[2]浮世床

佐原市で見つけた浮世床

 千葉県北東部の端の方に佐原という町がある。

 ここは、古くからの芸能や祭りがよく保存されている町で、街路を散策しているととても懐かしい感じがする。店々のたたずまいが古びているし、商品の並べ方なども昔の雑貨屋そのままである。古本屋に立ち寄ったら、明治時代の尋常小学校の国語の教科書などがさりげなく本棚を埋めているかと思えば、私などが子供のころ読んでかすかに記憶している、昭和二〇年代の漫画雑誌がバックナンバーを揃えて売りに出されている。

 なお、ここだけの話、「長谷川」という鰻屋さんは、お薦めですよ。佐原のちょっとした名所にもなっている、赤い煉瓦造りの銀行の近くにあるから、この町を訪れることがあったら、試食してみる価値アリです。

 この佐原の町中をぶらぶら歩いていたら、一軒の理髪店を見つけた。もちろん、いくら昔ながらの街並みといっても、佐原の町中に床屋さんがあっても別に不思議はない。佐原の町中に東京都庁がそびえ立っていたら、ちょっと不気味だろうけど。

 その床屋さんをなにげなく覗いて、びっくりすると同時にいたく感動してしまったのである。土間のようなところに散髪用の椅子があり、中年男性が髪を刈ってもらっている。その横の上がり框(あがりがまち)風の六畳くらいのスペースに七、八人のおじさんたちが将棋を指したり、週刊誌を読んだり、談笑したりと、思い思いに暇をつぶしているではないか。

 そう、完全に浮世床モードなのである。

休日の男たちの暇つぶし

 マスターが一人、散髪用の椅子が二脚という店の「生産能力」からみて、畳に寝そべっている男たちが全員、散髪が目的でここにきているとは思えない。たぶん、ほとんどのおじさんたちは文字どおり ひまつぶしで将棋や談笑を楽しんでいるのであり、マスターの方も店内のスペースがおじさんたちにそういう形で占領されていることに別段不満そうな様子もみえない。

 むしろ、マスターもおじさんたちも、これこそ床屋としての当然にして正統なサービス機能なのだと自信をもっているようにみえた。まあ、椅子が空いてマスターまでが暇つぶしという状態はまずいだろうから、そういう時は、寝そべっているおじさんたちの中から「おい、今日はお前刈ってもらえよ、ひでえ髪してるゾ、顔もだけど」などと、余計なことまで言われた奴が人身御供となって、突如として客に昇格するくらいのことはあるのかもしれないが。

近代化が排除した交流空間

 中国や香港、台湾などを旅行すると、昼下がりの公園の木陰で囲碁や将棋を楽しむ男たち、それを取り囲んでワイワイ、ガヤガヤやっているたくさんの男たちの姿をよくみかける。日本でも、私の子供のころまでは田舎の床屋には日曜日ともなると、そういう大人たちがたむろしていた、つまり浮世床的な空間が確保されていた記憶がある。

 それが、高度成長期に他のいろいろな素晴らしい、しかしどちらかといえば 非効率な風習と一緒に、浮世床も日本の都市空間から消滅してしまった。男たちは忙しく、疲れて、ネクラになり、近所の男たち同士でとりとめもないバカ話をしたり、ヘボ将棋を指したり、表を通るネエちゃんをからかったりといった時間がなくなり、そういう場所も気がつくとなくなっていた。

 まあ、そういう時間や場所がなくなっても、とりたてて誰かが困るわけではない。しかし、洋の東西を問わず、男どもが街角で世間話に花を咲かせるというのは、ある時期まで都市の典型的な風景だったように思う。それが、第二次大戦後、先進国では姿を消していった。都市は、スーツとネクタイで身を固めたビジネスマンが忙しく通り過ぎる、とりすました空間になってしまった。

 とりすました空間は、やがて郊外の住宅地にまで波及し、おとうさんたちは大手町や霞ヶ関の雰囲気をそっくり自宅の周辺にまで持ち込んだ。しかし、そういうおとうさんたちも本当は孤独で寂しいのであり、心の底では、時に隣家のおじさんと垣根越しに世間話をしたり、磯野波平モードを楽しんだりしたいのである。

おかあさんたちのための井戸端会議

 浮世床的時空間を必要としているのは、おとうさんだけではない。おかあさんたちも、昔は井戸端会議というのがあったが、この伝統的な主婦のための交流サロンもまた、新興住宅地では消滅している。

 ニュータウンの奥さん方の交流は、実は子供たちを介している場合が多いといわれる。しかし、PTAなどで形成される交流関係というのは、たとえば中学二年生の子供のお母さんの場合、相手も同じ条件ということで、そこで交わされる会話も閉鎖的で、意外性のない、退屈な会話でしかない。これがイヤで外に働きに出た奥さんがけっこういるのだという話を、そういうパートタイマーを200人ほど雇っている中堅企業の会長さんから聞いた。

深刻な鍵っ子老人問題

 おとうさん、おかあさんたちと並んで、現在福祉関係者の間で「昼間独居老人」の存在が大きな問題になっているという話を、24時間在宅介護サービスをやっている会社の役員氏から聞いた。要するに鍵っ子高齢者であり、病院の待合室などがこうしたお年寄りの集合場所になってしまう。「でも、役所が○○センターのようなきっちりした施設を作ってもダメなんですよね」というのが、この役員氏の解説であった。

 ウン、わかるわかる、たとえば印西市の温水センターでいえば、せっかく二階に立派な畳の部屋があるというのに、ここでは風呂上がりのビールも飲ませないというセンスだもんね。浮世床や井戸端会議のような、飾らない、自然体の交流空間が、おとうさんにもおかあさんにもお年寄りにも、そしてたぶん深夜のコンビニ前に集まるニイちゃんたちにも必要なのだろう。

 佐原の町の床屋さんを覗いて、そう思った。

「千葉ニュータウン新聞」1999年4月15日号所載