[5]肥溜め

リサイクル・システムを機能させていた市場原理

 われわれが子どもの頃、道ばたで電線や釘などが落ちているのを発見したら、目ざとく拾って家の物置にでも投げ込んでおいた。適当な量が貯まったら、悪ガキ同士持ち寄って、古物商にもっていくと、小遣い銭が稼げた。要するにごみの大半は廃棄物ではなく、あるところに持っていくとお金になる有価物だったのであり、古物商の方も教育的配慮などから子供に小遣いを与えたのではなく、資源を持ち込んできた子供と商取引をしていたのである。

 『大江戸リサイクル事情』(石川英輔・著、講談社)という本の中には、江戸時代の日本がいかに洗練されたリサイクル社会であったかの実例がたくさん出てくる。たとえば、糞尿は、発生させた側が処理費を払うのではなく、引き取る側が代価を支払う、完全な商品として流通していた。つまり糞尿さえも廃棄物ではなく、肥料の原料として売買され、再利用されていたのである。われわれの子供の頃、田畑の所々に肥溜めがあって、糞尿が蓄えられ、畑に撒くまでの間じっくりと「発酵」「熟成」されていた。
スコッチ・ウィスキー並みの処遇だったわけである。

清潔な江戸の街と不衛生きわまりないヨーロッパの都市

 肥溜めが点在する風景に眉をひそめるのは、もしかしたら現代人の思慮の浅さかもしれない。

 江戸時代と同時期、ヨーロッパの諸都市では、糞尿はそのまま垂れ流しで不衛生なことといったらなかった。中には、二階の部屋でおマルに排泄し、そのまま窓からポイする奴もいたというから、おちおち道も歩いていられない。
ベルサイユ宮殿にトイレがなかったというのは有名な話だし、そもそもパリの中心部のあまりの不潔さに閉口したルイ一四世が、郊外のベルサイユに宮殿を避難させたというのが真相のようだ。不衛生な環境がコレラやペストの大流行を招き、ある時期ヨーロッパの人口が激減したほどであったという。

 江戸時代日本に来たヨーロッパ人の多くは、母国への報告や日記の中で、日本の都市の清潔さに強い印象を受けたことを記している。

 ヨーロッパで早くから
下水が普及したのは、都市のあまりの不衛生な状況から、そうせざるをえなかったというのが実情だったようである。しかし、人間が生活の中で排出するものを機械的に「処理」するという考え方そのものが、今日の深刻なごみ問題、環境問題を引き起こした元凶ともいえる。

肥溜めの消滅が環境問題の源

 日本の田畑から肥溜めがなくなったのは、戦後進駐軍のとった措置が影響しているようだ。大量の食料を本国から輸送させた進駐軍も、新鮮な野菜だけは現地調達せざるをえなかったが、農家の人が肥溜めから汲み取ったのを野菜畑にかけているのを見て、あわてて水耕栽培の装置を本国から取り寄せたという。対米コンプレックスの塊になっていた当時の日本人がこれをみて、肥溜めを野蛮なものと考え、徐々に撤去していったことは十分考えられる。

 こうして
日本の限りなく完璧に近かったリサイクル・システム(と同時に有機農業のインフラまでも)が崩壊しはじめ、高度成長期に入って、アメリカ型の大量消費・大量廃棄文明の浸透により息の根を止められた。

花粉症と肥溜めの関係

 最近、花粉症の原因は、日本人の体の中から回虫がいなくなったことと関係があるという説を説くお医者さんがいる。回虫が出すある物質が花粉症やいろいろなアレルギーを抑えるのだそうであり、アジアのどこかの住民を調査したところ、花粉症もちの比率と腹の中に回虫を飼っている人の比率とが、見事に反比例の関係にあったという調査結果を新聞で読んだ。 われわれが子どもの頃、子供が腹痛を起こすと、親はまず虫下し薬を飲ませたものである。虫下しを飲むと、腹の中の回虫は苦しがって暴れるから、腹痛はますます激しくなる。が、暫くするとウンコと一緒に回虫が出てしまい、腹痛は治まる。われわれの腹の中に回虫がいたのは、糞尿を肥料として使っていたことと関係があるらしいから、肥溜めが花粉症を抑えていたともいえる。

 げに、
肥溜めおそるべしである。

屁にさも似たり リサイクル活動

 本稿は別に、千葉ニュータウンのあちこちに肥溜めを作れと主張しているのではない。

 ただ、環境とかリサイクル問題というのは、個々人の意志とか決意といったレベルではどうしようもない、もっと社会全体のシステムとして構築しなければ実効性はないと言いたいのだ。「個々人の身の回りで、できることからリサイクルに努めましょう」くらいでは、中国の経済成長が〇・何パーセントか上下したら吸収されてしまう程度の効果しかもたらさないのではないか。そういうのを「誤差の範囲」もしくは「自己満足」という。

 冒頭にあげた
古物商のようなリサイクルのプロを社会全体でどれだけ育てていけるかが、リサイクルがシステムとして回っていくかどうかの鍵だといえる。その意味では、古新聞は自治体だの、どこかのサークルの回収の日に出すのでなく、専門の業者が回ってきた時に出した方がいいのかもしれない。一般の人や行政はあまり余計なことに手を出さず、専門業者がきちんとメシを食っていける状態をめざすことに徹した方がいい。「環境にやさしい」などという屁みたいなキャッチコピーは、屁よりも中身の濃い肥溜めの前には顔色なしなのである。

 肥溜めというリサイクル・有機農業システムを作りだし、維持していた、われらが祖先はやはり偉かった。

「千葉ニュータウン新聞」1999年8月15日号所載