特集 木下大森地域のいま

「月刊 千葉ニュータウン」2005年10月15日号所載

ファストタウンとスロータウン
不安定化する郊外
  都市の新たな魅力を求めて
  ニュータウンがオールドタウンを必要としている
  「逆・構造改革特区」の発想で木下大森地域の再生をめざす
  鍵握る マスタープランと牽引車
  同じ土俵でケンカしない
惹きつけて止まない歴史と自然、そして伝統の食
 木下まち育て塾  村越博茂
商店街を歩く
  [もつ焼・焼鳥] 山倉山
  [地酒・地焼酎] なべだなフード
  [せんべい」 川村商店
  [バレエ教室] シオツキバレエスタジオ
  [せんべい] 関口米菓店
  [団子] 久七だんご
  [沖縄料理・居酒屋] やんばる2

 本紙は今春「小林地域特集」を刊行しましたが、今回新たに「木下大森地域」特集を企画しました。

 現在、牧の原駅圏を中心に大型商業施設があいついで進出し、やがて成田につながる北総線沿線地域の開発の進展、発展可能性が大いなる脚光を浴びています。そうした動向(光)の陰で、木下大森といった旧市街地は、ニュータウンの発展と反比例するかのように衰退の傾向をたどっているようにみえます。

 取材を通して、木下大森地区に住み、ここで仕事をしている人たちと知り合ったり、これまで通り過ぎるだけだった飲食店その他の店を訪ねて得た印象は、しかし、外からこれらの地域を眺めていたこれまでの印象とは相当異なるものでした。

 本特集では、木下大森地区の「いま」にスポットをあて、ニュータウンの人たちが気づいていない、この街の魅力を発見することをめざしました。折から開催される「よかっぺ夢まつり」を機会に、たくさんのニュータウンの人たちがこのまちを訪れ、この街の魅力を発見する、そのガイドに本特集が役立てられれば幸いです。

ファストタウンとスロータウン

不安定化する郊外

 手許に『ファスト風土化する日本−郊外化とその病理』(三浦展・著、洋泉社)という本がある。

 青少年による衝撃的な犯罪が起こった土地を丹念に取材して歩き、地方での固有の地域性が消滅、大型ショッピングセンター、コンビニ、ファミレス、カラオケボックス、パチンコ店が建ち並ぶ、全国一律の「ファスト風土」的大衆消費社会となったことと、青少年による凶悪犯罪の発生とは無縁でないという趣旨のレポートである。

 『家族が変わった、青少年が変わったという以前に、風土が変わったのだ』というのが、全体を流れている著者の問題意識である。

 同書が描出している世界をイメージしていただくために、章のタイトルを羅列してみると・・・・、のどかな地方は幻想である/道路整備が犯罪を助長する/ジャスコ文明と流動化する地域社会/国を挙げてつくったエセ田園都市/消費天国になった地方/階層化の波と地方の衰退/社会をデザインする地域、という具合である。

 ここで描かれている風景は、千葉ニュータウンでわれわれが毎日目にする風景、とりわけ最近大型商業施設があいついで建てられている印西牧の原地区の風景と実によく似ている。というより、いまや全国の、いわゆる郊外と呼ばれるところならどこでも、多かれ少なかれ展開されている情景といってよいのだろう。

 クルマ社会を前提にした広い道路網、さまざまな業種・業態の大型ショッピングセンター、高度かつ巧妙に押し寄せる消費文化の波等々が、地域のコミュニティやそこでの住民の生活のリズムといったものに、じんわりと「ソフトタッチ」で影響、変形を加えていく。
影響、変形を加えるプロセスはソフトだが、長い時間をかけて蓄積された変形の力、歪力の結果は、やがて犯罪のような激甚な様相をもって姿を現す。

 現在、主として牧の原地区に集積している大型商業施設、アミューズメント施設などは、このようなマイナーな歪力を併せもったものであるのかもしれない。パチンコ店のように、はっきりしたギャンブル性、風俗性をまとった出店には時として住民の反対運動が起こるが、公序良俗に反するでもない、それどころかむしろ出店によって地域の利便性が高まったり、その大きな集客力によって地域に活力をもたらすような大型商業施設の出店は、もちろん地元として拒否することなどできない。

 長いこと草ぼうぼうの空き地だったニュータウン計画地に、いま最も元気のある企業があいついで立地を決め、敷地面積が十ヘクタールを越える大型施設を続々オープンさせる、そうした光景を喜ぶ一方で、同書が警告する「ファスト風土化」(地域のコミュニティのあり方や住民の生活のリズム、あるいは地域の特性といったものをゆっくりと浸食し、一〇年、二〇年という時間を経て、すっかり変貌させてしまう)についても警戒を強める、あるいは少なくともそうした要因をも考慮に入れながら自分たちのまちづくりを考えていくことが必要なのではないだろうか。

 しかしさらに考えてみると、そうした要因は、この地にニュータウンが建設されることが決まった時から、この地に営々と蓄積されてきたマイナーな歪力と見るべきなのかもしれない。つまり、われわれが住むニュータウンという街じしんが、古くからこの地に伝わってきたもの、文化や習慣、人々の営みを破壊したり、変形させたりしながら、街として形成されてきたという事実にぶつかるのである。

 産業構造が農業から工業中心の社会へと大きく転換する中で、工業生産に従事する勤労者のためのベッドタウンとして、短期間かつ大規模に整備されてきたニュータウンという街は、もともと極めて人工的な街であり、伝統的な地域に備わっていた多くのものが最初から存在しないのである。

 そのような欠落は長期的に何をもたらすか、ニュータウンでのまちづくりを考えていく際に、そうした欠落をどうとらえ、何をもって補完していくべきなのか。

都市の新たな魅力を求めて

 ニュータウン(郊外)での消費社会化の進展、コミュニティ機能の劣化・空洞化が広がりをみせる一方で、都心部では都市の新たな魅力が再発見され、若者がこれを見直す動きが出てきているようだ。

 「ファスト風土化する日本」では、都市の新しい魅力を構成するキーワードとして、「関係」(コミュニケーション)および「関与」(コミットメント)をあげる。そして、いま若者に人気のある吉祥寺、下北沢、高円寺といった街が、まさにそうした要因ゆえに若者を引きつけていると分析している。

 これらの街を題材に、若者に魅力のある街のポイントとして、同書は以下の点をあげている。

 第一に、多様で異質な物が存在すること。均質な家庭や画一的な教育、郊外化した地域といった環境の中で育った若者にとって、自分の知らない、異質な物、店、人が多様に存在している状況は、非常に新鮮に映り、魅力を感じる。

 第二に、街の歴史性。古い物から新しい物まで、時代や世代の異なる文化が重層的に存在し、モザイクのように見え隠れしている状況。戦前の文化人も利用していたという古い名曲喫茶、一九六〇年代の左翼学生の雰囲気が漂う古本屋、七〇年代のヒッピーの流れをくむ雑貨屋、あるいはパン屋、豆腐屋、畳屋といった店やそうした店が並ぶ街のたたずまい。

 第三のポイントは個人性。店のオーナーが好きで集めたコレクションを売る店、ジーンズの良さについて話し出したら止まらない知識と情熱をもったブティックの店長等々。店からの一方的な情報だけでなく、客もそこに関与できるような雰囲気や仕掛け。

 第四に、街中を歩けること。歩ける街をめざすならば、道は広くて真っ直ぐである必要はない。車は街をつくらない。人々は道から道へ移動し、道沿いの店に立ち寄るだけだから、店と店が有機的に結びついて、ひとつの街を形成することにならない。

 総じて、郊外(ニュータウン)がファスト風土化という流れの中で、家庭が消費共同体としての機能に特化し、コミュニティの崩壊等の傾向が指摘される一方で、ここに描かれた、若者に人気のある都市では、「スロー風土」(スロータウン)化ともいえる現象が顕著に進行している。スロータウンとは、誰がどんな気持ちで物をつくって売っているかが見える、関与のプロセスが見える街と、同書では定義している。

ニュータウンがオールドタウンを必要としている

 吉祥寺、下北沢、高円寺といった、いま最も「ナウい」街では、ニュータウン(郊外)での大量生産・大量消費型店舗のあいつぐオープン、クルマ社会化の進展、「ファスト風土化」等々の現象とはほとんど正反対の方向に向かって、街の魅力づくり、スロータウン化が進んでいるというのが、同書が描写する、現代日本の都市の発展の二つの方向である。

 ところで、同書の中では、郊外の対局に位置するものとして、吉祥寺、下北沢、高円寺といった街をとりあげているが、千葉ニュータウン地域を見渡した時に、ニュータウン地区=郊外、旧市街地=都心という対比で考えると、二つの地域の今後のまちづくりのあり方、また千葉ニュータウンを抱える北総地域全体の今後の地域戦略のようなものが少しだけ見えてくる気がする。

 前項でみた、若者を引きつける街の四つのポイントは、たしかにニュータウンに出店してくる大型商業施設には「薬にしたくても無い」要素ばかりであり、しばしば言われるように、ニュータウンには、疲れた客の愚痴を聞いてくれる飲み屋がない、代々続いた歴史を感じさせる店、名物親父のいる定食屋等々がない、あるのは客との会話、対応をマニュアルに基づいて成り立たせているファミレスや、全国どこに行っても看板を目にするフランチャイズの居酒屋ばかりであり、その意味で「つまらない」街という言い方がつきまとう。

 これに対して、旧市街地(以下、ニュータウンに対比させる意味で「オールドタウン」という)、たとえば印西市の木下・大森地区などには、前述の四つのポイントのうち、いくつか該当するものを見つけることができる。

 たとえば、多様で異質な物とか歴史性といった点についていえば、そうしたものをいまだに遺している店や街のたたずまいを発見することは難しくない。第三の「個人性」という点でも、良くも悪くも主人の個性や「カオ」(だけ)で商売しているようにみえる店も少なくない。

 そして、特に「歩ける街」という点では、もともとオールドタウンの衰退現象は、クルマ社会化の流れにしてやられた面が相当あり、今後はむしろ車を排除ないし制限した歩きやすい街という点をオールドタウンの「ウリ」に仕立て上げることは、非常に有望な選択肢といえるのではないか。
たしかに、木下・大森地区に細々と残っているものは、吉祥寺や下北沢のそれほど洗練されてはいないかもしれないが、しかし要素としては一定の共通性を見いだすことができる。

 特に、ここで強調しておきたいことは、ニュータウンにどんどん新しい大型店が建ち並び、客足がそちらに引っ張られる中で、オールドタウンが衰退してきたというのがこれまでの流れだったが、前項でみたように、若者はそうしたニュータウンにも背を向けはじめている、あるいは少なくともニュータウン的な街や店だけでは満たされないニーズが、かなりはっきりした形、傾向として現れてきているという点である。そうした傾向は、今後ニュータウンでの大型商業施設の進出の流れに逆比例というか、一種の補完性をもってますます顕著に現れてくるのではないか。

 そして、それはオールドタウンが、ニュータウンとは思いっきり対極的な、ほとんど逆方向に向いたまちづくりをすることで、成功する可能性(あくまでも「可能性」だが)がみえてきたということではないだろうか。

「逆・構造改革特区」の発想で木下大森地域の再生をめざす

 これまでいろいろと試みながらも、はかばかしい成果を上げられなかった、木下大森地区の再生は、ニュータウン地区での大型商業施設の集積が急速に進む今、そうした「先端」的な動向に惑わされることなく、むしろそれに潔く背を向けることによって、「ニュータウンの対極(=アンチテーゼ)としてのオールドタウンづくり」を進めるべきではないか。

 それは、時流に流されることなく、地域のアイデンティティに徹底的にこだわるまちづくりといったほどの意味である。ニュータウン的な「先端」に背を向けることで、他の地域にはない、この街だけの特性を輝かせることができ、それは、吉祥寺、下北沢、高円寺といった、いま最も「ナウい」街で起こっていることとも一脈相通じる魅力を、この街が獲得する、近道になるかもしれない。

 たとえば、「逆・構造改革特区」のようなイメージをめざしたらどうか。

 一般の構造改革特区は、さまざまな規制を例外的に緩和するものだが、ここでは逆に規制を徹底的に厳しくする。一定の地域(たとえば、木下駅北口通りの一帯)を指定し、そこでは大型店舗の立地は規制するというか、実質的に禁止してしまう。たとえば、「昭和三十五年以前に存在した形態の小売業に限って出店を認める」というような規制をかけて、コンビニなどはご遠慮いただく。「スロータウン」に見合った、個性豊かで、客と店の人がみな顔なじみといった居酒屋、豆腐屋、畳屋、定食屋、八百屋、下校時の子供たちが群がる雑貨屋、揚げたてのコロッケを売っている肉屋等々、昔なつかしい、庶民的な店がずらーと並んだ街並みにしてしまう。

 あるいは、物販ではニュータウンの大型店舗にかなわないとみて、北口通りを個性的な飲食街として再生させる。最近、木下駅北口の空き店舗に沖縄料理の「やんばる」が出店し、非常に頑張っているが、たとえばアジア各国やエスニック料理の店がずらーっと並んだ通りにすることで、人々の流れを呼び戻すことができるし、そうすることで古くからここで商売してきた老舗の店々も輝きを復活させることができるのではないか。

 その一角にラーメン横町のようなゾーンができれば、かねてから「ニュータウン界隈には、旨いラーメン店がない」とお嘆きの貴兄のニーズも満たすことができる。

 「オヤジ」の魅力で客が来るような店、そうした店がゾクゾクと並んでいるような通りにすることで、「牧の原」の動向をあまり気にせず、むしろジョイフルに来た客が帰りがけに足を向けてくれるような街に生まれ変われるかもしれない。

鍵握る マスタープランと牽引車

 魅力ある街は、家並みや街路が一定のイメージに統一されている。木下大森地区の再生は、まず住人や商店の人たちが徹底的に話し合って、どんなイメージに統一させるのか、合意を形成することだと思われる。「小京都」でいくのか、それとも「小江戸」か、明治後期くらいのイメージの街にするのか、それとも昭和三十年代を思い出させる街並みにするのか。

 どんなイメージでいくかが決まったら、徹底してそのイメージに沿った街並みをめざす。リフォームなどの時には、統一コンセプトに沿った計画には工事費の一部を補助金の対象とする。

 また、クルマ交通も厳しく規制する。

 「スロータウン」地区では、信号機や交通標識はすべて撤去し、歩行者絶対優先を唯一の交通ルールとする。今どき一つの地域から車を完全に排除するのは難しいだろうから、車が乗り入れるのはいたしかたないが、歩行者絶対優先ルールを守れる車だけが通行を許される街にする。車はノロノロ歩いている人がいても、警笛など鳴らそうものなら罰金を科せられ、違反切符を切られる。「車にやさしくない街」「毎日がホコテンの街」を、まちづくりの基本コンセプトとする。

 これまでこの地区は、モータリゼーションへの対応ということを意識して、道路を整備したり、駐車場用地を確保しなければいけないのではないか、という強迫観念に駆られてきた(ほとんど整備・確保できていないが)。現在、進められている中心市街地活性化計画でも、基本的にはクルマ社会に適応する方向で、まちづくりが考えられていると思う。

 だとすれば、現在この街に住んだり、商売をしている人たちには相当の犠牲を強いることになろう。クルマ社会に適応するのであれば、現在の道路はあまりにも狭く、曲がりくねっている、歩道のための道幅も確保する必要がある。店や住居の配置を相当大きく動かす必要が出てくるだろうし、それを免れた店や住居も、道幅を広げるためのセットバックに協力してもらわねばなるまい。

 しかし、これまでそのような合意形成ができなかったから、まちづくりが進まなかったのではないか。今からそうした合意を形成していくのにも、何年もかかるだろう。何年かけても、合意は形成されないかもしれない。その間も街の衰退は進むだろう。

 であれば、思い切ってクルマを閉め出したまちづくりを追求したらどうか。

 但し、クルマを排除したまちを作るためには、街の外周部に十分なスペースの駐車場を整備する必要がある。国道356号沿いにそうしたスペースを確保し、「道の駅」を兼ねた機能をもたせ、ニュータウンなど地域外からやって来る人や車を迎え入れ、そこから古き良き木下一帯を歩いたり、あるいはサイクリングで散策してもらう。

 このようなまちの再生を進めるには、まちづくりの司令塔が必要だが、実はこの点が最も心許ない。最近、市民レベルではたくさんの市民が熱心にまちの再生について議論したり、体を動かしてさまざまな活動に取り組んでいるが、きちんとした司令塔および市民のまちづくり活動の受け皿が整備されていないために、せっかくの市民の活動が十分活かされない場面が随所にみられる。

 この地域の再生には、住人、商店、さまざまな市民の協力が必要だが、それとともに、基本的なインフラの整備の部分は、行政がきっちりと役割を果たすことが前提になる。それなりの資金投下を要す場面もあるだろうし、必要なところには集中的、効率的に資金を投下するとともに、中心市街地活性化、木下駅の改造、印旛高校移転後の跡地利用、木下公園や水生公園等々を、縦割りシステムの中でバラバラに進めるのでなく、全体のコンセプトづくりとマスタープランのもとに、統一司令塔が広い視野から、掲げられたコンセプト、マスタープランと整合的に計画を進めていくことが不可欠である。

 望むらくは、木下・大森地区再生に、個人のライフワークとして取り組む「変人」が輩出されることである。小泉さんの二〇分の一くらいでいいから、「変人性」をもったヒーロー(またはヒロイン)の登場およびそうした「変人」を行政や商店街や住民が受け入れ、協力することができれば、またたく間にこの地域は昔日の輝きを取り戻すことができるだろう。

同じ土俵でケンカしない

 印旛村吉高地区に富井商店という、雑貨屋兼駄菓子屋さんがあった。峠の茶屋みたいな風情の店で、新藤兼人監督が映画のロケに使ったことで(映画は公開されなかった)、知る人ぞ知る店だったが、店番をしていたお婆ちゃんが亡くなり、今は閉じられている。

 ここには、近所の人たちが大した用がなくても立ち寄り、店番の富井さんと世間話に花を咲かせる、オリエンテーリング中にたまたまこの店を見かけた順天堂大学の学生が、その後卒業後も時々この店を訪ねて、富井さんと話し込んでいく、そのような交流がこの店の土間と座敷をつなぐ、幅五十センチ、長さ二メートルほどの板床に皆が仲良く腰掛ける形で行われていた。

 世間がどんなにせわしなくても、この店の周りだけはゆったりした時間が流れ、まさに、スローライフの空間が成立していた。

 ニュータウンのすぐそばの里山地域でこのような店が成り立っていたのは、富井さんの人柄や近所の人たちの支持といった要因のほかに、このあたりには他に商店らしきものがなく、もちろんコンビニのようなものは影も形もみえない地域である。

 この地域の人々は、津波のような消費文化に押し流されることなく、昔ながらの生活スタイルを守り、自宅のそばの田畑でとれたもので自給自足に近い生活を送り、たまに客の訪問があれば、主婦は自分でもてなしの料理を作り、何かあれば地域の隣人同士助け合い・・・・、といった関係(コミュニケーション)と関与(コミットメント)の中で暮らしてきた。富井商店というのは、そうした地域の空気とともにあったということができる。

 ニュータウンでは、個人商店が行き詰まって、コンビニに模様替えするケースが多い。こうした模様替えで売上は伸びるかもしれないが、フランチャイズの本部から何くれとなく規制され、おまけに売上の大きな部分を本部に吸い取られる、二十四時間店を開けておかなくてはいけないから、アルバイトの募集がうまくいかなければ、家族総出で店番をしなければならない。

 外見上はきれいに近代化された店に生まれ変わるが、内実は過労死が心配されるほどの仕事をせざるをえず、精神的にも昔よりはるかに追いつめられた状態で働き、暮らしているケースも多い。

 そして、この個人商店からコンビニへの模様替えの話こそ、今まさにニュータウンの「ファスト風土」で起きていること、これから繰り返されるであろう事態を象徴しているといえないだろうか。

 ニュータウンに大型のスーパーやショッピングセンターなどがオープンするたびに、オールドタウンで個人商店が一店、また一店と暖簾を下ろす・・・・。残念ながら、千葉ニュータウンの発展史の裏側で、このような現象が進行してきたことも事実である。

 しかし、「市場競争に勝った」はずのニュータウンの大型店は、大型店同士で身も心もすり減らすほどの厳しい競走を迫られている。規模や価格の競走だから、より大規模な店、より安売りできる店が出現したら、今まで勝ち誇っていた店も一瞬にして敗者となる。いったん、「ファスト」競走に参加したら、心臓が破れるまで走り続けるしかない。

 木下大森地区は、「ファスト」競走には背を向けて、徹底した「スロータウン」づくりをめざすべきであり、そこにこそ自分たちの街のアイデンティティ、存在理由が見いだせるのではないだろうか。

 そして、千葉ニュータウン地域全体としては、牧の原地区に代表されるファストタウンと、木下大森地区に代表されるスロータウンとが、互いに適当な距離を置いて共存していくことができれば、利便性、多様性、歴史性、個人性、ゆとりと豊かさに富み、そこに住む人々が幸せで充実した人生を送ることができる街、これまでの日本になかったタイプの街を形成していくのも夢ではないだろう。


木下への招待状

惹きつけてやまない歴史と自然、そして伝統の食

木下まち育て塾  村越博茂

(印西市小倉台在住)

 皆さん、こんにちわ。私は平成四年三月に千葉ニュータウンに転居してきた生粋の?新住民です。「新住民が同じ新住民のオレ達に<木下への招待状>?」、おかしなことを言うものだと思われる方もいるでしょう。それはさておき。

 筆者は平成七年頃より、木下の歴史、特に明治期の木下のマチや、利根川蒸気船交通史に関心を抱き、細々と調べてきました。また、平成一三年から「木下・六軒を何とか元気にしたい」という「木下まち育て塾」の主旨に賛同し、以来、一塾生として活動していますが、「千葉ニュータウンライフの素晴らしさは身近なところで歴史(木下河岸)、自然(里山、水辺)そして伝統の食を堪能できることだ」と思いはじめた次第です。紙面の関係もあり、早速、木下(六軒を含む。)の魅力を簡単に紹介し、木下への招待状とします。

 木下河岸の歴史 利根川左岸に位置する木下は江戸期から明治期にかけ、江戸(東京)と銚子、佐原、茨城県の北浦、霞ヶ浦といった下利根川流域を結ぶ交通結節点して繁盛していました。江戸期には三社詣出(鹿島神宮、香取神宮、息栖神社)が盛んになり、木下から年間一万四千人が乗船し、五千艘もの川船が出船したという記録が残っています。

 明治期になっても繁栄は続き、特に明治一〇年代中期には旅館が一四軒もあり、年間泊客が約三万人程度ありました。当時、県下で旅館は二五五二軒、推定泊り客は約二二〇万人程で、木下は旅館数(〇・五%)に比べ、泊客(一・四%)が多かったといえます。それを裏づけるように、当時の新聞は「木下には毎日、銚子への蒸気船が往復し、繁昌している」、「木下は印旛郡の戸数四〇〇戸にも満たない小さなまちだが大変繁昌している」と伝えています。木下には今もこうした往時の面影を伝える蔵・町屋がたくさんあります。昨年十月、「吉岡まちかど博物館」として開館した吉岡家の土蔵はその代表的なものです。

 「伝統の食」 木下には歴史あるまちに相応しい味わい深い「伝統の食」があります。私のお薦めは@「寿美吉」(六軒)の鰻天ぷら、A久七団子(六軒)、B木下せんべい(木下・六軒)です。鰻天ぷらは絶品で木下の史料を漁っているとき、「こゝ(木下)へ来たもう一つの願ひは、名物だといふ鰻の天ぷらをたしかめてみようといふことであった。(中略)案外に軽い天ぷらだ。おそらくそれは鰻の小さなせいでもあろうが、脂っこい感じが全然ないのは油に依る中和ででもあろうか。(中略)これは優秀だ。」(添田知道(昭和16年)『利根川随歩』)に出会い、早速、食べましたが、さすがに成田山の参詣客が帰路、わざわざこの店に来るのがわかりました。これは木下の名物だと直感したものです。次は「午前中に行かないと売切れてしまう」という圧倒的人気を誇る久七団子です。先日も車から降り、走ってきたお客さんを見かけました。みたらしとあんこの二種類ですが、特にこしあんは甘さを押さえた上品な味で何本でもいけます。三番目が木下せんべいです。草加せんべい等に比べ、厚さが薄く、歯ごたえも柔らかく、歯に優しいせんべいです。駅北口を通りかかるとき、その香ばしい香りについつい、のれんをくぐりたくなってしまいます。

 伝統の食は食べてくれる人がいて、はじめて「伝統」になります。伝統を守るのはお店の方だけでなく、「買う」ことを通して、地域の味を守り、伝えるのは実は私達市民でもあります。是非、一度、木下の伝統を味わって下さい。知らない木下に出逢えるはずです。


商店街を歩く

オススメの店 味のある店

 今回、取材で木下大森地区の何店かを訪れ、話を聞いていると、いまこの街の多くの店が「手づくり」の商品やサービスをめざしたり、客との間で落ち着いた、血の通った交流といったものを重視しているように感じられた。

 いま木下大森で最も元気がいいのは、煎餅や団子といった、各店ごとに「秘伝」の味を確立し、客のかなりの部分がリピーターであり、かなり遠くからわざわざ煎餅や団子を買いにくるケースも多いという。

 飲食店の場合も、固定客の比率が高く、ニュータウンの大型ファミレスのような、マニュアルで接客する店とはまったく雰囲気の異なる店が、良くも悪くもひっそりと営業しているケースもみられる。そうした店を自分で発見する楽しみも、この街にはある。

 また、一見物を売る店であるかのように見えても、実際には修理や相談などきめ細かいサービスによって、客と安定した関係を保っている店もみられる。

 業種・業態の違いはあっても、いま木下大森地区の多くの店がめざしているのは、きめ細かなサービス、他の店にない品揃え、店の主人が自ら吟味して選んだ商品を、それを理解してくれる客との安定した関係の中で販売していくといった行き方をとろうとしている店が印象に残った。

 そのような、「ニュータウンに無い店」が少しずつでも増えていくことを期待する。また、そうした店を発掘していきたい。


もつ焼・焼鳥 山倉山

 中の口交差点に店を構える山倉山は、ご主人の山倉重雄さんが平成11年5月に脱サラして開業した。新鮮な食材と、武蔵小山駅近くの人気料理店「西海」で修業するという幸運にも恵まれて、サラリーマン時代とは全く違う世界に飛び込んだにしては、短期間のうちに料理人としての確かなものを確立してきた。

 特に、食材については中間をとばした流通ルートをつかむことで、良質のものを鮮度を落とさず、しかも比較的安く手に入れる。酒についても、できるだけ良い日本酒を安く入手することをめざし、品揃えということには最も気を使っている。八海山や久保田といった銘柄が常に店に置けるよう手配しているほか、千葉の地酒についてもすべて自分で味見して購入している。

 メニューの一品一品、丁寧に作ってあり、こちらを納得させてくれる。雰囲気もよく、くつろげる店。

 これからの季節(11月から3月まで)、(特)鍋が同店の名物。山倉さんが修業した「西海」は、チャンコをベースにした食処だが、ここでの直伝のスープで仕立てる鍋は、冬の大人気メニューとなる。二人前2300円。


地酒・地焼酎 なべだなフード

 同店は、古くからこの地で造り酒屋を営んできており、店主の大塚雄三さんで四代目。戦後は酒造りをやめて、販売だけに専念した。

 大塚さんは、二年半ほど前にサラリーマン生活をやめて、家業をつぐことになったが、酒の業界は現在大不況。特に、これまで規制に守られてきた町の酒店は、規制緩和の流れの中で、安売り酒店の攻勢などで廃業したところも少なくない。

 そうした時期での家業引き継ぎとなるわけだが、大塚さんは安売りや大量販売の世界には最初から背を向けて、自分で味わって納得した商品を店に置く、そうした商品を発掘していくことを自らに課している。やがては「地域の酒をつくる」ことが目標だという。

 荒唐無稽な価格競争が続く一方で、ブランド信仰もあって、品薄の商品になると大型店などでは、大塚さんの店の数倍の価格で売られていることもあるという。ブランド品が流通していく過程で、中間マージンや転売など、「投機」のような実態もあるようだ。

 現在、なべだなフードでの一押しの銘柄を聞くと、京都・東山酒造の六玄(りくげん)、仁勇の生しぼり(活性生にごり、12月頃出荷)、亀岡酒造のちよのかめ「亀」(ピンクのどぶろく、千葉県で取扱うのは同店を含め2店のみ)をあげてくれた。

 ディスカウント店が元気がよかったのは、お酒の規制が緩和されていく過渡期の現象(規制緩和に乗り遅れたグループと出し抜くグループとの競走)でしかなかったとすれば、これからは、大塚さんのような行き方が町の小さな酒屋さんが生き残れる唯一の道かもしれないし、そうであって欲しいと思う。それでなければ、酒の文化はあまりにも貧しいのではないか。


せんべい 川村商店

 最盛期には木下駅周辺の煎餅屋さんは15、16軒あったというが、その中でも岩崎商店と並んで川村商店は最古参という。とくに、川村商店は戦争中米の流通が統制された一時期を除いて、一貫して煎餅を作り続けた歴史を背負う。駅を下りると、目の前にある煎餅屋ということで、町の風物詩的な存在でもあり、この店に足を踏み入れた有名人も少なくない。

 米の入手から、地元のコシヒカリにこだわり、生地づくりでのノウハウ、焼き方も五人くらいの焼き手が一枚ずつ炭火で焼き、刷毛で醤油を塗る工程は、昔から変えていない。

 季節によって多少の変動はあるが、だいたい一日一〇〇〇〜一五〇〇枚焼く。

 最盛期には、官庁(町役場)向けなど大口需要がかなりの比重を占め、年がら年中品切れだった。今は個人向けがほとんどで、地元の人が遠方の親戚などに贈り物をしたことがきっかけで、全国から注文が来る。

 オーナーの川村恵子さんは、「これからも機械に頼らず、手間を惜しまない」ことをモットーに、煎餅づくりを続けていく。


バレエ教室 シオツキバレエスタジオ

 「流浪のバレエ教室」がようやく落ち着き場所を得た。これまでシオツキバレエスタジオは、練習場所に恵まれず、あちこちを転々としてきたが、今年5月、印西市役所前のエンドウ薬局2階に約26坪の柱のない空間を確保、バー、鏡、リノリューム床が完備したスタジオがスタートした。

 9月から来年3月12日開催される発表会向けの練習が始まっている。印西市文化ホールでの発表会も8回目を迎え、今回の演し物は「シンデレラ」、坂倉美香さんと岩田由美さんが主役を演じる(ダブルキャスト)。

 塩月照美(てるよし)先生のレッスンは、現時点ではムリでも、半年間の稽古で達成できるぎりぎりの目標を生徒に与えて、緊張感をもってレッスンを積むことで、やがて目標をクリアしていくプロセスを踏んでいく。生徒の側でも、日常生活では味わえない緊張感で、自分が高まっていくのがわかる、その達成感を味わうことで「やっていてよかった」と思えるという声が聞かれる。


せんべい 関口米菓店

 関口米菓店は、もと染物屋だったが、現店主の関口治勇さんの父が昭和23年に米菓店に転換させた。当時の食糧難と復員兵の仕事場確保のために、煎餅づくりに取り組んだ。

 「関口流」せんべいの特徴は、天日で自然乾燥させること。敷地内に染物を干すのに使われた庭があり、天気のよい日には数千枚の生地が並べられて、「日光浴」する様は圧巻である。

 一日約3000枚(米の量にして約70キロ)焼くが、基本的に焼いたその日の内に売り切れるため、いつも新鮮な煎餅が食べられる。

 平成10年には、4年に1度開かれる全国菓子博覧会で内閣総理大臣賞を受賞した。


団子 久七だんご

 木下大森地区でせんべいづくりが盛んになったのは、米の生産地としてその加工品としてのせんべいが作られるようになった経緯があるが、だんごももう一つの米の加工品。

 「久七だんご」は、現・石井勝久さんから4代前の石井かくという女性(大正8年没)が団子屋を創業した。石井家をさかのぼると、久七というご先祖がいたことからこの名前がついた。最初は、団子と一緒にせんべいなども焼いていたが、勝久さんの父・麟太郎氏が団子の味を研究し、現在の味に達した。

 しかし、勝久さんが引き継いだ後に、父の代から取引のあった醤油メーカーが廃業してしまったため、勝久さんは父の作ったミツの味に近づけるために、新しい醤油屋と一からやり直した。勝久さんの評価では、現在の味は父の作り出した味の95%まで近づいたという。

 だんごづくりには、醤油から作るミツの味もさることながら、実は天候がもう一つの重要なテーマのようだ。天気、気温、湿度などが食感にも影響するし、注文の量も変わってくる。このため、勝久さんは25歳のころから、毎日欠かさず天候を記録する習慣が身についている。


沖縄料理・居酒屋 やんばる2

 ちょうど1年前に木下駅北口の空き店舗に沖縄料理の店をオープンした。店名の「2」は、鎌ヶ谷口の本店に次ぐ2店目という意味で、本店はランチタイムから営業しているが、木下店は夜間(夕方6時から)のみの営業となっている。

 「さびれている」といわれる木下駅北口通りにあって、同店には毎晩煌々たる店内に陽気な笑い声が響き、月2回行われる三線(さんしん)ライブの時などは、店内の70人ほどの座席も、10人ほどのカウンター席も、空いているところを見つけるのが困難なほど。沖縄の店の特徴として、ライブの時はプロの演奏を聴くだけでなく、店長をはじめ店のスタッフが演奏を披露したり、時には客が飛び入りで加わったりと、すぐに盛り上がる。

 沖縄料理だけに、たとえばゴーヤも炒めるだけでなく、サラダ、酢もの、和えものと豊富なメニューがあり、このほかヘチマ料理、豚料理、ソーキソバなど。素材の8割方は沖縄から空輸している。

 木下駅北口通りの空き店舗に「やんばる2」が出店して、一人気を吐いている姿は、今後の木下大森の街の行方にも貴重な示唆を含んでいるのではないか。沖縄の居酒屋の、あの独特の陽気な雰囲気、店のスタッフと客、客同士がすぐうち解けて、そこに三線でも加わると大合唱になってしまう。

 沖縄を訪れるたびに「ウチナンチュウというのは、ヤマトンチュウよりも人生の楽しみ方にかけて、相当上手をいっているのではないか」という思いを強くした覚えがあるが、そうした文化を背景にした店で、決して「マニュアル化」できない空気が流れている。大手のチェーン店には手を出せないもの、マニュアルの世界に最も遠い領域で、「やんばる2」に次ぐ、同じように個性的で元気のある店があと何店か出店してきたら、この街は大きく変わるのではないか。

 「やんばる2」の出店は、そうした可能性を感じさせる上でも、最近この街に起こった「事件」といえる。