることは、海産物の世界だけに限らないと思います。

 では、どうすれば「目利き」になれるか。やはり現場によく通い、自分の目、耳、五感で「良いもの」にふれることでしょう。

 料理人の場合は、市場に通うことがその第一歩となります。

市場には情報が詰まっている

 料理人の仕事のうち、だいたい7割の時間は「仕込み」に充てられます。プロの仕事ぶりというのは、みな同じようなものかもしれませんが、つまり大部分の仕事はお客様から見えない舞台裏での「アヒルの水かき」といっても過言ではないのです。

 その「アヒルの水かき」の始まりは、何と言っても市場通いでしょう。朝というよりまだ深夜に近い時間に起き出して市場に行き、良い食材を見きわめていきます。

 生鮮食品を扱う市場には、毎日行ってみなければわからない、新鮮な情報がいっぱい詰まっています。その食材に最も合った料理、メニューを考えたり、時にはあらかじめ考えていたメニューを食材に合わせて変更することもあります。

 行く前に、これを買おうと決めて行っても、いろいろ見て回るうちに、別の食材に変えることで予算が浮き、浮いた予算でメニューにもう1品つけるといったことなど、料理というのは、まさに「生きている市場」との対話の中から生まれると言ってもいいほどです。

 食材選びとともに、市場に通うもう一つの楽しみは、仲買人さんとの対話です。仲買人さんたちと仲良くなることで、実にいろいろな情報が得られるのも、市場のおもしろさです。


(月刊 千葉ニュータウン 平成21年7月11日号)

 味覚というのは、非常にデリケートで、個人的なものです。

 私たちは、自分が味わった味、食感等を他の人に正確に伝えることはできません。極端な話、自分が味わった味は、自分だけの感覚かもしれない、他の人は違った味を感じているかもしれないけど、それをお互いにうまく伝え合うことはできないわけです。

 だから、美味しいと感じたり、それほどでもないと感じたりするのは、かなり個人差があると思います。

 良い料理人というのは、どんなお客様の口にも合う、誰からも称讃される料理を作ることができる人といったイメージが一般にはあるかもしれませんが、しかし、それは違うと思います。

 むしろ良い料理人ほど、それぞれ「こだわりの味、食感」といったものをもっていて、頑固なまでに「自分の味」にこだわっています。料理人がそれぞれ独自の味感、こだわりを追求するからこそ、それがお客様それぞれの好みや琴線にうまく触れた時に、料理が感動を呼び、納得していただけるのだと思います。

 プロの料理人といえども、いや毎日さまざまな好みのお客様に心のこもった料理を提供しなければならないプロの料理人だからこそ、「自分の味」、自分なりのイメージを捨ててしまったら、凡庸な味しか作れなくなってしまいます。

 だから、自分が美味しいと思ったものを作る、自分の味覚、イメージにとことんこだわり、育てていくことが、プロとしてやっていく上で、一番大事だと思います。

 こうした好みの上で、それぞれの食材に合った「煮る」「焼く」「炊く」「時間」といった要素で、自分の流儀を作っていくのが、料理人としてのこだわりだと思って、毎日厨房に立っています。


(月刊 千葉ニュータウン 平成21年8月8日号)

 この時期、早松茸という、お勧めの食材があります。

 言うまでもなく、松茸のシーズンはこれから秋になってからですが、旬になってからの松茸は1本3000円ほどにもなるので、それほど手軽に、惜しみなくメニューに使うわけにはいきません。それに先駆けて7月から8月上旬にかけての時期、中国産の松茸が出回りますが、これが傘は開かず、実もしっかりしていて、価格も市場で500円から1000円程度と格安で手に入ります。味、香りとも旬と変わらないものが、はるかに手頃な値段で入手できるのですから、これを使わない手はありません。

 ちょうど、連休などのシーズンに行楽地に行くと、身動きもできないほど混んでいるのに、少し時期をずらせるだけで、同じ観光、サービスがゆったりと楽しめるというのと似ています。

 因みに、松茸は夏から秋にかけての数ヶ月間にわたって、まず中国産、次いで韓国産が登場してから、秋本番に国産、11月頃になってもカナダ産、トルコ産と変遷していくので、時期々々にそれぞれの適性やその年の出来具合などを見ながら入手、メニューを考えていくことが、本当に松茸という食材を使い切ることだといえます。

 天然の食材が季節によってさまざまに装いを変えていくのは松茸ばかりでなく、これから旬を迎えるさんまなども、季節によって、また年によって変化します。

 今年は5月頃からさんまが出回り、しかも例年になく脂が乗っているのが特徴です。例年だと、早い時期のさんまは刺身で使うことが多いのですが、今年のさんまは早くから焼き魚などに使える上に、価格も例年に比べて格安で手にはいるので、これも今お勧めの食材といえます。

その他、北海道産のピュア・ホワイトというトウモロコシの品種が美味しい時期を迎えています。実が白く、生でも食べられるのが特徴ですが、少しこげ目をつけて、モロ味噌で召し上がると、瑞々しい、ほんのり甘い食感がお勧めです。

季節ごとに変わりゆく食材を楽しんでください。


(月刊 千葉ニュータウン 平成21年9月12日号)

 「もっとケツを振るんだ!」。一升瓶に入った吸地を大鍋に空けようとしている見習い修行中の板前に、先輩の叱咤する声が飛びます。見習い君、必死に指示に従おうとするのですが、先輩の怒鳴り声と剣幕に押され、混乱するばかり、ついには恥ずかしそうに体をくねらせ始めました。

 「バカ、お前のケツを振ってどうするんだ、瓶のケツを振るんだよ!」

 何やら、落語に出てくるような場面ですが、実際に調理場であった話です。

 仕込み時の調理場はまるで戦場です。

 男の職場、時間との勝負という環境の中で、職人たちがいかに自分の意思を共同作業の仲間に簡潔・的確に相手に伝えるかということから、いろいろなスラング(隠語、業界用語)が使われてきました。

 いくつか紹介しましょう。

 料理法では、「蹴っ飛ばす」という言葉が使われていますが、これは「炒める」の意味です。

 「アタリ」というのも、いろいろな場面でよく聞かれます。「味」の意味では、「アタリをつける」「アタリをみる」などと使います。また、縁起かつぎで「すり鉢」のことを「あたり鉢」、「摺る」を「あたる」などと言い換えます。

 「アガル」もいろいろな意味をもっているようで、「料理があがる(できあがる)」のほか、「板前があがる」というのは、(板前という)職を辞める意味で使われます。また、「魚があがる」といえば、魚が「死ぬ」意味になります。

 料理は早く食べないと風味が落ちます。「アシが早い」といえば、「傷みやすい」の意。なるべく作ったそばから順序よくテーブルに出していく必要から、同じ料理でも先に作ったものを「アンチャン」、後から作ったものを「オトウト」と呼び、アンチャンから先に出していきます。

 天ぷらには大根おろしが添えられ、そのピラミッドの頂上には生姜がのっていますが、この様子を「ボウズ」といいます。しかし、その他にも「若い板前」もボウズと呼ばれ、客が一人も来ない日もボウズと言われるのは、何か共通点があるのかどうか、知りません。

 他の伝統的な社会と同様、和食職人の世界も最近では徐々に変わってきており、このような板前言葉が飛びかう光景も少なくなってきた感じがします。そのことは、単に面白いスラングが使われなくなってきているというだけでなく、料理の世界での修業、技術の伝承、先輩・後輩の関係といったものが変質しつつあるのかもしれません。


(月刊 千葉ニュータウン 平成21年10月10日号)

 皆さんは懐石料理という言葉を聞いて、どんなイメージを連想されますか。

 上品な薄味、ヘルシー、見た目にも美しい盛りつけ・・・・、しかし、懐石料理にはもう一つ大きな特色があります。それは、「人(お客様)をもてなす心」であり、これこそが他の料理と比べて、懐石料理に際立った基本中の基本といえます。

 千利休の茶懐石に源を発する懐石料理は、「おもてなしの心」こそがその真髄であり、極寒の季節に開いた茶会で、利休は帰路につく客のためにその草履を自らの懐(ふところ)に入れて温めたというエピソードが伝えられているように、賓客に少しでも快く過ごしてもらうことに意を尽くす、そのような心、気配りを茶懐石の最も重要な「芯」としました。

 先日もテレビで雪深い温泉旅館で、訪ねてくる客のために、雪を踏みしめる女将さんの姿が紹介されていましたが、このようなこまやかな気配りこそ、懐石料理やそれにつながる日本のサービス業の最大の特質といえます。

 懐石料理では、切身の魚は食卓に出す前に、お客様が食べやすいように、中骨を一本一本「骨アタリ」(毛抜きのような道具)で抜いて調理します。手間がかかる作業ですが、決して手間を惜しまないことこそ、懐石料理の基本です。

 お客様に快く過ごしていただくために、調理では味はもちろん、見た目≠非常に重視します。たとえば、カボチャ、大根、芋類など根野菜は、煮くずれしないよう皮を剥く時、角を丸く剥く「面取り」を行います。

 硬い食材は、噛みきりやすいよう、裏面に包丁を入れます(隠し包丁)。反対に、見た目を美しくするために食材の表面に包丁を入れることを「飾り包丁」といいます。

 外国のレストランやホテルなどでは、客はサービス・スタッフに「チップ」を払う習慣が定着していますが、懐石料理の世界でも、客が帰り際に職人たちに直接「美味しかったよ」などと声をかけ、「心付け」をくださることはあります。

 チップはほとんど慣習化され、相場≠熕ャ立しているようで、客が店に支払う料金の中に実質的に組み込まれていますが、「心付け」はそういったものではありません。

 いわば、チップをあげないと、スタッフの機嫌を損ねるおそれがある一方、心付けはあげると、スタッフに感謝され、より一層お客様に喜んでもらえる料理を創ることにつながるといった違いがあるような気がします。

 料理をつくる人と、それを食し、楽しむ人の聞に心が通いあう――、それこそが懐石料理の真髄だといえます。


(月刊 千葉ニュータウン 平成21年11月14日号)

 最近、料理の世界もマニュアル全盛の感があります。全国展開のファミリーレストランなど、本部で作ったマニュアルに従って、簡単に手を加えるだけで料理が客席に運ばれるスタイルがごく普通に行われており、客席に料理を運ぶフロアでも、若いアルバイトのような人が、接客マニュアルで指示されたとおりの動きをしている、といった具合です。

 たしかに、全国に同じ味とサービスの店を計画的に出店していくためには、完璧なマニュアルがあれば、料理をつくる人も、フロアサービス係も、それほど勉強や経験を積まなくても、何とか仕事をこなしていける、そのようなシステムにしなければとてもやっていけないでしょう。

 しかし、「如何にしてお客様に美味しく食べていただくか」という思いで、毎日市場を駆け回り、仕入れてきた食材を厨房で仕込んでいる身からみると、こうした仕事をマニュアルでシステム化するなんていうことは、とても考えられません。もし、懐石料理の厨房の中をマニュアル化しようとしたら、ものすごく膨大な資料の山となり、読むのが大変で、たぶんマニュアルの用を足さなくなってしまうでしょう。

 たとえば、ある食材を「5分茹でる」とマニュアルに書いてある場合、システム化された厨房では5分茹でたらそのまま皿に盛りつけて食卓に並べるでしょう。懐石料理では、5分茹でた後、食べやすい味や硬さになっているか味見し、少し硬いようなら、もう一度手を加えます。

 また、プロの料理人が包丁を入れた刺身と、素人が切った刺身と、切断面を顕微鏡で見ると、素人の包丁が入った刺身の方は細胞がつぶれてグチャグチャになっているのに対して、プロの料理人の方は細胞の配列もきれいに揃っていることが確認できます。

 こうしたことは、長年の修業を積んで初めて身につくもので、マニュアルで即製できるものではないと思います。

 今は、何でもマニュアルで片がつくような風潮ですが、よく注意してみると「マニュアルの落とし穴」があちこちで出てきているのではないでしょうか。いろいろな仕事場で、昔なら考えられなかったような事故が起きているのを時々耳にします。

 マニュアルも人間が作ったものであり、100%完璧なものではなく、ずっと使われているうちに「劣化」も起こるでしょう。どんな世界でも「基本」というものがあり、それを身につけるのを怠って、マニュアルだけでやろうとすると、どこかに大きな落とし穴が口を開けて待っているという警告ではないでしょうか。

 (写真・食膳に添えられる、季節感あふれる「食べる彫刻」)


(月刊 千葉ニュータウン 平成21年12月12日号)

(九)誰よりも先に 誰よりも後で

 19歳で板前の道を歩み始めました。

 修業時代は、「小僧」と呼ばれ、先輩の板前の一挙手一投足を見て仕事を覚えていきます。それも、すぐに料理をやらせてもらえるわけではなく、また先輩が手取り足取りして一から教えてくれるわけではありません。

 朝、調理場には誰よりも早く入り、タオル、まな板を洗ったり、親方や先輩が料理づくりにとりかかれるよう準備します。先輩たちが出勤してきたら、お茶を淹れるのも小僧の仕事です。

 仕事が終わったら、皆で食事をしますが、小僧はあらかじめその日の余り物を使って3〜4品料理を作らなければなりません。食事は、先輩たちが食べ始めた後、小僧が箸をつけるのは最後になります。それでいて、食べ終わるのは最初でなければならず、しかし後片付けをして調理場を出るのは最後です。

 その後、急いで従業員寮に戻って、風呂を沸かしたり、後から帰ってくる先輩たちを受け入れる準備をしておかなければならないからです。

 だから、職場に入るのは最初、出るのは最後、寮に着くのは誰よりも早くという、目まぐるしい毎日です。先輩たちが風呂に入り終わる午後11時頃、ようやく自分の時間ということになりますが、翌朝はまた午前6時頃には調理場に入っていなければなりません。

 調理場は焼き場、揚げ場、煮方、板(お造り)、八寸場(前菜)などの部門に分かれますが、小僧はそうした本格的な持ち場ではなく、米炊き、新香や果物を切ったりといった雑用で忙しく立ち働かなければなりません(追い回し)。

 板前になる夢を抱いて修業を始めた若者も、この「追い回し」の段階でやめてしまう人が少なくない、いや最近ではほとんどの若者がこの段階を乗り越えられずに、もっと楽な仕事場へと移っていっています。

 どんな仕事でもそうでしょうが、仕事というのはいったんレベルを落としたら、そこから上がることは難しく、若い頃、よりラクな職場を選んだツケは、その後の後悔となって、一生ついて回ることになります。

(写真・花季玄関の12月のデコレーション)


(月刊 千葉ニュータウン 平成22年1月9日号)

 あけましておめでとうございます。

 今年も、厨房の中で自分の「味」を究め、確立していき、お客様に満足していただくための努力を続けていきたいと思います。
 最近、和食の世界でも、中華や洋食の要素を取り入れ、新しいレシピを作り出す動きが出てきています。私も、時としてジャンルを超えた食材や料理法を取り入れることがあります。

 これは、いわゆる「創作料理」と呼ばれるものとは違い、あくまでも和食の閾を守りながら、新しい食材やそれに合った調理法を追求する試みです。和食の原点や精神はしっかり守りながらも、新しい食材の特徴、それを使った料理法については、常に勉強、挑戦を続けなくてはならないと考えています。

 「味」というのは、非常にデリケートなものであると同時に、個性的な性格のものだと思います。

 ある厨房で、直径60センチを越える大鍋で吸い物を作っています。いつものように、仕上げとして親方に味を見てもらうと、親方から酒を2,3滴加えるように指示されます。言われた弟子は、「あんな大きな鍋一杯の吸い物に酒を2,3滴垂らしても分かるわけがない」と考え、親方の指示を無視して、もう一度そのままの状態で親方に差し出します。

 すると、親方はもう一度同じ指示を出します。弟子も意地になって、もう一度何もしないままの吸い物を親方に持っていきます。

 と、親方はさらに「酒を2,3滴」と指示し、ついに弟子も半信半疑ながら、親方の指示どおりに酒を垂らしてから、再三度親方に持っていくと、ようやく親方から「これで良し」とOKが出たと、これはある料理場で実際にあった話です。

 私自身の経験ですが、料理を食べ終わったお客様から声がかかり、「あなたは○○ホテルで働いていたでしょう」と言われました。たしかに、それは以前私が務めていたホテルの名前です。

 このお客様は、そのホテルの料理の味がお好きということで、私の料理にも共通した「味」を発見して、それを褒めてくださったのでした。私も、このホテルの料理長の味を理想の味として追求してきていたので、そのことをお客様に分かっていただけたことで、大変嬉しく感じました。

 「味」というのは、どこまでも研ぎ澄まされるようにデリケートなものであると同時に、非常に個性的なものです。万人に歓迎される味というようなものはなく、やはり一人の料理人が創り出す「味」(個性)に、共鳴してくださるお客様がいらっしゃることが、私たち料理人の何よりもの支えとなります。

 今年も宜しくお願い申し上げます。

(写真・花季玄関の1月のデコレーション)


(月刊 千葉ニュータウン 平成22年2月13日付)

 プロの料理人がいちばん頭を悩ますのは、毎日の仕入れのことです。今日、どんな料理がどのくらい出るか、できるだけロスを少なくしたい・・・・。

 仕入れの基本は、私は毎日市場に行くことから始めます。市場こそ、料理を組み立てていくための情報の宝庫です。あらかじめ考えていたメニューが、市場でその日入荷したたくさんの食材を見て回るうちに変わり、その場で改めてメニューを考えるといったことも少なくありません。天候などの条件によって欲しいと思っていた食材が手に入らなかったり、値が高くてメニューに入れられないといったこともしばしば起こります。

 毎日市場に行くことで、より豊かなメニューが浮かんだり、食材のロスも少なくなります。

 ホテルのような大きな調理場は別として、私どものような店では、毎日市場に通い、そこで自分の目で食材を選ぶことが、最終的な料理の質をも左右するほど大事なことだと考えています。

 昔、ホテルの調理場で働いていた頃、アユの甘露煮を作ることになり、料理人の一人が電話で注文したのですが、アユ100本というところを、どこでどう間違ったか、届けられたのを見ると、100ケースも。数千本のアユが届いてしまったこともあります。

 実際に市場に足を運んでいれば考えられない、こんな失敗も、分業体制の大きな職場では時に起こります。

 当店は、今年5月で満6年を迎えます。

 それまで大きなお店で親方について、大勢の先輩、後輩と一緒に勉強してきて、自分の腕を試してみたいと思って独立した次第ですが、やはり毎日工夫して自分の料理を作ることができる、そしてお客様と直接対話しながら料理を考えたり、改良していける、現在の環境に大きな満足とやり甲斐を感じています。

 「自分の料理を作る」ための第一歩が、毎日市場に行き、新鮮な食材と対話しながら、料理を考えることなのです。

 (写真は、花季玄関の二月のデコレーション)


(月刊 千葉ニュータウン 平成22年3月13日付)

 リーマン・ショックやデフレといった昨今の経済情勢は、飲食業界にも大きな影を落としています。最近、客足が遠のき、売上減に頭を抱える同業者も少なくないようです。

 しかし、不況や客足の低迷を嘆いているばかりでは活路は拓けません。考えようによっては、この不況もピンチであるばかりでなく、チャンスでもあるのです。

 私は、毎日市場に通い、その日一番生きのいい、価格も手ごろな食材を調達し、メニューを組み立てます。

 最近では、その市場も不況のせいで元気がありません。市場から食材を仕入れる飲食店が元気がないから、市場の中の魚屋さんや、魚屋さんに魚介を提供する仕入れ業者も、セリで売れ残りが出やすくなっています。逆にいうと、いつもよりはるかに安い値段で良質の食材を手に入れるチャンスが、最近の市場には転がっているのです。

 先日も、発泡スチロール箱一杯のメダイをキロ350円で仕入れることができました。なじみの魚屋さんに顔を出すと、通常だとキロ900円程度はする魚を、「このままでは売れ残りになる、箱で持っていってくれるなら350円でいいよ」とのことでした。

 魚の場合、肉と違って、おろすと「歩留まり」は大体半分くらいになります。つまり、キロ900円の魚の歩留まりを考えると、実質的にはその2倍のお金を払っている計算になり、100グラムあたり180円となります。これが、キロ350円で買えたのですから、100グラムあたりでは70円となり、その差は非常に大きいのです。

 こうして、普段以上に「おトクな」値段で仕入れてきた食材を、当店ではお客様に提供するメニューの充実に使っています。メニュー一品に盛り込む食材の量や種類を増やしたり、通常のメニューにさらに一品追加して食卓にお出ししたり、とにかく毎日市場に通うことで得たメリットは、お客様へ還元することで、リピーターとなって再度ご来店いただけるよう、努めています。

 市場で安く食材を仕入れることができたのだから、メニューの値段も下げていくという「デフレ対策」もあるでしょうが、泥沼のような価格競争に巻き込まれる危険を冒すよりは、メニューの充実でお客様に納得していただくやり方を、当店は続けていきます。

(写真は、花季玄関の三月のデコレーション)


 クロマグロの国際商業取引を禁止するモナコの提案が否決されました。「食」に従事する者として、ひとまずホッとしたところですが、鯨といいマグロといい、昔から日本人が愛し、大事にしてきた食材が次々と、シーシェパードのような団体から目の敵にされるのを見ると、今後こうした資源がどうなっていくのか、心配です。

 鯨やマグロを食べるのは、一つの食文化なので、違った文化を持つ人たちがこれを批判したり、攻撃するのは、おかしいし、やめて欲しいというのが、多くの日本人が感じていることではないでしょうか。捕りすぎて、漁獲資源が枯渇してしまうという批判についても、日本の漁業はむしろ、昔からお互いに乱獲を慎み、きちんと資源管理をする「自然共生」型の漁業をしてきたわけで、彼らの批判は当たらないのです。

 反捕鯨などのグループは、資源が枯渇するかどうかよりも、日本や日本人に対する偏見から、われわれの食文化を攻撃しているようにさえ感じます。

 今回、幸いクロマグロの取引禁止という事態は避けられましたが、環境や動物保護を掲げて活動している彼らが、今後またどのような問題を持ち出してくるか心配です。

 鯨もマグロも、私たちの先祖が大事に育ててきた食材であり、食文化なのです。もともと、「食」というのは、その土地土地、民族によって、それぞれ特色のある個性豊かなものです。世界が狭くなっている現在、お互いに異なった食文化を尊重する態度がますます必要になっているのではないでしょうか。

 食文化というのは、長い歴史の中で、人々の生活とともに育てられてきたものです。日本は、いわれのない批判や攻撃にめげず、これからも自分たちの食文化を大切にし、政府は世界の人々に向かって積極的に理解を求めていく必要があるでしょう。

(写真は、この時期の花季玄関の飾り付け)


 和食は、とくに季節に敏感な料理です。季節感こそ和食の命ともいえます。

 しかし、まさにその季節感が、いま二つの意味でピンチを迎えています。

 一つは、不順な天候のせいで、私たちの季節感と実際の季節の進行とが少しずれてきていること、もう一つは、天候不順のせいで市場に行っても季節の食材が不安定になっていることです。

 今年の春は特に、花見だというのに雪が降ったり、春らしさが感じられない日々が続いています。このため、季節ごとのメニューを考える場合にも、暦どおりに企画しても、お客様が実際に感じている季節感とずれてしまうおそれがあります。メニューづくりにも、例年にない苦労が伴います。

 季節の食材の入手となると、さらに直接的な影響が出ています。

 春キャベツが美味しい時期ですが、市場へ行くと、昨年の倍以上の値段がつけられています。また、気候不順のせいか、味も例年より落ちる傾向にあります。

 天候不順で海も荒れ模様。漁師さんたちが漁に出られない日が続くと、市場への入荷ががくんと減ります。

 海産物も野菜も、量、質ともに難しくなっているこの頃です。

 さらにここに来て、アイスランドの火山噴火でノルウェー・サーモンが入ってこなくなり、今は国内にある冷凍ものの在庫を食いつぶしている状況で、その後は入荷の予定は一切ないというのも心配の種です。

 良質の食材を安く手に入れるということが、いろいろと難しくなっていますが、こんな時だからこそ、ますます毎日市場に通い、新鮮な情報と食材を手に入れることが大事になっていると感じる毎日です。

 (写真・さつき、つつじが見頃を迎える花季の庭)


 この季節、梅雨のじめじめした空気は、人の気持ちも湿っぽくなりがちです。

 しかし、しとしとと降る雨、どんよりした曇り空のこの季節は、来るべき猛暑の夏、動物も植物も1年でいちばん活発になる季節がもうすぐやってくる季節でもあります。

 この季節、食の世界では、鬱陶しい天候に負けないよう、なるべくさっぱりしたものをメニューに加えたり、その日の天候によって冷やしの煮物で夏を感じさせる演出を心がけます。

 雨の季節を楽しむ気持ちからは、寒天を3色に彩った甘味を紫陽花に見立てたり、青梅の鮮やかな緑を使って食卓を引き立てます。

 この季節の定番として、「いちじくの蜜煮」はアールグレイの紅茶を蜜で煮出した後、ゼラチンで固めたものにごまのクリームチーズをかけた甘味ですが、毎年これを楽しみにしてくださっているお客様も多いようです。

 毎年この時期に挑戦しているのは、「青梅の甘露煮」です。煮る時の火加減や時間もそうですが、煮る前に味を浸みさせるために針打ち(1個につき30回くらい)をするなど、丹念な作業が必要です。

 梅の鮮やかな緑色を保つ、実がシワにならない、梅の香りを大切になど、ほとんど「自己満足」の世界ですが、すべてがうまくいった時の、ばんばんに蜜を含んだ梅煮を見ると、4日間の悪戦苦闘が報われた気がするものです。

 本当に納得のいく青梅は、毎日市場に行っていても、この季節の中でも1週間くらいしか出回りません。その、一番良い時の青梅を入手してきて、すぐ仕込む必要があることも、料理人の心をくすぐります。

 暮れに仕込む正月の黒豆などもそうですが、土地々々でさまざまな料理が伝わっている甘露煮系の料理は、いずれも手間がかかるうえに、技術的にも難しい、良い食材を入手できる期間が短いといった特徴があります。

 手間がかかる料理ですが、そのすべての手間に「意味がある」もので、料理の奥深さを感じさせてくれます。


 今年も盛夏の季節がやってきました。

 懐石料理の板前にとって、実はこの時季の料理を作るのがいちばん楽しいのです。というのは、この季節、実に色とりどりの食材が市場に出回り、献立を組み立てるのに、味ばかりでなく、色や形、目で楽しめる料理が、ほとんど無数といってもいいくらい考えられるからです。

 緑、黄、赤など、どんな色でも食卓に並べることができるのが、この季節なので、メニューも色彩を考えながら組み立てていきます。そのように、いろいろな食材や色の組み合わせを試みても、夏季の2ヶ月ではとても使い切れないくらいのバリエーションがあります。

 そのように「目で楽しめる」効果を計算しながら、メニューを作り、お客様の卓へお出しした時、お客様から料理が「まあ、きれいね」と言われるのが、作る側のもう一つの楽しみでもあります。

 猛暑のこの季節、見た目ばかりでなく、味についてもできるだけ爽やかさを味わっていただくことをめざします。

 和食の中心素材である魚も、夏場になると脂が薄く、淡泊な味わいになります。ナス、きうり、蓮イモなどの夏野菜も豊富に出てきます。錦糸瓜というカボチャの仲間などは、輪切りにして湯がくと、均一の細さの繊維状にほぐれるので、まるで麺のような感覚で扱うことができます。夏場に涼を呼ぶ秀逸な食材です。

 また、滝川豆腐といって、豆乳をゼラチンと寒天で固めたのを、天突きで川の流れのように並べ、うすめのタレに青柚子を振って食べるなど、いかにも涼感を誘う食材や料理でお客様をお待ちします。

 夏場の料理には、お酒も重要な一役を買います。懐石料理では、わりと味の濃い吟醸系の酒ではなく、口当たりが良く、さらっとしている純米酒がお薦めです。夏場の淡泊になった魚料理には、冷やの日本酒がよく合います。

 酒も料理も、季節ごと、また料理ごとに合うものを選んで、楽しんでいただくのが一番です。


 少し前まで、8月はなんといっても旧盆で、猛暑の中人もまちも休む季節というイメージが濃かったのですが、最近ではお正月もそうですが、人々はお盆の季節も昔ほど家の中でじっとしているわけではなく、日常どおりの生活パターンを続ける人が多くなっている感じがします。

 特に、ファミリーレストランの影響もあるのでしょうが、外食も増えているようです。多くの人が「お盆」という特別な行事の季節というより、「連休」の一つととらえているのではないでしょうか。

 当店でも、それまでお盆は店を休んでいたのですが、お客様のご要望もあって、数年前からお盆期間も営業するようになっています。

 8月は、実りの秋、食欲の秋への「序奏」の季節、食材も夏ものと秋ものとが入れ替わっていく季節です。

 7月初めか8月上旬頃市場に出てくる早松茸に代表されるように、本格的なシーズンだと高くて容易に手が出ない食材でも、この時季は値段が安いため、料理などにたっぷりと使える、しかもカサが開かず、実もしっかりしている、大変おトクな食材が見つかります。

 今、こうして安く手に入る松茸を昼の前菜にも使うなど、贅沢な使い方をしていますが、9月になって値が高くなってからだと、こういう使い方はできません。

 お客様にも、この時季の松茸を心待ちにしてらっしゃる方も多いようです。

 現在、280円の牛丼が話題になるなど、デフレ下での価格競争がますます厳しさを増しています。しかし、大資本のチェーン店ならいざしらず、当店のようなところは、価格そのものでの競争に巻き込まれるわけにはいきません。

 私は、こんなふうに考えています。

 「280円の牛丼は、食べなくても安いとわかる」「当店の料理は、食べ終わったお客様から『これなら安い』と言っていただけるものをめざす」。

 早松茸のように、時期をずらせることで安価な食材を探すこともその一つですが、とにかく食べた後で納得していただける料理とサービスをめざして、毎日工夫を重ねています。


 9月は、天高く馬肥ゆる$H欲の秋の入り口です。

 しかし、今年は9月に入っても衰えを知らぬ残暑が続き、長かった猛暑の影響とともに、例年どおりの「秋」が訪れるのか、少し心配です。

 猛暑の影響は、いろいろな食材にも出ており、たとえば夏野菜が価格が高い上に品質も例年に比べて劣る傾向にあります。スイカだけは例外で、甘味十分ですが、それ以外では、良質の食材を集めるのに苦労する毎日です。

 魚も、かつてない厳しい状況です。

 暑い日が続くと、魚にアブラがノッてこない。秋といえば、サンマやカツオですが、全体的にアブラのノリが悪く、アブラのノリが身上である戻り鰹などは、今のままの状況が続くと、厳しいことになりそうです。

 サンマも、8月下旬の段階で北海道での漁獲が厳しく、これから秋に向かって南下していきますが、北海道の漁獲量が例年の100分の1ともいわれていて、ついには刺身用のサンマ1本2000円という例も伝えられています。

 暑さの影響による赤潮の発生も魚の不漁の一因となっています。

 反面、エビやイカなど、輸入ものは円高の影響で安くなっています。これが、今年の秋の食材で、唯一明るい材料という感じです。

 しかし、過ごしやすくなった気候のもと、夏休みが終わり、家庭の奥様方もホッと一息、ご近所お誘いあわせでランチタイムを楽しんだり、また運動会など家族一緒のイベントの後での会食、といった機会が増える季節でもあります。

 料理人としては、いかにお客様に秋の味覚を味わっていただけるか、市場に通い、必死に食材を選ぶ毎日が続きます。食材の入り具合によっては、月のうち何度もメニューを変えなければならないこともありそうです。

(写真)花季玄関・秋の飾り付け。


 10月2日、千葉国体(山岳競技)のご観戦に印西を来訪された常陸宮ご夫妻が、その途次私どもの店に立ち寄られ、昼食を召し上がっていただきました。まことに名誉なことであり、ご多忙の中来訪されたご夫妻にとりまして、しばしのくつろぎの時間となるよう、スタッフ一同心からのおもてなしを尽くさせていただきました。

 さて、今年の猛暑の影響はまだまだ続いており、市場で食材を求める際の苦労が絶えません。

 ここにきて、野菜などは少し値下がりしてきた感じがしますが、果物では、ブドウなど、実がつきだした頃猛暑に見舞われた影響が心配され、栗なども粒が小さい。米も猛暑から身を守るため殻が大きくなる分、実は小さめになります。

 魚類では、ひと頃1尾2000円という値をつけて話題になったサンマは、さすがにその後値段は下がってきましたが、まだアブラがのっていない感じで、漁場も例年に比べて南下が遅れており、9月末現在で仙台あたりまでしか来ていないようです。

 ハマチ、カンパチといった養殖ものは、猛暑による赤潮の発生で全滅、このため生もの市場での争奪戦の様相を呈しています。カンパチなどキロ1300円程度だったのが、いまや2000円といった値がついています。

 天候の影響ばかりでなく、不景気になると市場にモノが揃わなくなるという傾向も悪循環に拍車をかけています。時々、お客様からの注文を受けて、特定の魚などをこちらから注文するような場合、セリをやってみなければ価格がいくらになるかわからないといったことも起こります。

 それでも何とか冷凍ものでなく、生のものを使いたいと思い、市場通いを続けていますが、軒並み高値に上がっている市場の中で、質の良い食材を探すのは本当に大変な毎日です。


  (編集長より)「花季」店主・佐藤豊さんのエッセイ、今回は少し趣向を変え、小紙との対談形式で話を進めることにします。毎回、佐藤店主の原稿を編集しながら、和食と毎日それを作っている料理人たちの懐の深さ、彼らが厳しい修業で身につけてきたものの中身の濃さといったことを感じてきましたが、インタビュー形式で、さらにプロの料理人のこだわり、本音に迫っていければと思います。

 本紙 いつも小紙に素晴らしいエッセイを書いていただき、ありがとうございます。エッセイには、和食の舞台裏が描かれ、「厨房からみた世界」がじんわりと伝わってくる気がします。特に、これまでの話の中で、修業時代の話が印象的だったので、その辺からお聞きしていきたいと思います。

 佐藤 料理人の仕事というのは「3K」です。特に、修業時代は長時間できつい仕事、親方や先輩の言うことが絶対という世界です。一緒に弟子入りした仲間も1年もすると半分はやめてしまい、その後もどんどん減っていき、30代まで料理人として残る者は少ないのが現状です。

 本紙 30代、ですか。その場合、残る人と辞めていってしまう人とを分けるものは何だと思いますか。

 佐藤 やはり、今が楽しくないとすぐ辞めてしまうという傾向があって、最近それがますます強まっている気がします。しかし、それでは修業にはならない。今が良くなくても、我慢して技術や知識を身につけることで、将来が開けてくるというのは、どの世界でも同じではないでしょうか。

 本紙 日本人が弱くなっている、あるいはワガママになっているという指摘はよく耳にします。子供の頃から「個性尊重」とかで、我慢することを教えないから、成人してからもちょっとした逆境に見舞われると、耐えられないという話も聞きます。

 佐藤 社会全体が弱い人間しか育てられなくなっているような気がします。相撲やオリンピックなどのスポーツの世界でも、日本の選手は技術的には優れているかもしれませんが、何となくひ弱というかハングリー精神に欠けているのでしょう。

 子供の頃から我慢することを覚えさせられていないから、社会に出てもちょっとしたことにも我慢ができない。それでも我慢して仕事をやっているとウツになってしまう。最近特に多いのは、仕事をしている時だけウツになるというのだそうです。

 本紙 先ほどの話では、料理人を志願してくる若い人たちにもそうした傾向がみられるとのことですが。

 佐藤 面接の時に、自分は根性があるとアピールする若者に聞くと、学校のクラブ活動を熱心にやったからというような話です。でも、クラブ活動のように自分が好きなことを一生懸命やったというのと、仕事に就いて苦労する、一人前の料理人として必要な技術や心構えを身につけるというのとは全然違うのです。

 好きも嫌いもない、耐えながらでしか身につかないものってあると思います。

 本紙 修業というのは、要するに何を学ぶのでしょうか。お話を伺っているのと、何やらマニュアルのようなものがあるわけでもなさそうだし、技術、知識といっても、具体的にどんなものなのか、いまひとつイメージがつかめません。

 佐藤 マニュアルのようなものはありません。技術や知識といっても、言葉で現せるものはホンの一部で、あとは毎日々々親方や先輩のすることを傍らで見たり、親方のする仕事のホンの一部を手伝ったりすることで、文字通り体で覚えていくわけです。

 本紙 その辺をもう少し詳しくお聞きしたいと思いますが、以下次号で。


 本紙 最近では、職業的な訓練というと何かしら「マニュアル」のようなものに沿って、わりとはっきりした手順、工程を覚えていくというプロセスが当たり前のようになっていますが、少し前までは、どこの世界でも教育というのは基礎から積み重ねていき、次第に応用問題へ、そして最後に実践という段階を踏むのが当たり前でした。

 佐藤 和食職人の修業というのは、前にも言ったように「3K」であり、親方や先輩の言うことには、理屈もマニュアルもなく「絶対服従」、それがイヤなら辞めるしかないという世界です。しかし、そうした厳しい、一見合理的でないような修業も、一人前の料理人となり、自分で一つの厨房、店を切り盛りできるようになった時、初めて報われるわけで、「3K」の修業時代がなかったら、このような料理は絶対できません。

 本紙 最近の「マニュアル全盛」といった風潮の始まりは、1983年に開園した東京ディズニーランド(TDL)だったのではないかと思います。ここでは、入園すると、若いスタッフたちが「こんにちは!」という挨拶でにこやかに迎えてくれる。園内にはゴミ箱が全くなく、客が紙くずなどを捨てると、箒とちり取りをもったスタッフがどこからともなく現れ、さっとごみを片づけてしまう。

 こうしたことがすべてマニュアルによって管理されているのが、TDLの特徴であり、マニュアルによる研修さえ終えれば、アルバイトだろうとパートだろうと、立派な一人前のスタッフとして、客への対応も堂々とこなせるようになるというわけです。

 短期間のマニュアルで一人前のスタッフに仕上げてしまうスタイルは、日本の職場環境を大きく変え、その後のファミレスの隆盛とそこで働く大量の若いスタッフを生み出しました。それまで一人前の労働力と見なされていなかった高校生にまで大量の職場を提供し、また「若い店長」も出現しました。実は、これが後に「名ばかり管理職」の問題にもつながってきたのだと思いますが。

 こうしたスタイルの変化とあいまって、その後日本の社会はバブル期を迎え、若者の働き方に決定的な変化が生まれます。

 決まった会社に縛られるのを嫌い、フリーアルバイター、派遣社員といったスタイルを選ぶ若者が増加する一方、終身雇用や年功序列といった労働慣習に疑問符が投げかけられるようになっていきます。

 佐藤 しかし、最近では、名ばかり管理職とか、派遣と正社員との格差など、デメリットが目につくようになりました。

 本紙 そのとおりです。今では「負」の側面ばかりが目につき、大きな社会問題にもなっていますが、当初はむしろ「束縛が少なくて、カッコいい」とばかりにもてはやされる風潮の中で、そうしたものが生まれてきたのは事実です。

 佐藤 修業時代の辛さに耐えかねて、一緒に入った仲間がどんどん辞めていきましたが、当時の風潮の中では辞めて、もっとラクな仕事に移っていくのが「カッコいい」、私のように残って、親方や先輩にしごかれる道を選んだのは、最高に「カッコ悪い」生き方だったのかもしれませんね(笑い)。

 本紙 そうです(笑い)。

 ディズニーランドとその後のバブル期に、日本人の仕事に対する考え方、働き方が大きく変わったのは否定できません。それは、最近騒がれている「格差」とか「閉塞感」といった問題にも陰に陽に影響を与えていると思います。

 佐藤 ファミレスの中には、料理などほとんど勉強したことのないアルバイトの学生が、本部から送られてくるレシピだけで料理を作り、それを客席に出すようなところもあります。やはりわれわれからみると、「お金をいただく」料理にはほど遠いと思うのですが、一見したところではなかなか違いが見えにくいかもしれません。もちろん、違いを見えにくくすることも、マニュアルに書いてあるのでしょうが。

 本紙 先日、チェーン展開の居酒屋に入って、寒い日だったので熱燗を頼もうと、店の若いスタッフにメニューに載っている日本酒の銘柄の中でどれが熱燗で旨いか相談したら、「どれでも、温めれば熱燗で飲めますよ」という迷回答をもらって、ガックリ来たことがあります。マニュアルのメッキは案外簡単にはがれるものかもしれませんよ(笑い)。

 佐藤 料理は「心」であり、懐石料理の場合、一番大切なことは「おもてなしの心」です。マニュアルで一朝一夕に育てられるものではありません。

(写真)晩秋のこの時季、庭一面に咲き乱れる姫蔓蕎麦(ひめつるそば)の花


 本紙 これまで「厨房からみた仕事観」という視点で、仕事(職業)に対する見方、向き合い方について、料理人としての修業時代の経験をも踏まえて、お考えを聞いてきました。厳しい修行に耐えることの必要性というのはわかるのですが、一方では「就職氷河期」で、修業に耐えるチャンスすら与えられない若者が大量にいるのも事実です。

 佐藤 職に就きたくて、何度も面接に行ったり、もの凄い努力をしているのに就職できない、たくさんの若者がいるのは事実です。ただ、自分がどんな仕事をやりたいのかはっきりしないまま、卒業が近づいたから職探しという人が多いのではないかと感じます。就職戦線で人気のある大企業に集中し、中小企業にはほとんど無関心という傾向も気がかりです。就職までも「ブランド志向」なのか。もちろん、全部がそうだというわけではないでしょうが。

 本紙 先日も「就職氷河期」を伝えるテレビで、中小企業の求人担当者が「自分らのような企業や仕事のことは、なかなか知ってもらえない」と、ぼやいていました。

 佐藤 不況のせいで求人数が減っていることも確かでしょうが、みんなが限られた大企業をめざして集中するから、ますます狭き門になっているという面もあると思うのです。みんなとは別のところで、自分独自の目で探せば、いろいろな仕事が世の中にはあるのではないでしょうか。だから、自分が本当に何をやりたいのか、どんな仕事(会社にではなく)に就きたいのか、きちんと決めてから「就活」すべきだと思うし、それは好不況に関係ない鉄則と思います。

 本紙 よく言われるように「就社」志望ではなく、本当に「就職」志望かどうかということですね。

 佐藤 私自身、高校を卒業して料理の専門学校に入った時、それまでの友達は、ほとんど大学へ進学していきました。学歴社会の中で、自分の選択はどうだったのかとも思いましたが、逆にそのことが、立派な料理人となって、大学に行った連中を見返してやるというバネとして、厳しい修行に耐える原動力にもなったと思っています。大学に行ったら行ったで、「就活」の時に「大学まで出て、そんな仕事・・・・」という気持ちが、「ブランド」以外の企業や職種に目を向けさせない垣根となっているのだったら、何のための大学だったのかということにもなります。

 本紙 「ブランド」というのは一種の「情報」です。現在の「就活」事情を観察していると、みんなが「情報」に振り回されている面もありますね。これもテレビで見た風景ですが、「就活」中の若い女性が、片時もスマートフォンを手離さず、刻一刻と送信されてくる求人情報をチェックしている場面がありましたが、考えてみると、多くの若者が携帯端末をもって分秒を争って同じ情報源にアクセスしていることになります。つまり、他人との差別化、他人よりも優位に立つための情報ではなく、ひたすら他人に遅れをとらないための情報の入手にしのぎを削っているわけで、何とも過酷な「情報社会の中の就活戦線」と感じました。

 佐藤 「情報に振り回される」といえば、以前「味いちもんめ」というドラマがテレビで放映されると、料理人志望の若者が増えるといった現象がみられたこともあります。流行を追っかけるような気持ちで、料理人になろうと志望しても、厳しい修行に絶対ついていけません。

 (写真)カラスミ。今年も手作りで大量に作りました。正月明けから使っていきます。


「月刊 千葉ニュータウン」平成23年2月12日号

  「頑張った人間が報われる社会に」ということがよく言われます。これ自体は立派な理念であり、目標だと思いますが、中には、自分で自分を「頑張っている」とホメているだけで、「それなのに報われない」と僻んでしまう傾向、仕事などがうまくいかないことへの言い訳でしかない場合もみられるようです。

 評価というのは、自分が自分にするものではなく、他人にしてもらうものです。本当に頑張っている人は、端からみていてもわかるものです。

 そういうことも曖昧になっている現代の日本は、社会が個人を甘やかし、子供の頃から本当の厳しさを経験することなく大人になってしまう、ある意味で「不幸な」社会という気がします。昔は、子供が何か悪いことをすると、近所の大人から叱られたり、また大人に成長していく段階で「若者宿」のような教育の場があったけれど、今は全体に若者を「シメる」場がなくなっています。若者の表情も、徴兵制のある韓国の若者などに比べて、日本の若者はどことなく緊張感が感じられず、仕草もどこかだらしない感じがする場合が多いように感じられます。

 以前もふれましたが、料理の仕事場は「3K」であり、仕事の中身は基本は肉体労働です。手先が器用かどうかは、二の次、三の次で、何よりも大事なのは、長時間の肉体労働に耐える「根性」です。早い話、十数時間立ちっぱなしで仕事ができることが、プロの料理人として通用する条件といってもいい、要するに料理人としての「基礎体力」を身につけることが、若いころの修業の中心です。若い頃厳しい修行に耐えた経験がなく、脱サラなどで中年になってから飲食店の経営などに乗り出しても、この「基礎体力」が身についていないことが、いざという時に踏ん張れないことにもなるのです。

 最近は、「根性」とか「修業」と言っただけで敬遠される風潮ですが、そういう風潮が中小企業をダメにし、現場の技術力を衰えさせてきたのではないでしょうか。ニュースを見ていると、昔なら考えられないような事故やトラブルが起きているような気がします。それぞれの仕事の現場で必要な「基礎体力」とか基礎的な素養が、個人としても、チーム全体としても欠けているために起こったとしか思えないような事故の報を耳にすることが多くなりました。事故やトラブルが起こるたびに、責任者がテレビカメラの前で頭を下げ、「再発防止」を誓いますが、「基礎体力」の問題までさかのぼって反省しないと、再発防止などできないのではないでしょうか。

 「お金をもらって仕事をする」プロ意識を支えるのは、厳しい修業を通して身についた「基礎体力」であり、「根性」であるのは、世の中がどれだけ情報化、国際化しても、変わらない真実だと思います。

この季節、玄関先でお客様を迎える雛飾り。

「月刊 千葉ニュータウン」平成23年3月12日号

 和食の料理人にとって、春という季節は、一気に登場してくる豊富な食材に迷う季節です。植物も動物も、眠りから目覚め、華やかな彩りを添えながら、活力を取りもどすこの季節、ワラビ、コゴミ、蕗の薹といった山菜、魚もサクラマスといった季節の魚が出回り、少し経つと初がつお、筍なども出てきます。

 サクラマスという魚は、もとはヤマメですが、これが海に出ていくとマス、皮に残るとヤマメになるという面白い魚です。海に出て行ったマスが川に戻ってくるのがこの季節なのです。

 こうした豊富な食材のどれを使うか、どれとどれを組み合わせるか、料理人は楽しい迷いを味わいます。特に、これまでと打ってかわって、食材の「色」が一気に華やかになるので、組合せを考えるのが本当に楽しめます。

 楽しいといえば、食材、特に自分で野山を駆け回って、山菜を採る楽しみもこの時季ならではの楽しみです。住宅地周辺の里山は山菜の宝庫です。

 タゼリ、ヨモギ、ゼンマイなどなど、里山を散策しながら、田のあぜ道や小さな流れの土手など、よく探せば、食材になる山菜が多く見つけられます。

 同じ山菜でも、スーパーなどで買う栽培ものと違って、実際に野山で自分で採ってきたものは、独特に苦みなど、素朴な季節感が口いっぱいに広がります。

 この地域に住んで、春の山菜摘みの楽しみを味わわないのは何とももったいない気がします。

 ここ数年、千葉ニュータウン地域は大型店の進出や住宅の建設などで以前と比べると、空き地や草原がなくなってきましたが、10年ほど前の風景を思い浮かべても、今大型マンションやお店などが建っている場所の多くが見渡す限りの草原だったり、こんもりと木々が茂る林だったりしていて、そこで今頃の季節は山菜取りの人々で賑わったものです。

 今でもニュータウン地区から一歩足を伸ばせば山菜がたくさん自生している場所を探し出すことは難しくないと思います。今年は、よく晴れた春の一日、里山をゆったりと散歩して、自分で山菜を見つけ、夕べの食卓を飾ってみませんか。

この季節、庭に咲き誇る水仙。

「月刊 千葉ニュータウン」平成23年4月9日号

 東日本大震災と巨大津波の影響で発生した東京電力福島原発の事故の影響は、「食」の世界でも大きな爪痕を残し、これからも長期的な影響が残っていくことが心配されます。

 特に、福島や茨城産の野菜が出荷停止になったり、水が乳幼児対象に摂取制限といったニュースが流れると、市場では大きな影響、混乱が続いています。

 食の安全とか健康に関わる問題なので、人々が不安を抱き、慎重になるのはわかりますが、やはりこんな時だからこそ冷静に、しっかりと自分の目と頭で判断していかないといけないと思います。特に、こういう時にみんなで気をつけないといけないのは、「風評被害」だと思います。

 テレビや新聞で、福島や茨城産というだけで問題のない野菜までが流通段階で取り引きを断られたり、敬遠されたりしているという報道をみると、同じ「食」に従事する者として心が痛みます。丹精こめて作った野菜などの食材が、「風評被害」のために消費者のところまで届かなくなったり、1箱1円で取り引きされるといった話を耳にすると、何ともいえない気持ちになります。

 一方では、一時期あんなに不安がられた中国野菜が大増産されて、どしどし輸入されるという話も聞こえてきます。原発の事故でどのくらいの放射線が飛び、健康にどのくらいの影響があるかという情報は、毎日覚えきれないくらい報道されていますが、中国野菜についての情報はどうなんでしょう。原発被災地の野菜よりも安全だと、果たして言えるのでしょうか。

 野菜や牛乳への風評被害の報道をみていると、消費者が自分で安全性を確かめているのではなく、とにかく「○○県」と名がついた野菜は敬遠するといった、あいかわらずの「ブランド志向」にとらわれているとしか思えません。「賢い消費者」にはほど遠いのではないでしょうか。

 未曾有の災害に遭った東北地方を支援する意味でも、風評被害に惑わされず、これらの産地から送られてきた野菜などを率先して買ったり、食べることが最大の支援になるのではないでしょうか。

 テレビを見ていたら、コメンテーターが「とりあえず外食をする」ことを勧めていました。節電が叫ばれていますが、一軒一軒毎食料理するよりも、食堂やレストランで外食した方が、節電にもなります。「こんな時に外食など」という気分があることは確かですが、大きな災害に見舞われたからこそ、比較的被害が軽かった地域では、経済的な活力を取り戻すためにも、いたずらに気持ちを委縮させるのでなく、前向きな日常生活を取り戻すことが、甚大な被害を受けた地域を長期的に支援していくためにも必要なのではないでしょうか。

この季節、玄関先を飾る武者人形・兜