[6]駅前公衆トイレ(1)

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立ちションへの寛容度には地域差がある?

 日ごろから常識だと思いこんでいたスタイルが、ある時何かのきっかけで、それほど普遍的でも汎用的でもないことに気づいて、軽いカルチャーショックを受けることがある。

 数年前関西方面に出張した時のことである。大阪府の役人と一仕事終えたので、ビアホールで歓談し、そこから新幹線の駅までタクシーで送ってもらった。途中で、この係長さん、運転手に停車を命じた。何をするのかと思ったら、下車して道ばたで堂々と立ちションし、また悠々と車に戻り、再発車したのである。

 夕方というにはまだ十分明るく、しかも人も車も往来の激しい大通りの道ばたである。だいいち、立ちションの主は府の係長さんである。しかし、運転手さんとのやりとりに意外感や抵抗感はまるで感じられなかった。「ちょっとナニするから停めて」、「はいはい」といった感じで、端で聞いていても、かなり日常的によく交わされ、こなれている会話という気がした。

 しかし、関東ではちょっと考えられない光景ではないか。関西一般なのかどうかわからないが、少なくとも大阪の人たちの立ちションに対する非常におおらかな姿勢をかいま見た思いであり、この「事件」がなければ、立ちションに対する寛容度に地域差があるらしいなどということは、考えもしなかったにちがいない。

公衆トイレがない街

 こんな駄文でも連載させてもらっていると、けっこう毎回読んでくれる人が出てきて、時々声をかけられたりする。そうした一人の方からヒントをいただいた。「ニュータウンに無いもの」ということで、この方がいちばん切実に感じているのはトイレだという。すでに会社を定年退職してしばらく経つこの方が、所用でたとえば千葉ニュータウン中央駅方面に行くとする。所用を済ませて、小用を催したとしても、それができる場所がない。

 もちろん駅の構内にトイレはある。ダイエーの店舗内にもある。しかし、これらの施設の利用者ならまだしも、たまたま駅の周辺を通りかかった人のための「公衆トイレ」というものが、この地区にはない。

 別に中央駅に限らない。白井も、西白井駅も、駅前に公衆トイレというものがないのである。小室駅にはあるが、駅からロータリーに至る階段の下にあるので、見つけにくい。つまり、千葉ニュータウンというのは、「駅前にトイレのない街」と定義することもできる。まあ、こういう定義にどれだけの意味があるかはちょっとワキに置いておくとして、とりあえずですね。

公衆トイレに関するまちづくりの思想

 先日、久しぶりに用があって浅草の街を訪れた。浅草に限らず、少し古い、あるいはなつかしい感じのする街には公衆トイレがあるが、ある時期以降大々的に再開発された、都心部の街には申し合わせたように公衆トイレがないのはなぜなのだろう。浅草に住んだり、そこを訪れる人はよくションベンをするが、六本木の住民や来訪者は人一倍膀胱が大きい? まさかね。

 そういえば、香港を旅行した時にもトイレの少なさに閉口した記憶がある。小さなレストランなどにはトイレはないし、街を歩いていて、手軽に用を足すというのがけっこう難しい街である。ようやく、日系デパートの中のトイレを見つけて入ったら、使えないくらい汚れていたことがある。

  と、こう並べてみると、公衆トイレのある街とない街というのは、それぞれの都市の基本的な特性と密接な関係があり、何か重要な相違点を形成しているのかもしれない。

 公衆トイレのない街でも、人々はウンコやションベンをしないわけではない。どこでするかといえば、駅、デパート、レストランといった大型施設の中で買い物や食事をする際に施設内のトイレを利用する。こうすることで、汚くて臭い公衆トイレを街の中のみえる場所に設置しなくて済む。

 デパートやレストランの中にトイレを封じ込めてしまうまちづくりには、なんとなく囲い込み型の発想を感じる。そして、こうした囲い込み型の施設の配置が、時に街路のにぎわいを奪うことになっているのではないか。

和倉温泉型vs草津温泉型

 能登半島の腰の部分当たり、七尾市の郊外に和倉温泉という温泉町。ここには日本一の旅館といわれる加賀屋がある。数年前、仕事仲間と和倉温泉に一泊した折り、とても加賀屋には泊まれなかったので、翌朝話の種に加賀屋を見物した。なるほど、ものすごい旅館というより、一種のテーマパークといってもいい、たとえば一階の土産物屋を見物するだけで飽きない。

 あれではこの旅館に泊まった客は、温泉街をぶらつく気分などにはならないにちがいない。一泊や二泊ではとても見きれないほど、旅館の中に何もかも揃っているのである。

 しかし、これは旅館としては成功かもしれないが、温泉街あるいはまちづくりとしては、非常に寂しい光景しかもたらさない。草津温泉でもどこでもいいが、そもそも温泉街というのは猥雑で、浴衣姿で街中を歩けるリラックス・ムード、わき出すお湯で地元の主婦が卵をゆでたり、調理する、生活の臭いと観光客の好奇心がごっちゃになった雰囲気が温泉街というものではないか。

 公衆トイレのないニュータウンのまちづくりを計画している人たちが、草津温泉型の街よりも、和倉温泉型の街をめざしているのだとしたら、疑問なしとしない。

「千葉ニュータウン新聞」1999年11月15日号所載