住民参加の点と線

月刊 千葉ニュータウン2004年9月11日号〜12月11日号所載

 伝統的な社会に脈々と流れていた「住民参加」「住民自治」のシステムを都市化の波が崩壊させてきた。現在の都市型社会で議論、実施されている住民参加は、結局「点」としての参加でしかなく、これが「線」(または「面」)にならなければ、論多くして実りの少ない(頭でっかちの)「参加」にとどまり続けるのではないか。
 
村に息づく住民参加
 白井市議会で合併問題をめぐる住民投票条例の討議が行われていた三月下旬、本埜村で「地区別懇談会」という会合が、村内の各集落ごとに開催されていた。

 もちろん、この二つの動きは、それぞれまったく無関係に、ただ同時期に行われていたというだけの話だが、たまたま両方の会議を日をおかず続けて傍聴したこともあって、期せずして「住民参加のかたち」といったことを考えさせられることになった。

 本埜村の地区懇は、村長以下村の幹部が各ブロックをまわり、合併や村道の整備といった問題について住民に説明し、住民の意見を聞くもので、だいたい午後七時から二時間程度地区の青年館などで開催された。あるブロックで開催された地区懇を覗かせてもらったのだが、印象的だったのは、ウィークデーの夕方、それほど世帯数が多いとも思えないブロックなのに、部屋がいっぱいに埋まる出席者の多さであった。あとで聞くと、5割を超える世帯から出席しているのではないかとのことだった。出席者の多くは、この際だからとばかり、村長や村の幹部にけっこう言いたいことを言っている印象だった。

 この盛況ぶりをみて、思わず対比してしまったのだが、ニュータウン地区で同様の会合を開いても、出席率という点でいえば、問題にならないほど低調になるにちがいない。二市二村の合併協議が進展する中で、この間行政がさまざまな形で情報提供を行ったり、住民の意見を聞く場を設けてきたが、どの会場も出席者はまばらであり、行政の職員がさりげなく「サクラ」を買って出るなどの涙ぐましい努力で辛うじて体裁を保っていた会場も少なくないようである。どの会場でも「住民の無関心」が主催者の頭を悩ましていた。

 在来地区では昔からこのように行政などから声がかかると、何はともあれ一家を代表する者が出席して、行政の説明を聞いたり、それぞれが意見を交わすといったことが当たり前のように行われてきたようである。そうした雰囲気が特に本埜、印旛といった村部(の在来地区)ではまだかなり濃厚に残っている一方、印西、白井の市部では、都市化とともに急速に薄れてきたのだと思われる。
     
智恵子の錯覚
 『智恵子抄』の中で、上京してきたばかりの智恵子が「東京には空がないのね」とつぶやく有名な場面があるが、ビートたけし氏(たしか、三代くらい続いた東京の下町っ子)がこの部分を独特の表現で面白おかしく批判している。

 「東京にだって、昔はきれいな青空があったんだよ。空がなくなったのは、お前ら田舎者がわんさか東京に押し寄せてきて、街も空気も汚しまくったからじゃねぇか」。
 
 昨今の「住民参加」の議論を聞きながら、たまたま本埜村の地区懇を覗いたこともきっかけとなって、このエッセイを思い出した。もしかすると、われわれは皆、たけし氏から痛烈に批判された智恵子さんと同じ錯覚(ふつう世間ではそれを「カマトト」と呼ぶ)に陥っているのかもしれない。

 封建的とか田舎臭いとか、マイナーなイメージでみられることが多い地方の農村社会だが、実はかなり完成度の高い「住民参加」あるいは「住民自治」のシステムがずっと維持・運営されてきたことを示唆する材料をたくさん見つけることができる。そのような高度で洗練されたシステムを「都市化」や「ニュータウン開発」の流れが崩壊させてきたというのが実のところではないか。

 都市の住民は、自分たちで崩壊させてきたことに気づかずに、首長や議員、役場の職員の「閉鎖性」や「後進性」、「市民参加への無理解」等々を嘆いたりするが、それらのうちかなりの部分は、智恵子さんが陥ったのと同種類の錯覚ではないのか。

 「住民参加」を妨げているものがあるとしたら、それは頑迷な首長や姑息な官僚たちというよりも、《ニュータウン人》自身の都市化された生活様式によるところがはるかに大きいと思われる。たとえば、働き盛りの男性の多くは「千葉都民」というような言葉に象徴されるように、生活時間も意識も、その多くは勤務先である東京に注がれ、ここには寝るために帰ってくるだけといった生活スタイルを余儀なくされている。

 そうした状況および生活意識が支配する中で、行政の側がいくら「住民参加」の場や窓口を用意しても、「笛吹けど踊らず」的な光景が繰り返されるしかなかった。その度に、もっと住民の関心を呼ぶような情報の提供、住民への呼びかけ強化といった「努力」が行政の側に求められてきたが、上記のような生活スタイルや意識が変わらない限り、行政がいくら努力しても、住民の「無関心の壁」を打ち破るのはむずかしいのではないだろうか。
 
次男坊文化のまち
 千葉ニュータウンに住む人々の出身地を聞くと、出てこない都道府県はないといわれる。ほとんどの人が生まれ育った「故郷」を後にし、何度かの転居を繰り返した後、何年か前にここに移ってきたという経歴をもつ。さらに、そのうち多くの人は、今も故郷には実家があり、そこに年老いた親あるいは実家を継いだ長兄などが住んでいる。

 要するに、《ニュータウン人》の多くは、実家を継げなかったか、継ぐ必要がなかったか、あるいは継ぐことを拒否したか、とにかく人生のある時期に「故郷を(棄てて)出てきた」人たちということができる。多くの住民に共通するこのような経歴もまた、ニュータウンという土地柄、住民の気質、自分の住む地域への関わり方などに影響していると考えられる。いわば、「次男坊気質」のような遺伝子が、多くのニュータウン人に共通して宿っている可能性がある。

 ニュータウン人が故郷を出てきた時期としては、高校を卒業して大学に入学したり、就職するなど、子供から大人に「成人」していく時期だったケースがおそらく最も多いだろう。

 このような成人期、故郷に残った人たちは、それまで親が担っていた隣近所とのおつきあい、地域の会合などに一家を代表して出席する、町内会や青年団、消防団などの団体活動に参加する、等々の役割を徐々に親から受け継ぎ、地域社会に自分の存在を認知してもらうとともに、地域の中で一定の義務と責任と権利をもった、一人前の大人に育っていく(通過儀礼)。

 一方、その直前の時期に故郷を出てきてしまった人の場合、そのような成人期には学生あるいは独身サラリーマンとして、地域社会とはほとんど無関係・没交渉的に過ごしてしまう。どこの街でも、例えばごみ集積所の管理などでいちばん問題になるのが独身寮の住人であり、この時期の、特に男性は、地域社会では「鬼っ子」あるいは「透明人間」的な存在として扱われる。本人たちも、この期間を「モラトリアム」と感じている傾向が強い。

 もちろん、彼らも入学した大学とか就職した会社の職場などで、それなりの通過儀礼は経験するかもしれないが、そこは非常に限られた目的志向をもった、比較的同質の人間による閉じられた空間である。こうした環境で、いわば純粋培養された都市型人間が、結婚して郊外のベッドタウンに居を構え、さて自分の住む地域を見回してみると、何とも泥臭く、ダサい、低レベルで、しょうもないことばかりやっている人々であり、地域であるように見えても不思議はない。

 しかし、もっとよく観察してみると、泥臭くてダサくてしょうもない人々は、実はニュータウン人が故郷に残してきた親、兄妹と瓜二つの顔つき、表情であることに気がつくだろう。

 そこで一句(?)
     ニュータウン 棄郷の民の 吹きだまり
 
「民意の問い方」を問う
 最近各地で市町村合併の是非を問う住民投票が行われているが、合併問題で住民の意思を確認し、それを尊重する形式として、住民投票が最適なのか、「合併の是非」を問う住民投票によって、どれだけ正確に「住民の意思」を把握することができるのか、という基本的な疑問が頭に浮かぶ。

 率直に言って、行政が用意した合併問題の説明会、ワークショップ、地区懇談会のような場にもほとんど顔を出さない、行政が新聞織り込みで各戸に配るパンフレットなども気づかないで見落としてしまうことの多い住民が、住民投票のような新しい機会を提供されたとして、それを十分活かすことができるのだろうか。

 合併問題もそうだが、行政の取り組む課題、まちづくりというのは、一連の長いプロセスであり、その長いプロセス(線)の中のある一点(是か非か)についてだけ住民一人一人が意思を表明することが、それほど意味のあることなのだろうか。というか、住民の本当の意思表明(および表明された意思を行政の側が尊重し、活かしていくこと)というのは、日常的で長いプロセスを行政と住民が一緒にキャッチボールをすることでしか、実現しないものではないのか。

 たとえば、原子力発電所の建設計画を進めている行政・首長に対して、計画に反対する住民がそれをストップさせる目論見で住民投票を要求するケースならば、少なくとも反対運動を進める人たちにとっては、大きな意味のある政治的営為といえるだろう。原発誘致という行政側のプロセス(線)に対して、建設反対という大きな「断点」を打ち込む行為は、首長や行政にかなりのダメージを与え、「(反対派)住民の意思を反映させる」という意味では、多大な効果があるからだ。

 「原発反対」のような特定の問題(イシュー)に的を絞り、考え方を同じくする人たちが集まって繰り広げる運動は、「シングル・イシュー・ムーブメント」と呼ばれる。運動を進める人たちが自分たちの主張に同調する人をできるだけ多く集めて、住民投票での決着に持ちこむというかたちは、原発反対のようなシングル・イシュー・ムーブメントの場では、それなりに有効な、住民「意思」の確認方法であるかもしれないが、合併問題にはなじまないのではないか(もっとも、シングル・イシュー・ムーブメント的な発想と手法(最初に反対ありき)で合併問題に取り組む人たちにとっては、最高に「なじむ」のかもしれないが)。

 原発反対派は、住民投票での反対多数という「運動の成果」を最大限強調して、「住民意思の尊重」を首長や行政に迫る。しかし、この地域が原発計画を撤回した後、原発に代わる地域振興策、原発なしにどのように地域の発展をめざすかといった問題は、是か非かという「○×式」試験ではまったく顧みられない。論文形式や時に面接方式など、幅広い試験問題で適性を見抜き、検討していくプロセスが、とくに地域の問題では大事なのである。

 原発ストップを唯一の最優先課題と考える人たちにとっては、「多数の意思」によって原発計画を葬ることが最大の成果かもしれないが、原発の危険性と同じように、地域の長期的な発展、過疎化への歯止めといったことに関心がある一般の住民にしてみれば、それでは困るのである。このような住民にとっては、住民投票は不愉快な踏み絵であり、参加することによって一部の勢力に利用されるだけと感じられるかもしれない。

 合併のような問題にあっては、「是非」以上に、どんな住民がどんな思いから「是」としたり、「非」としたのかといったことの方が、大事だと思う。そのような住民のまちづくりへの思いを汲み上げていく中で、地域全体として合併問題での決断をしていく、透明なプロセスこそが「民意の尊重」であり、住民参加の本当の姿であろう。
  
横着な床屋
 白井の住民投票をめぐる住民と行政・議会との関係で問題だったのは、首長および議会の説明責任および決断責任がほとんど果たされなかった、結果的にはそれらの責任はすべて住民に押しつけられたことである。

 市長が合併に対する自らの姿勢をわかりやすく表明し、市民の疑問に丁寧に答えるといった場面は見られなかったし、議会に至っては、住民投票で合併反対票が市長による事前の「線引き」をはるかに上回ってしまったため、審議のチャンスさえ与えられなかった。

 市長は、さきに投票の結果反対票が有効投票の過半数、かつその得票数が投票資格者総数の四分の一を越えた場合は、合併議案を議会に付議することなく、合併を見送ることを表明していたが、投票結果は合併に「賛成」六七六二票、「反対」一万九二四五票、「どちらともいえない」一五三六票と、市長が設定していた、合併議案を付議しないための「条件」を軽々とクリアしてしまった。

 市長および議会(プロ)が、自らは「合併の是非」について説明責任を果たさないまま、住民(アマ)に対して是非についての判断を丸投げした経緯をみていて、落語のマクラでよく使われる「床屋のタオル」の咄を思い出してしまった。

 理髪店で気持ちよさそうに椅子に座ってヒゲ剃りを待っているお客の顔に、マスターが湯気のたったタオルをのせる。

 客「ウワッちっち、こんな熱いのをいきなり人の顔にのせる奴があるか、バカッ」
 マスター「す、すんません、私も熱くて持ってられなかったもンで・・・・」

 住民の皆さん、タオルの丸投げには気をつけましょうネ。

点の住民参加、線の住民参加
 前号で、「住民参加」という言葉が頻繁に叫ばれる現代のニュータウンなど都市型社会では、実は極めて限定的な「参加」しか果たされておらず(「点」としての参加)、むしろそうした言葉がほとんど存在することさえなかった伝統的な地域社会の方が、多様で日常生活に根を張った「参加」がごく普通に見られたのではないか(「線」または「面」としての参加)という議論をたてて、われわれの身の回りのいくつかの事例をみてきた。

 このような「点」としての住民参加と、「線」(または「面」)としての住民参加を、対照的な2つのモデルとして対比すれば、別表のような特性が描けるだろう。



 最大の違いは、都市型社会での「点」としての住民参加モデルが、もっぱら「参加する権利」としてイメージされているのに対して、伝統社会での「線」(または「面」)としての参加は、権利というより「義務」または「責任」としてイメージされている点である。

 ただし、伝統的な社会では住民も行政も「住民参加」などという意識はなかったにちがいない。住民の参加意識とか参加の権利といったこと以前に、社会を構成するすべての住民が否応もなく「参加」せざるをえない状況、そうしなければ社会そのものが維持、運営していけない状況が存在していたからにほかならない。
 
 何でもかでも行政がやってくれる(言い換えれば、何にでも行政が介入してくる)というのではなく、住民が身のまわりのことは自分たちで処理することを基本とする社会が長い歴史を通じて維持されてきた。その流れが、高度成長期頃から大きく変化し、住民のほとんどは朝早く遠く離れた職場に出勤し、夜遅く郊外のわが家に帰ってくるという生活パターンが定着するとともに、「行政サービス」の対象領域が次第に拡がっていき、行政と住民の乖離(住民の行政からの疎外)が進んでいった。

 当然のことながら、行政から疎外された住民の、行政に対する関心や理解は、どんどん薄らいでゆき、また行政自身も住民の関心や理解があろうとなかろうと、「自立」的に一定のサービスを供給できるまでに成長、拡大していく。経済の発展、税収の拡大や地方交付税制度などによる財政基盤の強化がそのことを可能にした。

 このような行政と住民の乖離状況を何とか埋めようとして取り組まれているのが、都市型社会での住民参加だということができる。しかし、地域の運営や維持に必要なほとんどの業務を、納税と引き替えの行政サービスとして提供することが前提となった社会では、住民は行政にとっての「お客様」であり、住民参加は、お客様が希望する分野で、希望する範囲に限って実現する。

 住民参加の場面でよく「市民が主役」と言われる。しかし、主役にも2種類ある。パーティにたとえると、招かれるゲストもたしかに「今晩の主役」だろうが、一方でパーティ全体を仕切り、さまざまな演出で盛り上げ、舞台裏まですべて知り尽くしているホストこそ、その晩の本当の主役であり、表面上ちやほやされているゲストよりも「おいしい」経験をしているのかもしれない。

 国政や地方議会の選挙で問題になっている投票率の低さにしても、農村部よりも都市部においてより一層深刻であることからもわかるように、低投票率が都市化の流れとともに進行してきたことは確かであろう。選挙に対してシラけたり、無関心でいるのは、上記のパーティでいえばゲスト、お客様的な立場に置かれた人たちであり、たとえば特定の候補を熱烈に応援し、選挙運動に参加している人たち(ホスト)は、シラけている暇などない。

 応援したい特定の候補もいない、地域の中で特に人的なつながりももたない、都市の「無党派」住民は、投票するたびにある種の空しさを味わう。自分の1票など無数の有権者の波の中に紛れてしまい、投票率を上げるための「員数合わせ」に利用されているだけ、選挙というのは結局は特定の候補や陣営を支援するネットワークが主役なのだと思い知らされる。

 やはり、パーティも選挙も、行政などへの参加も、舞台裏に首を突っ込んでこそ「おいしい」思いができるのではないだろうか。
 
「自由意思」の限界
 永年NPOやボランティア組織を取材してきた、ある全国紙記者氏の観察によると、日本のNPOとかボランティア・グループには、よくみられるパターンがあるという。

 NPOなどが活動を開始してしばらくすると、メンバーの中に寝食を忘れてものすごく真剣に取り組む人たち(グループA)、かなり一生懸命だが、寝食を忘れてというほどではない人たち(グループB)、わりとちゃらんぽらんに見える人たち(グループC)といった温度差が生まれる。

 時間が経つにしたがって、グループAは悲壮感さえ漂わせながら、次第に自分たちだけで固まっていく。息苦しいような雰囲気に、まずグループCがシラけてきて、だんだんと会合などに出てこなくなり、ついにはこの組織から脱落していく。そうするとグループAはますます目を血走らせ、懸命になるが、Aがそうすればするほど、やがてBの人たちもそうした雰囲気に耐えられなくなり、会合などにも出て来なくなる、結果、Aの人たちはますます少人数で固まっていき、最後の最後には、残った人たち同士で内輪もめし、ただでさえ少なくなったグループがさらに分裂してしまう・・・・。

 もちろん、大部分のNPO、ボランティア・グループは、幸いこんなパターンに陥ることなく堅実に活動しているのだろうが、この話は日本人の本音部分での体質のようなものをよく表しているなと感じながら、この記者の話を聞いた。

 記者氏は、欧米の代表的なNPO(たとえば、グリーンピース、シェラクラブなど)が会員4〜500万人を擁するのに対して、日本最大のNPO(日本野鳥の会)は会員5万人と、2桁も違うのは、歴史的な沿革や税制の違いなどもさることながら、上記のような「国民性」もかなり影響しているのではないかと、問題提起していた。

 本稿は、この最後の部分についてだけ、若干の異議というか疑問をはさみたい。欧米で最大のNPOと日本のそれの会員数が2桁違うというが、それは欧米的なNPOの考え方、基準で比較した場合の話ではないか。少し発想を変えて、例えば日本の伝統的な官製ボランティアである消防団の団員数は、徐々に減少傾向をたどっているとはいえ、百万人に近い水準にある。

 もちろん、こういう話の中に消防団の例を持ち出すことに違和感を抱く人も多いだろう。NPOやボランティア活動は、参加する個々人の自由意思を尊重していることに最大の特徴があり、上からのお仕着せで組織される官製ボランティアと一緒にして欲しくない、云々。

 しかし、ここでは消防団に限らず、日本型のボランティア組織をも含めて、NPO、ボランティア・グループ、住民の地域活動をみていきたい。理由は、これまで見てきたように、都市型社会での住民参加がともすれば「点」の参加にとどまり、そこにとどまっている限りニュータウンのような地域でのまちづくりは大きな壁にぶつかっていると思われるから、そしてそこから抜け出すヒントは、伝統的な地域社会で行われてきた制度やシステムの中からも見いだせるのではないかと考えるからである。

 だいたい、日本ではいつも社会的に問題が発生したり、何らかの行き詰まり状況に陥ると、それを打破するモデルを欧米から輸入してきた。環境問題が深刻になると、ドイツではこんなふうにリサイクルが進んでいると言い、情報化が叫ばれると、シリコンバレーの成功談が続々と報じられ、「政治とカネ」が問題になると、必ずイギリスでいかに清潔な議会政治が行われているかが紹介され、皆で必死にそうした「先進」事例を勉強してきた。

 NPOやボランティア活動についても、米国やヨーロッパの事例やモデルが紹介されるが、そうして導入される理念や組織原理だけでは、日本人の身の丈に合わない部分が必ず出てくるのではないか。それを補完する意味でも、伝統的な日本の社会で広く行われていたやり方に光を当て、ホンの少しでも取り入れられるものは取り入れたらよいのではないか。

 さきの全国紙記者氏の話では、シエラクラブというのは大変な権威あるNPOで、日本でいえば経団連の会長のようなポストを経験した財界人などに、人生最後の花道にシエラクラブの会長ポストに就きたがる人が多いという。

 権威のあるNPOになると、さまざまな資源を活用して、その設立趣意をより高いレベルで実現する可能性があるが、「権威のかたち」などというものは、国によって、それぞれの文化や「国民性」によって大きく異なるのが自然である。

 アメリカでは、成功した実業家などが税制上の恩典もあって、こぞってシエラクラブのようなNPOに寄付を行う結果、こうしたNPOがますます力をつけ、権威を上げていったのかもしれないが、日本では官製ボランティアという独特のスタイルの中に、派手さはないが、息の長い活動を展開してきた秘密があるのではないか。

 官製ボランティアというスタイルは、「お上」が住民をうまく使って、安上がりな防災、防犯、情報伝達などの機能を形成してきたともいえるが、見方によっては、住民の側もそうした枠組みに取り込まれたと見せかけて、「お上」の権威を巧みに利用しながら自分たちのまちづくりを進めてきたと言えなくもない。日本では仲間内で何かもめた時、お上の仲裁や調整能力に期待する空気が強く、さまざまな業界団体のトップに官庁のOBを迎えたりするのは、そうした意味が背景にあるのであり、これも一種の社会生活の「知恵」と言えなくもない。

 何よりも、消防団・青年団、自治会・町内会その他の伝統的な組織は、前述したような日本人の「国民性」にも長い間耐えてきた実績がある。古い、時代に合わないといって切り捨てるだけでよいのか。民営化が騒がれている郵便局なども、目に見える効率性の議論だけでなく、これが地域に果たしてきた多くの役割、ボランティア的な機能をも併せ見つめた上で議論する必要があるかもしれない。
 
住民参加の生産性
 下の数式は、数年前に筆者が住む地区の自治会長をやらされた時に、独断と偏見で考えた「地域活動(住民参加)の生産性測定式」である。

 8760というのは、1年間の時間数(24時間×365日)、Popは総人口、Partは参加人員数を表す。

 わが自治会では、順番で毎年20人の役員が選出され、1年の任期を務める。自治会長は、役員の中から互選で選ばれる。筆者の観測では、xは自治会長の場合で120〜150時間(筆者より真面目な自治会長の場合はもっと多いかもしれないが)、その他の役員の場合ではせいぜい50時間程度ではないかと思われた。

 つまり、自治会長の場合で年間120〜150/8760=1・4〜1・7%、その他の役員では0・6%程度の時間しか自治会活動に割いていないのである。20人の役員全員を合わせても、自治会活動に捧げている時間は、だいたい1000時間程度ということになり、パートタイマーの管理人1人分になるかならないかの仕事量に該当する。

 もちろん、自治会員の中には、独自にボランティアなどの地域活動に取り組んでいる人もいる。そうした地域活動全般を見渡して、地域の全人口のうちどれだけの人がどういった地域活動にどれだけ従事しているかを測定したらどんな感じになるのか。

 「点」としての住民参加(地域活動)が「線」(または「面」)に成長、発展していく上で、どんな地域活動にどう関わるべきか、といった「質」の議論も必要だが、一方でこのような地域活動の「量」の議論、検討も必要ではないか。おそらく現状では、とくにニュータウンのような地域では、この数値はまだまだ低いと思われる。この数値がある程度の水準に達した時に、「量が質に転化」する形で、住民参加(地域活動)の「点」から「線」(または「面」)への変異が実現するのではないか(どの程度の量になった時に変異が起こるのかは、まだ不明だが)。

 因みに、日本が高度経済成長を続けていた頃、この式のxには2000時間を優に超える数字が入り、Part/Pop(総人口に占める労働人口)も、歴史上かつてない高い値を示していたはずである。そのことに気づいたアメリカなどOECD諸国が寄ってたかって「日本人の働き過ぎ」を攻撃し、この頃から、日本経済の競争力を殺ぐ、ライバル国家の戦略が効を奏しはじめ、やがて「失われた十年」へと突入し、今日の閉塞の時代を迎えている−−まあ、これも「独断と偏見」の世界だが。

 しかし、上記の数式の答え(われわれが地域活動に投じる時間数)は、今後かなり拡大することが予想される。言うまでもなく、団塊の世代の定年退職に伴い、これまで経済活動、生産活動に大半の時間を割いてきた人たちがいよいよ地域に戻ってくるからである。

 この人たちが「やる気」を出して、住民参加や地域活動に関わってくることで、今後地域は大きく変わり、発展する可能性がある。この人たちのやる気を引き出せる「住民参加・地域活動のかたち」を創出した地域とそうでない地域とでは大きな差が出るだろう。

 頭でっかちでなく、生活実態に根ざした、本音の議論を積み重ねていく必要があろう。
 
自主管理から自立管理へ
 前回、団塊の世代が定年退職を迎え、地域に「戻ってくる」ことで、地域のあり方や住民参加のかたちが今後大きく変わってくる可能性にふれた。この人たちがある程度積極的に地域に関わってくるかどうかで、地域のかたちもかなり異なってくることも予想され、こうした「大人の参加に耐えられる」地域活動のあり方が問われているのではないか。

 横浜市戸塚区にある大正団地――。住宅公団が整備し、昭和四十四年に入居が始まった七百八十戸ほどの分譲住宅団地で、管理組合が大きな力をもって、自分たちの住む環境づくりに積極的に関与しているという話を耳にしたので、この団地を訪ね、小澤忠二理事長の話を聞いてきた。

 ここの管理組合が力をもつようになった源泉は、どうやら駐車場の管理にあったようだ。住民が払う駐車場の利用料(月三千円)収入を、修繕積立金に繰り入れず、別会計にすることで、団地内の道路や駐車場などの環境整備を進めてきた。そうすることで、結果的にこれらの整備を安上がりにするとともに、日常的に団地内の施設などを点検したり、手当てするプロの技能集団を育てることにもつながった。

 駐車場の管理は、当初公団が整備した駐車場は六百台だったのに対して、住民が契約してきたのは約五百五十台分だったこともあって、最初から「無指定方式」を採用した。誰がどこの駐車区域を使うということが決まってなく、駐車場利用料を払っている組合員は、団地内のどこの駐車場に駐めてもよい。団地の住民を訪れた訪問者も、空いているところならどこの駐車場にも駐められる。

 管理組合が駐車場収入を使って最初に手がけたのは、昭和五十二年の自転車置き場(八百台)と運動場(四百坪)の整備だった。

 次いで、昭和五十九年には次第に住民の保有する車が増えてきたのに対応して、「芝生の駐車場」を整備した(写真)。これは、芝生の上にテクターを張って、そのまま車を駐める方式で、芝生をつぶすことなく、そのまま駐車場として使い、緑を残す方式。住民の多くは、同じ場所に駐めっぱなしというのでなく、一定時間駐車すると、所用で出かけたりするので、芝生には適度の太陽と風があたるため、芝生が枯れることはあまりないという。

 ともあれ、「芝生の駐車場」を整備することによって、同団地での駐車場問題は基本的に解決された。

 翌六十年には、カラオケセット、ピアノ、バーを備えたコミュニティクラブ「大正クラブ」を、これまた駐車場収入で作ってしまう(写真)。下水処理場の管理棟を安く買い上げて改造したという。

 大正クラブを建てたのは、まだカラオケが世に登場し始め頃で、小澤さんは、カラオケを通じて知らない人同士の交流が始まると考えて、独立したクラブを整備した。それまで団地には集会所しかなく、ここで会合の後酒や歌を歌って、近所から苦情が来ることもあった。

 革張りソファーがずらりと並ぶ、一見繁華街のサロン風の「大正クラブ」は、小澤さんの狙いどおり、住民(特に男たち)の大いなる交流の場となってきた。クラブにはバーテンダーもいて、興が乗ると自らピアノを弾くことも、このサロンの呼び物の一つだったが、残念ながら「年齢」を理由に、記者が訪れた時には間もなく辞めるとのことだった。

 その後、六十三年には集会所を増設し、和室も備えた。外部からの訪問者も、「サロン」で楽しんだ後、ここに宿泊できる。

 さらに管理組合では、最近になって団地内に倉庫を建てた(平成十四〜十五年)。組合や自治会関係だけでなく、住民の荷物も預かり、住民の利用率も比較的高いようである。どこの家でも、何年か住んでいると、自宅の収容スペースだけでは足りず、かといって適当な預けるところもないというケースが出てくる。そうした場合に、団地内に貸倉庫があるというのは羨ましい気がした。
 
専門職員を雇う
 現在、同団地では管理費が月一万六千円(修繕積立金を含む)、駐車場利用料が月三千円だが、前述したように駐車場からの収入を修繕積立金に繰り入れるのではなく、独立会計として運用していることが、同組合の最大の特徴といえる。

 現在、同管理組合では団地内の補修や整備に五人の職員を雇っており、うちキャップを務めている人は土木建築の専門家で、フルタイマー、年間五百万円程度の給料を払っているという。残り四人は時給(千五百円)で、園芸や剪定をうけもっている。

 これらの職員は、それぞれ専門の技能をもち、毎日のように団地内を診て回って、壊れたり汚れたりした器具や施設などは、こまめに修繕、塗装してしまう。団地内に工務部門のような小屋があり、植栽や修繕に使う道具・器具類はすべて揃っている。小型のパワーショベルまである。

 同団地を訪問した時、最初に感じたのは植栽の手入れが行き届いているという印象だったが、小澤理事長に案内されて、団地内のあちこちを見て回るうちに、この印象はさらに強くなり、フェンスなども破れたり、歪んだりした箇所がなく、ペンキも塗り立てのように色が鮮やか、団地全体が非常によく補修・整備されている印象だった。

 また、管理事務所には三人ほどの職員がいて、男女各一人がフルタイム、一人は住民がパートで努めている。管理事務所では、通常の管理業務とともに、団地内に置かれた五台の防犯カメラをリモートコントロールして、団地内を監視している。

 ここまで職員などの体制を整えるとコスト高になるのでは?との懸念に対して、小澤理事長はこの方式が最も効率的、効果的で経済効果もあると、絶大の自信をもって言い切る。

 同団地のすぐ近くに、ほぼ同じ頃入居が始まった同程度の規模の団地があり、大正団地と同額の駐車場料金を設定したが、そこでは会計のみ自立させ、発注は業者まかせでやってきた。数十年経過して、大正団地と近隣の団地を比較した時に、大正団地には「クラブ」ほかの施設と専門職員による日常的な補修・整備システムが残ったが、近隣団地はそうした意味では何も残っていない。この間、整備のために費やしたお金はほぼ同水準ということが、小澤さんの自信を支えている。

 大正住宅管理組合の三十五年間の歩みは、「住民の、住民による、住民のための」管理ということの、一つのユニークな実験として、参考にしたい要素は多い。