本埜村長辞職勧告決議
本紙7月12日号記事をめぐって

小紙記事に対する異常反応

 本埜村議会は6月定例会において、小川利彦村長に対する辞職勧告決議を可決しました。

 このニュースを「月刊 千葉ニュータウン」7月12日号で取りあげ、併せてこれまで本埜村の行政、議会、住民を取材するなかで得た、小紙なりの判断を記事にしたところ、次のような反響がありました。

 1)小紙に直接言ってきた「反響」は、すべて「よくぞ書いてくれた」といった肯定的な反響でした。本埜村外の議員さんなどにも、小川村長にいたくご立腹の向きが少なくないこともわかりました。また、記事を読んだ村民の中には「同じ本埜村民として恥ずかしい」という感想を寄せてきた方もいましたが、記事を非難するものは1件もありませんでした。

 2)7月28日(月)「月刊 千葉ニュータウンの本埜村関連記事に善良な本埜村住民は怒っている=vなるビラが、本埜村の一部地域にバラ撒かれたことを、本埜村に住む知人からの通報で知りました。内容からすると、小紙記事への「抗議」ないし「クレーム」のようにも読めるのですが、肝心の小紙宛には何も言ってこない、ちょっとヘンな、意図不明の文書です。本埜というところはこういうヘンなビラが頻繁に撒かれていて、違和感がないのかもしれませんが、村外の人間からするとやはりヘンですよね。

 3)8月2日(土)村当局主催による「タウンミーティング」が滝野小学校体育館で開催されました。タウンミーティングというのは、村民の疑問に村長以下の村の責任者が直接答えるという趣旨と理解していたのですが、このたびのタウンミーティングは、村長への辞職勧告決議に賛成した議員に対して、村民≠ェ質問したり、小紙の記事を問題にしようという姿勢が強く感じられる、異例≠フタウンミーティングでした。どうやら、前項の「善良な本埜住民」によるビラ撒きは、このための布石だったようです。

 しかし、これまでの小川村政を真っ向から批判した小紙記事に対して、怪文書まがいのビラを撒いたり、タウンミーティングで姑息な運営を考えたりといった、そうした因循姑息な手法そのものを小紙は批判したのであり、こうした反応は、逆に小紙の指摘が正しかったことを、彼ら自身が証明してくれたことにしかならないような気もするのですが。

 4)「本埜村有志」を名乗る本埜村議会議員を中心とする人たちから、8月7日付で小紙宛に「配達記録」郵便が送られてきました。先のビラ配布について、言い訳がましいことが書いてあるほか、「何故、突然第87号内容に記された本埜村関連記事を発行したのか。その理由は何か」と、質問なのか、非難なのか、意図不明の文言で終わっています。ハシクレとはいえ、これでも一応記者のつもりでいる人間に向かって、「なぜ記事を発行したのか」と、問われてもねェ。

 じゃ、お前さん方は、なぜ議会で一般質問などするのか、と聞かれたら、現(&前)議員である彼らはどう答えるのでしょう。

 お巡りさんに向かって、「キミは、なぜ泥棒を追い回すんだ」と問いつめたら、どういう答えが返ってくるのでありましょう。

 学校の先生に「あんた、子供に勉強を教えるなんて、一体全体どういう料簡なんだ!」と、詰め寄る人がいるでしょうか。

「本埜」取材への誘い

 まあ本気で相手にするほどの代物でもないと思いましたが、せっかくなので簡単にハガキによる返信を出しておきました。意図不明の文書への答えなどとは関係なく、この際、小紙なりの小川利彦村長に対する取材の経緯を整理しておこうと思います。現在の本埜村の行政や議会の有様は、小紙には「異常」としか映らず、この「異常事態」を早く「正常化」してもらい、「普通の村」に戻ってもらうために、これから暫く小紙において「本埜村」の問題を書かざるをえないと思われますが、そのための整理です。

 そもそも、小紙に対して本埜村の「暗部」を取材するよう、何度も何度も熱心に薦めてくれたのは、他ならぬ現村長・小川利彦氏だったことを、まず明らかにしておきましょう。

 ことの起こりは、小川氏が村長になる前、いや議員にもなる前、平成12年の村長選で落選、一住民としておられた頃でした。その頃からすでに小川氏は、村内にたくさんのビラを頻繁に撒いていたようでした。内容は、当時の村長・五十嵐勇氏の「疑獄事件」なるものを追求するもので、精力的にビラを撒く傍ら、小川氏はマスコミ対策にも余念がないらしく、小紙のようなミニコミにも時々、自分の「正義の主張」を聞きに来るよう、お誘いをかけてきたのです。

 あまり気が進みませんでしたが、小川氏宅をお邪魔すると、「五十嵐勇村長がいかに悪い奴か」について懇々と、熱い<激Nチャーが始まります。レクチャーは最低でも1時間余、ちょっと熱が入ると2時間以上にも及んだものです。しかも、その1時間余あるいは2時間のすべてが「特定個人の悪口」に費やされ、政治家・小川氏の政策やらビジョンのような話は薬にしたくても聞けないのだから、聞く方は辟易というより、正直なところ苦痛でした。

 最初のうちこそ、本埜村長・五十嵐勇という人物は、小川氏が主張するようにとんでもない悪い奴かも、との思いももちましたが、何度も同じ人物の口から同じ話を聞くうちに、次第に「こんなに一人の人物を執拗に悪く言いつのる」小川利彦氏というのは、一体どういう人物なのか(いくら何でも少し異常な執着ではないか)という方向へ、記者としての関心というか、観察眼の座標軸が変化していったのを記憶しています。

記者に対する小川氏の目配り

 小川氏は、マスもミニも含めたメディア≠フ利用価値をよくご存じです。小紙がおつき合いをさせていただいている当地域の政治家の中でも、小川氏はメディアに対する目配りという点で最もマメ≠ネ政治家であり、その点、他の首長や議員さんも小川氏に学ぶべきかもしれません。

 ただ、小川氏の最大の欠点は「自分の嫌い≠人に押しつける」ことだというのが、小紙の見立てです。

 好き嫌いがあるのは、人間だからしかたない。自分が嫌いな人物に対して、喧嘩を挑むのも時にはいいでしょう。しかし、(オトコの子なら)喧嘩は一人で、自分自身のリスクでやりなさい。相手(敵)の悪口を書き連ねたビラを撒き散らし、相手が悪い奴、犯罪者であるかのような印象操作を行って、「風評加害」を先行させるような、セコい、ネクラで卑怯なやり口は、喧嘩ではなく、「陰湿ないじめ」というものです。

 小川氏のメディア、記者に対する目配りが、こうした「風評加害」の片棒をかつがせる目的であることに気がついた時から、小紙は小川氏から誘いがあっても、取材はするけれど記事にはしないスタンスでやってきました。

 そうなると、小川氏も面白かろうはずもなく、小紙は小川氏から「なぜ、記事にしないのか」と、何度か怒鳴られたり、なじられたりしました。今回、現(&前)村議の皆さんからは「なぜ、記事にしたのか」といって罵りを受けましたが、以前は、小川氏から「なぜ、記事にしないのか」と罵られていたのです。

 どっちにしても、彼らは記者というものを、自分たちに都合の良い記事を書かせる道具としか見ていないことがわかりますが、記者には記者の「一分」というものがあり、誇りも意地もあるのです。

 あの当時小川氏が提供する、いかにも胡散臭い、政争狙いのネタに乗っからず、記事を書かなかったことこそが、小紙の「見識」であったのだと、今ここで胸を張らせてもらいます。

 記事は書きませんでしたが、小川氏の思考および行動パターンについては、「風評加害ノウハウ」を含めて、じっくり取材させてもらいましたし、今回の記事とこれから書いていく記事にそうした取材結果を十分に反映させていくつもりです。

 ついでに言っておくと、小紙にとって取材現場とは、何も村長室のソファーや議会の傍聴席だけではなく、どこかの一杯飲み屋で耳にする噂話も、田のあぜ道で農家のおばさんとの立ち話も、皆これ生きた取材なのです。

 もちろん小紙の記事への怒り≠フビラが村内一部地域で配られたことや、タウンミーティングが異例≠フやり方で開かれたこと、それに現(&前)村議の皆さんが小紙宛てに「配達記録」郵便を送ってきたなんていうのも、すべてこれ、飛びきりの新鮮ネタなのです。

 善良な本埜村住民≠フ皆さん、なかなかコミカルなネタを次から次へと、たくさん提供してくれてありがとう、そしていつもながら、ご苦労さん。
行政点検「もとの」トップへ