[2]もっとバスに乗ろう

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バス会社を責められない、あまりにも少ない乗客

 路線バスをめぐるシーンその1。
 出勤時間が一定しない私の場合、駅までのバスに乗るのは朝だと9時台(以降)が多い。しかし、この時間帯になるとバスの便は極端に少なくなり、先日ももう一歩のところで乗るべきバスを逃してしまい、停留所の時刻表をみると、あと1時間近くバスはやってこないことがわかり、しかたがないので駅まで歩いた。

 シーンその2。
 先日家内がバスを利用しようとしたが、その時間はいつものニュータウン中央駅行きはなく、代わりに牧ノ原駅行きがやってきたので、乗り込んだ。駅に着いたので、下車しようとして運転手さんに料金を聞いたところ、「すみません、
あそこでお客さんを乗せたのは今日が初めてなんで」と言われ、運転手さん、しばらく料金表とにらめっこをしてから、料金を教えてくれたとのこと。

 紹介した二つのシーンは、この地区のバス事情を象徴する、コインの裏表のような事例だと思う。

 第1のシーンでは、われわれは路線バスの不便さ、バス会社のサービスの悪さに不満を口にしがちだが、第2のシーンのような話を耳にすると、バス会社の悪口を言うだけでは済まない、かなり深刻な問題がこの地の交通事情に存在していることを認めざるをえなくなる。

 要するに、バスの利用者が少なすぎるのである。みんな、家族の運転するマイカーで駅まで送り迎えしてもらい、休日はどこへ行くにも車である。利用者が少ないから、バス会社だって便数を増やせない。結果、日頃車に乗っている人たちにとって、バスは不便でかったるい乗り物の代名詞となり、ますます乗らなくなる。みんなが乗らないから、便数も増やせず、バスは不便な状態から抜け出せないという悪循環に陥っている。

バス会社への注文

 バス会社にも検討してもらいたいことはある。たとえば、私どもが通常利用するのは高花〜中央駅間の路線で、乗り降りする停留所は船穂中学校前だが、ここを通るのはほかに津田沼〜木下駅(中央駅経由)という路線もある。それが、時間帯によっては2種類のバスが1、2分くらいの差でやってくるのである。どちらも中央駅を通る便だから、早く来た方に乗るのだが、おそらく、1、2分後にこの停留所にやって来たバスに乗る客はほとんどいないのではないか。

 長距離路線の津田沼〜木下線のダイヤを変えるのはむずかしいだろうから、高花〜中央駅線のダイヤを10分とか15分程度ずらせば、中央駅まで行く乗客(見ているとほとんどがそうである)にとっては、実質的に本数が増えることになる。

 バス会社だって、従業員にかすみを食わせているわけではないのだから、現状の乗客数でこれ以上便数を増やせと主張するのは無理だと思う。しかし、ダイヤの組み方次第では、全体の便数はそのままでも、乗客にとっての利便性は少しでも向上する余地があるのではないか。

「加害者」は意外なところに

 たとえば、次のようなシーンを想像していただきたい。

 朝、満員の通勤電車の中にどこかへ遊びに行くらしいオバサンたちの集団がどかどかと乗り込んでくる。オバサンたちはやたらにぎやかで「何で、こんなに混むのかしら。いやーねえ」とか何とか勝手なことを言っている。

 そういう時、私は(おそろしくて声には出せないが)ひそかに胸の内でつぶやく・・・「あんたたちみたいのが乗ってくるからよけい混むんだよ」。

 この地の路線バス事情は、満員の通勤電車の中で黙々と耐えている通勤客と、にぎやかなレジャー・オバサン集団との関係をそっくり裏返したようなところがある。

 たとえば、何かの事情でマイカーが使えなくなり、久しぶりにバスを利用する人は、おそらく「なんて、不便なバスなんだ」と感じ、二度とこんな不便なバスは使いたくないと思うだろう。

 だが、二度とバスになど乗りたくないと考えた人が、それを実行することにより、バスはますます不便になっていくのである。その結果は、朝奥さんに駅まで送ってもらえない人や、夕方ニュータウンの駅に到着しても、迎えになんか来てもらえないオトーサン、それに高齢その他の理由でマイカーを使えない人などにしわ寄せされる。

 車に乗れるうちはいい。しかし、歳をとったら、ニュータウンというところは、場所によっては、ほとんど生活を成り立たせること自体に困難を感じさせる街なのではないか。そのことを象徴している一つがバスの便であるように思われる。

なるべくバスを使おう

 バス会社も一所懸命やっているのである。最近は、レインボーバスなどは、運転手さんの愛想もいい。何とか、乗客との間でコミュニケーションを成り立たせようとして、涙ぐましい努力をしているのが伝わってくる。ここはひとつ、乗客およびその予備軍としても、なるべくその努力に応えてやろうじゃないか。そうしないと、バスは今後も不便なまま続くだろう。

 だいたい、一人の通勤・通学者が家を出るたびに一台のマイカーが駅まで往復するなど、贅沢というか資源の無駄づかいというものである。とはいうものの、朝の出勤タイムという、一日のうちで最もせわしない時間帯に「地球環境」だの「資源問題」まで頭が回らないのも事実であるが。

 しかし、少なくともこの地域が、老・壮・幼の各世代にとって快適でバランスのとれた発展を遂げていく上で、路線バスはなくては困る存在であることは確かである。

 提案としては、「なるべく」バスを使えるときは使おう、という非常にぬるま湯的なことしかいえないが、みんなで路線バスを育てていくしかないと思う。バスに限らず、世の中には、使わないでいるとダメになるものがいろいろとあるのである。

「千葉ニュータウン新聞」(掲載月日不明)所載