[1]中央公園なんか要らない

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公共工事をめぐる詐術

 公共事業をめぐる説明、大義名分には時々ウソとはいわないまでも、明らかに聞く人を錯覚させる、ある
壮大な仕掛けが隠されているようだ。

 50歳代以上の人たちなら覚えているだろうが、われわれの子供のころ「欧米先進国では道路はほとんど100%舗装されているが、わが国ではまだ××%にすぎず、もっと頑張って舗装率を向上させる必要がある」とよく聞かされたものである。ところが、ずっと後になって判明したのは、欧米先進国では道路というのは“舗装された道”のことをいうのだそうだ(だから道路の舗装率が100%になるのは当たり前)。

 これは大前研一氏が指摘している。しかし、大前氏がそのことを指摘したときには、すでに日本中の土地という土地がアスファルトで塗り固められ、われわれの日常生活がほとんど土から隔絶された後であった。

 いままた、公共工事に関する新たな数字が一人歩きしている。それは、1人当たり公園面積という代物である。この数字によれば、わが国の1人当たり公園面積を欧米先進国並みに引き上げるには、ざっと現在の2倍の公園を作っていかねばならないらしい。しかし、この場合の公園というのは、「都市公園」つまり建設省の管轄する公園だけを意味するところが、今回の“仕掛け”らしい。全国にある国立公園や国定公園などは、建設省の管轄外だから含めないんだと(!)。

中央公園予定地の不思議

 道路の例でみられた、あまりといえばあまりに露骨な世論操作に比べればスケールはやや小さいが、1人当たり公園面積という説明もわれわれを錯覚させるには十分なトリック性を含んでいる。

 平日の日中、ご主人を送り出した奥さんが所在なげに子供をブランコで遊ばせたり、せいぜい週末に1回テニスを楽しんだり、夜になると痴漢が出没したりする“やすらぎの空間”というのも、あって不都合はないだろうが、現代文明に疲れた人々を癒し、自然に親しませるのが公園の機能だとすれば、一般住民にとって国立公園や国定公園を「公園」の定義から除外する理由は何もない。

 さて本題だが、数年前から時々思い出したように工事が行われている、千葉ニュータウン中央駅近くの「中央公園」予定地は、工事が開始された数年前からずっと無残な姿を、ここを通勤などで毎日通るわれわれの前にさらしている。もともとうっそうと茂っていた森を丸裸にした上で、所々に余所から運んできた枝振りのいい(値段の高そうな)樹々を植え、残りの大部分の面積は裸地のまま何年も放っておかれている。その間、住民は鉄索に阻まれてこの絶好の自然を楽しむことを拒否されている。

谷津田、里山こそが公園

 率直にいって、中央地区にこれ以上の「都市公園」は要らないと思う。すでにそれぞれの地区にそれなりの公園はあり、それなりに利用されている。それに、一歩住宅地を出ると、小高い丘の間に農家や水田が連なる谷津田、里山が広がっている。むしろ、こういう風景こそがわれわれにとっての“やすらぎの空間”、公園だといえる。このような自然をできるだけそのまま残すことこそが、今後の公園行政ではないか。ブルドーザーを入れなければ、公園行政ができないと考えるのは時代錯誤というほかない。

 国だか県の企業庁だか知らないが、「中央公園」予定地を買収したまではいい。その予定地に何も手を加えず、自然のまま住民に開放してしまうという方策は考えられなかったのだろうか。荒れ地だから、転ぶ人もいるだろうし、怪我をする子供も出るかもしれないが、そんな心配は余計なお世話というものであり、人々の踏み固めるところがやがて道となり、危険度は徐々に解消されていくだろう。子供に怪我をさせるのが心配な人は、それまで足を踏み入れなければいい。

ブルドーザー抜きの公園行政を

 中央公園の建設期間が長引いている(したがって、その間住民が閉め出され続けている)のは、たぶん予算の関係で一気に工事を進められないのだろう。だが、住民のひとりとして言わせてもらえば、ここにブルドーザーを入れて工事をしてくれと頼んだ覚えはない。それでなくとも、ニュータウンの整備が進むにしたがって、どんどん自然がなくなっていくのである。1カ所くらい、ブルドーザーなしの都市公園というのを考えたらどうか。

 公共投資630兆円計画の論議の中で、橋、道路、公園などへの予算配分が年々ほとんど変化しないことに対する批判が強まっている。それぞれの領域でもっともらしい理屈をつけた目標値を設定して、これを年度割りして予算要求するのだから、配分比率が変わらないのは当たり前である。配分比率を変化させ、本当に必要なところに重点配分しようと思ったら、目標値そのものを俎上に乗せて、本当に必要かどうかを皆で検討するしかない。

 現在の公共投資のある部分はすでに住民のニーズとかけ離れたところで、関係官庁や業界の仕事づくりのために行われている。「中央公園」計画も、ブルドーザーなしで、この地区を永久に国または県の手で、自然が保存され、住民が自然を楽しむ森として残した方が、安上がりであるだけでなく、明らかに多くの住民から歓迎される、豊かな公園となったのではないだろうか。

「千葉ニュータウン新聞」1997年4月15日号所載

(注)
1.本文でいう「中央公園」は、その後整備が進んで、平成12年4月28日北総花の丘公園としてオープンした。

2.国土交通省の『都市公園等整備の現況』によれば、平成12年度の1年間で日比谷公園の約170個分の都市公園が整備され、12年度末の「1人当たり公園面積」は、

約8・1平方bに上昇したという。
 都市公園の整備については、都市計画中央審議会答申(平成7年7月)で「1人あたり公園面積」として
20平方bという長期目標が設定されており、また、先進各国の整備水準と比較すると「依然として積極的な整備の展開が必要な状況」だとしている。
 まだまだ、「都市公園」を造り続けるつもりらしい。

3.「北総花の丘公園」のような都市公園にことさらな「敵意」を燃やしているわけではないが、ここで述べているような考え方は、東京世田谷区で始まった

「冒険遊び公園」のような運動ですでに一定の広がりを見せている。これは、公園として整備するのを最小限にとどめ、雑木林のまま住民に開放してしまう方式。子どもたちがワイルドな遊びができる空間を創出したもので、旧態依然の都市公園を作ろうとした当局に、住民とくにお母さんたちが、雑木林の保存を求めたことから実現したという。「冒険遊び」方式は、今年の「ラーバンフェスタ2001」でも採用され(キッズワンダーランド)、花の丘公園の一角(昔の雑木林がわずかに残っている)で、子どもたちが木登りや樹上に家を作ったりといった遊びを楽しむことになっている。