本埜村議会 小川村長に辞職勧告
月刊 千葉ニュータウン 2008.7.12

「普通の村」になってほしい
 本埜村議会は6月12日、小川利彦村長に対する辞職勧告決議案が提出され、賛成多数で可決された。辞職勧告の理由として、以下の3点があげられている(要旨)。

 @合併を後退させた責任 合併の推進を公約に村長に当選したが具体的な行動の形跡が見られない。この2年間、合併問題は前進どころか後退した。

 A廃棄物処分場を許可した責任 一般廃棄物処分場を撤去するとの公約で、1年以上にわたり業者を告発してでも撤去すると言い続けてきたが、突然許可を出したことについて、住民や議会に対する十分な説明がない。

 B職員の懲戒免職に対する責任 懲戒免職に相当する確証のないまま解雇を断行し、重大な人権の無視、判断の誤り、その後の対応の怠慢、税金の無駄使いを招いた。

 本稿では、辞職勧告決議案を提起した側、辞職を勧告された側の双方からの話とともに、ここ数年本埜村の行政、議会、住民から収集してきた情報を併せ踏まえてリポートする。

問われる2年間の軌跡
 辞職勧告決議で小川村長の責任として追求されている3点のうち、@の合併問題については後でふれるとして、特にAとBにおいて、小川氏の行動パターンの顕著な特徴が認められる。それは、「超お騒がせ型」とでも呼ぶべきか、小川氏が何かスキャンダラスな問題を告発し、告発対象を激しく攻撃することで問題を取り除こうとする、騒がしくも非生産的なパターンである。

 近年の本埜村議会ほど、トラブルが多発し、それへの対応で行政と議会のエネルギーの多くが割かれてきた地域を、記者は寡聞にして知らない。もっと村の将来や住民の福祉に関わる重要な問題があると思われるのだが、ここ本埜村では延々とトラブル≠竍事件≠めぐる談議に多くの時間とエネルギーが割かれている。他の自治体ではめったに開催されることのない「百条委員会」なるものが、この村では数年に一度という驚くべき頻度で開催され、「事件」の究明やら弾劾やら告発等々に少なからぬ時間労力税金が費やされてきた。

 小川氏は「村長」という職責について、何か勘違いしているのではないか。

 村長という地位を「村が抱えている諸問題を解決していく行政の職人・親方」(行政スキルのエキスパート)とみるか、あるいは単に「村中で一番エラい人」(何をやってもいい権力者)とでも考えているのか。

 村長など一つの組織やコミュニティのトップに求められるのは、法律や社会的なルールに基づく諸手続き(プロセス)を積み上げていくことによって、一定の政策目的を達成する、それによって住民の負託に応えていくということに尽きる。それが民主主義、法治社会での行政トップの責任であり、このプロセスが一定の権威や信頼を形成していく。

 行政のトップが、自分の理念や信念を実現しようとして、法律や社会的なルールを無視して(権力=パワーだけに依拠して)ことを進めるとしたら、それはファッショであり、一種の恐怖政治になってしまう。本埜村を含む今の日本は、領主様や地主様が理不尽にごり押しできる封建社会ではなく、法治≠謔閧熈人治≠ェまかり通る、どこかの共産党の独裁国家とも違うのである。

世間に通用するルールを踏襲せよ
 廃棄物処分場の問題も、職員懲戒免職の問題も、小川氏は、およそ法律や世間一般の常識・良識を無視して、自分が快く思っていない対象に対して、強引に、権力乱用的に処理しようとしたが、果たせなかった――、粗暴で理不尽きわまる行政運営というしかない。

 廃棄物処分場では、この問題をずっと議会で取り上げてきた吉本幸弘議員が指摘するように「業者は適正な手続きで村から許可を得て施設を設置した」のであり、「法律に触れるようなことを何もしていない」のだから、村から執拗に告発だの撤去だの言われる筋合いはない。

 これを村長選の争点にし、撤去を公約に掲げたのは、小川氏の勝手であって、むしろ小川氏は公約に掲げる前に、正当な行政手続きによってこの施設を撤去させることが可能かどうか、見極めるべきだったのである。そうした行政スキルについての基本的な勉強もしないまま、公約(というより単なる人気取りの安請け合い)に掲げたのだとしたら、そのこと自体行政トップとして軽率、無責任のそしりを免れない。

 職員懲戒免職の問題にしても、誰もが疑問を抱くように、職員が未完成の報告書に対して行った不当な支払いで村が1200万円の損害を受けたと主張するのであれば、当該職員に対する譴責や処分よりも何よりも、まずは支払った先のコンサルタント業者に返金を求めるのがスジだろう。

 今に至るまで、返金交渉が開始されないのは、この支払い処理の「不当性」なるものが世間一般で通用するような話ではなく、ただ村役場という閉鎖空間で、それも村長と一職員という関係でのみ通用させられる「言いがかり」にすぎなかったことを示している(無理が通れば道理が引っ込む)。

 これはそもそも村政とは何の関係もない、質の悪いパワーハラスメント(権力や地位を利用した嫌がらせ・いじめ)だったというしかなく、村長として以前に、一社会人としての小川利彦氏の品格と人間性が疑われる事件である。

(職員懲戒免職の問題については、こちらの記事もご参照ください)

 議会は、ほかに同様の人権侵害のパワハラ・ケースがないか、調査・検証すべきであろう。

 本埜村議会が辞職勧告決議で指摘した小川村政の問題点は、村役場や議会といった閉鎖空間の中で、およそ世間一般では通用しない屁理屈、難癖を持ち出して大騒ぎした挙げ句、理不尽に人を傷つける、クレイジーで極度の「内弁慶」的な体質にあるといえよう。

村を孤立させる「内弁慶」体質
 辞職勧告決議で掲げられた@の「市村合併」について言えば、この6月議会で小川村長は、合併問題をめぐる議員の質問に答える中で「滝野地区の住民から都市計画税をとらない」と言明した。

 合併を公約に掲げて村長に当選し、今も印西市、印旛村との合併に努力していると主張している小川氏がどんなつもりでこんな公約≠口にしたのか。

 本気で印西市、印旛村との合併を推し進めようとしている本埜村の首長が、今この時点でやるべきことは、「自分が村長でいる間は、滝野地区から都市計画税はとらない」と、見当はずれの見得を切ることではないはずだ。行政トップとして「滝野地区の都市計画税」という問題に正面から向き合う仕事を、現に本埜村長の職にある者がやらなくて、誰がやってくれるというのか。

 なぜかわからないが、千葉ニュータウンを構成する他のすべての地区で徴収されている都市計画税が本埜村滝野地区では徴収されてこなかった。この点は、この地域での合併を考える時に、避けては通れない問題であり、合併して一つの市になった後で、旧本埜村滝野地区だけ都市計画税が免除され続けるなど、どう考えても無理な話である。

 印旛・本埜2村が印西市に呼びかけた合併話が具体的に動き出す前の今こそ、「滝野地区の都市計画税」をはじめ、合併に向けてのメリットとデメリットについて、村長、議会、住民が徹底的に話し合い、都市計画税がとられるデメリットがあるが、合併によってこれだけ行政サービスが向上する、こんなメリットもあるといった情報を、村の皆が共有すべきではないか。そして、それをやるのが、今も合併の実現に努力していると主張している小川村長が最優先で取り組むべき任務ではないのか。

 それとも、小川氏は合併話が具体的に進展し始めた時、「滝野地区の都市計画税」問題が噴き出し、滝野地区住民の反対によって合併話がご破算になるのを期待しているのだろうか。

 議会から辞職勧告を出されたが、小川村長に勧告を受け入れる意思はなさそうだ。勧告に法的な拘束力はないのだから、これを拒否しようと思えばできるのはたしかである。

 しかし、そうであれば、行政トップの座に座り続ける小川氏には、村民に対する十分な説明責任が求められるだろう。タウンミーティングなど、住民と直接向き合う場で、少なくとも議会が辞職勧告の要件としてあげた3点について、住民が納得するまで説明する責任がある。

 それは、行政のトップに立つ者としての最低限の義務であり、これをしも怠るならば、辞職勧告の新しい理由を一つ増やすだけでなく、すでに小さいとはいえない村長と議会および住民との間のミゾを修復不能なまでに拡げることになるだろう。
行政点検「もとの」トップへ