【本埜村】
村長解職
住民・議会が起ち上がる
 月刊 千葉ニュータウン2009年9月12日付

 小川利彦本埜村長のリコールを求める住民による「解職請求」手続きが始まった。

 「本埜村 合併署名に連帯する会」主催による住民決起大会が9月5日午後1時から滝野小学校体育館で開かれ、約100人の住民が集まった。集まりでは、土井栄、山本昴両代表が、村長解職請求までに至った経緯などを説明した。また、議会で村長不信任を付議する臨時会の招集を求めている6名の議員も参加、議会で不信任を追求するとともに、住民によるリコールの運動にも最大限協力することを、各議員が次々に起ち上がって表明した。

 土井さんらは、週が開けた7日(月)午前9時「解職請求書」を村の選挙管理委員会に届け出て、受理された。

 今後は、9月11日に請求代表者証明書の交付を受けて、12日から署名を開始する予定としており、10月10日までに有権者の3分の1(約2300人)以上の署名集めをめざす。

 「連帯する会」では、リコールの場合、有権者の3分の1署名が集まれば、来年1月後半に村長失職となり、また議会での不信任が可決されれば、12月半ばに村長失職となるとみて、住民と議会が連帯し、リコールと不信任の両面から村長の解職を求めていく方針。

自治法違反と公約破り
リコールの理由

 土井栄さんらが村に提出した解職請求書では、2つの理由をあげて、小川村長の解職を求めている。

 第一は、7月7日付で岩井・吉本両議員が村長不信任を付議事件とする臨時会招集を請求し、地方自治法によれば、村長は20日以内に臨時会を招集しなければならないにもかかわらず、現在に至るまで臨時会を招集していない。この間、自治法違反状態が続いていることに対して、千葉県から技術的助言や勧告が行われたが、小川村長はこれらをも無視し、「自治体の首長が地方自治法を真正面から破っている」事態が続いている。

 第二に、小川村長が「合併推進」を公約に掲げて村長に当選しながら、印西市、印旛村との合併協議が進む中で、合併に否定的な言動を繰り返していることは、明らかに公約に反するもので、解職に値するとしている。

首長を選び・罷免するは、神聖にして侵すべからざる住民の権利

 ついに、本埜村民が小川村長リコールに起ち上がった。

 3年前の村長選では「合併の早期実現」を公約に掲げるも、当選後は合併実現のために有効な策を何一つ行わず、この間、合併の話が進まないのは印西市長が決断してくれないからとの言い訳に終始し、昨年10月24日その印西市長が合併協議を提案した途端に、「合併の必要性を感じない」立場に180度ひっくり返り、以後は合併協議会の場で、協議会副会長としての「責任」には頬被りし、専ら「個人的意見」を述べまくる、合併を求める村民の声には全く耳を傾けない一方で、一応*@的に認められている首長の「権限」は120%行使する、その延長上で、議員からの臨時議会招集請求を拒否し続け(地方自治法違反)、県から助言やら勧告が発せられても、知らんぷり――、このところの小川利彦村長の軌跡≠一息で読み上げると、上のようになろう。

 およそ理想、信念、政策的な含意といったものがかけらも感じられないばかりでなく、人間の行動を規定する理≠ニか情≠ニいったものとも無縁の、ほとんどニヒリズムとさえ言いたくなる行動の軌跡、要するに「メチャクチャ」というしかない、小川氏の言動に、本埜村民も隣接する市村の関係者も引きずり回された後に、ついに辿りついた村長リコールである。

 来年3月23日の1市2村での合併めざし、住民たちの果敢な挑戦は休むことなく続く。
住民は首長の「任命権者」

 解職請求でも最大の理由にあげられていたが、議会の召集請求拒否(地方自治法違反)という小川氏の行為が、最終的に住民の堪忍袋の緒を切ったといえる。

 この際、地方自治法101条に違反した場合の罰則規定がない点について、そもそも法律の制定者は、首長があからさまに自治法の条文を破るなどという事態を想定していないために、罰則が設けられていないという趣旨の解説を耳にしたし、小紙もそのようなニュアンスで記事を書いてきた。

 しかし、その後さらに多くの人と議論をしたり、1市2村の合併をめぐって、この間見聞きしたことを整理するうちに、首長が自治法に違反した行動を取ることを、法律の制定者が「想定していなかった」という解釈は少し違うのではないかとの考えが起こってきた。

 すなわち、自治法を制定した人たちは、首長が法律に違反する事態も起こりうることを十分想定した上で、しかしながら、そのような事態はもはや自治法という一法律の枠内で、罰則規定を設けることなどによって処理することはできないという、基本的な考え方というか一種の哲学に基づいて、それ以上の規定を設けなかったと考えるのが妥当ではないか。

 この点は、もう少し専門家の話を集めるなどしていく必要があるが、要は首長が地方自治の憲法ともいうべき法律に公然と違反する事態というのは、首長としての存在基盤そのものに重大な疑念を抱かせる事態であり、首長とそれを選んだ住民との「契約」を根底から覆す事態というべきであり、だとすれば、こうした事態を処理できるのは、首長を選んだ住民自身しかいないという、透徹した哲学が根底にあると考えるべきではないか。

 いわば、住民こそ首長の「任命権者」、という想定に立てば、わかりやすいのかもしれない。

 今月中にも発足する鳩山由紀夫内閣で、ある大臣が不祥事を起こし、国民に迷惑をかけたという場合、任命権者である鳩山首相がこの大臣を何とかしなければならないのであって、こうした事態で、首相が裁判所に駆け込んで「あの大臣を何とかして欲しい」と訴えても、相手にされないだろう。

 それと同じことで、上記のような事態が起こった場合、住民自らが何とかしなければ、誰も(国も、裁判所のようなところも)住民やその地域を救ってはくれないという原則こそ、「民主主義」「主権在民」の本質なのではないか。

 住民が選んだ首長が、「世間様」に迷惑をかけているのだから、住民自らが何とかしなければならないのである。

 住民は、首長をリコールする「権利」があるというよりも、むしろリコールは住民の「義務」と考えるべきかもしれない。