「ニュータウンに無いもの」は、千葉ニュータウン地域で20年間発行されてきた地域新聞千葉ニュータウン新聞に1年間連載され、地域の方々から好評を得たコラム([1]から[10]まで)ですが、千葉ニュータウン新聞の終刊に伴い、しばらく休んでいました。その後、2002年秋より月刊 千葉ニュータウンにて復活、今後はネタが途絶えるまで、連載を続けるつもりです。

 われわれの街に「あるもの」「これからできるもの」については、あふれるほどの情報が提供され、われわれはついついそちらに目がいってしまいます。しかし、われわれが皆「あるもの」「これからできるもの」を追求してきた結果、日本中どの街も同じような表情をした、いわゆる「金太郎飴」現象を生み出してきたのではないでしょうか。

 ここでは、「ないもの」を見ることを通じて、われわれの住む街がどんな街なのか、われわれが何を失ってきたのかを考えたいと思います。昔の街並みに存在していたが、今の都市の風景から消滅しているものを見つけだすことを通して、それが現在のわれわれの生活実感、精神構造に与えているかもしれない影響が多角的に考えられ、今後のまちづくりの議論の素材、ヒントになると思います。

 「ニュータウン」と題してはいますが、ここでみる現象は大都市およびその近郊の多くの住宅地では共通にみられる現象です。千葉ニュータウンに住む人もそうでない人も、一緒に読んでいただければと思います。

 また、「番外編」は、千葉ニュータウン新聞で「ニュータウンに無いもの」の連載が始まる以前に、時折同新聞に寄稿していたエッセイのようなものです。

 「ニュータウンに無いもの」のように、一つのテーマに沿ってではなく、その時々に感じたり、気がついたことを書いては、編集発行人の小田さんに送りつけては、載せてもらっていたものです。思えば、こんな雑文の集積が、やがて「ニュータウンに無いもの」というような、一応のテーマをもった連載に発展し、そうこうするうちに同紙の終刊という事態に遭って、ならば自分で地域紙を出してみようかなどという、不埒な考えを芽生えさせていったことになります。

 私の場合、こういう雑文を書きながら徐々にこの地域と自分との接点を見つけていくというプロセスをたどってきました。いわば、これらの雑文こそが、私と千葉ニュータウンとの関わりの原点であり、「自分だけの記念碑」としての意味合いから、ここに再録する次第です。

 これらの雑文を書いてからすでに数年経っているので、事情が変化している場合もありますが、記事そのものは基本的に掲載当時の形とし、必要に応じて現在のデータに基づき、若干の注釈をつけるなどして、逐次アップロードしていきます。

 それでは、お時間の許す限りごゆっくりとお読み下さい。