[4]ホームパーティ(おひまち)

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日本人とホームパーティ

 企業のアメリカ駐在員などが、仕事の関係先の社長宅でのホームパーティに招かれた体験談を時々新聞などで目にする。現在の日本では仕事の関係先を家に招待することはあまりないので、駐在員氏はすっかり感激して報告に及ぶ。しかし、この駐在員の「日本ではホームパーティの習慣がないが、アメリカでは・・・」という指摘は、半分正しいが、半分間違っている。ホームパーティの定義を「コミュニティの構成員の誰かの家に皆が集まって歓談する」ことだとすれば、日本人も昔から相当ホームパーティ好きの民族だったのではないか。日本人がホームパーティをしなくなったのは、たかだかここ三、四〇年のことでしかなく、それも大都市圏に限られた現象にすぎないと思う。

 私の子どもの頃を振り返っても、親父やお袋が隣家に招かれたり、隣近所を招いたりということは、かなり頻繁に行われていた。一家の主人だけの集まりがあるかと思えば、主婦だけで集まり、ホスト家で作ったご馳走や、それぞれが持ち寄った料理を褒め合いながら、女だけの談笑を楽しむような集まりもあった。

 母はこうした会合を「
おひまち」と呼んでいた。広辞苑で引くと『農村などで田植えやとりいれの終わった時などに、集落の者が集まって会食や余興をすること』とある。かなり広く行われていた風習らしい。もちろん、結婚式や葬式もすべてそれぞれの家で執り行われていた。「村八分」というのは、火事と葬式の時を除いて、隣近所から絶交されることを言ったが、端的にいえば、こうした「おひまち」へのお呼びがかからなくなる状態を意味していたのではないか。

 ひるがえって現在のコミュニティの状況をみると、隣近所同士のおつきあいというのは、極めて淡泊であり、各家とも視線はコミュニティの外に向いている。住民相互の交流があまりない現代の都市型社会では、村八分の実効性はほとんどない。普段でも互いに村四分くらいのつきあいでしかないため、四分が二分になったくらいでは誰も痛痒を感じないわけである。

「うさぎ小屋」批判の意味するもの

 欧米人の価値観で日本の社会を批判したり、説教じみたことを言う連中は好きではないが、「うさぎ小屋」という批判は、現代日本の住宅が、核家族がただ食って寝て排泄して、会社や学校や塾に「出撃」する基地としての機能しかもっていないことを言おうとしているのだとしたら、当たっていないこともない。

 ただし、日本人が働きすぎだとか、経済大国なのにあいかわらず狭い家に住んでいるとかいうのは、まったく
余計なお世話である。世界中を植民地にしたり、アフリカの人々を強制連行してきて家畜のように売り買いしたり、「新大陸」に乗り込んで、昔からそこに住んでいた原住民を虐殺、あるいは居留地に追い込んだりして富を蓄積してきた国々とは、豊かになっていくプロセスが少しばかり違うのだと申し上げるほかない。要するに、日本の捕鯨にいちゃもんをつける前に、まず自分たちの環境破壊的な牛肉文明を反省しなさい、というような意味である。

 思わず脱線してしまったが、とにかく現在の日本の家が貧しいのは、家の広さだとかリビングや寝室がどうとかいう問題ではない。家の設計思想そのものが、中に住む核家族が外の世界と無関係に、利己的に生活する造りになっていて、要するに家も家族も「
閉じられて」いるから、うさぎ小屋なのである。

孤立した家の悲劇

 最近、家庭内暴力が深刻な問題になっている。それも、反抗期の息子が暴れるという話ではなく、夫が妻に暴力をふるったり、家庭内レイプが増えているのだという。これにはいろいろと複雑な背景が絡んでいるのだろうが、一つには過去三、四〇年の「合理主義」的な家づくりが破綻して、ついに来るところまで来てしまった感がある。

 深刻化している
家庭内暴力(DV)を一種の「いじめ」とみるなら、日本人のいじめは常に「閉じられた」時空間で発生してきた。軍隊内でのいじめ、連合赤軍あさま山荘事件など、ある集団が社会に対して閉ざし、一般社会から浮き上がった存在になった時に集団内で陰湿ないじめが発生する。学校のいじめも、学校が社会から孤立し、閉じられた空間になってきている傾向と無縁ではないといわれている。

外に開かれた在来地区の家々

 ニュータウン地区外(在来地区)のお宅を訪問すると、概してそれらの家が外に向かって「開かれている」のを感じる。家の造りも開放的だが、そればかりでなく、初対面のわれわれに対しても、とくに構えることなく迎えてくれ、こちらをリラックスさせる何かを、これらの家々とそこに住んでいる人たちがもっているような気がする。

 もちろんわれわれ自身、これまで在来地区のような家ではなく、核家族向きのコンパクトでこぎれいな家を望んできたし、だからこういうところに住むようになったわけだが、そういう需要と供給とがあいまって三、四〇年を経過してみると、その課程で失われたものの大きさも、次第にはっきりと姿を現すようになった。

 ある程度確実にいえることは、日本の長い歴史の中でたかだか三、四〇年の実績しかない、しかもすでにほころびが見えはじめている現在の家づくりが、このまま未来永劫続く可能性よりは、むしろどこかで大きく変更される、それも高度成長期前の家づくりが見直される方向に行く可能性の方が大きいということである。二一世紀に入って比較的早い時期にそうした
転換点が到来するのではないか。

「千葉ニュータウン新聞」1999年6月15日号所載