[8]商店街(2)

衰退する商店街

 モータリゼーションの進展で商店街はどこも打撃を受けており、駅前の商店街の中には、櫛の歯が欠けるように店じまいするところが出て、「商店街」としての機能を果たせなくなり、それでまた客足が遠のくといった悪循環に陥っているケースも少なくない。仕事や旅行で地方都市に行くと、あまりのさびれように、「ここがこの町の繁華街です」という地元の人の説明が、何か悪い冗談のように聞こえる風景に出くわす。

 私が以前住んでいた団地でも、一つの建物の中に十数店が軒を並べていた「マーケット」が閉鎖になるというニュースを聞いた。たしかに休日ともなると、みんな家族を車に乗せて、もっとにぎやかでオープンしたばかりの大型ショッピングセンターに買い物に行ってしまうから、大きな団地の中のマーケットといえども、ついには閉鎖に追い込まれるところもでてくるわけだ。

 そういう厳しい客観情勢も関係しているのだろうが、ニュータウン地区内には、かつて新しい住宅団地とともに整備されていた「○○団地名店街」のようなものも、最初から存在しない。あるのは、スーパーかコンビニ、あるいはディスカウント・ストアといった「今風の」ショッピング・シーンだけである。

 そこには、近在のお婆ちゃんがやってきて、店のご隠居さんと長話をしながら、帰りしなに思い出したようにちょっとした日用品を買っていくような情景もなければ、腹を空かせて学校から帰ってきた中学生の息子が、店番の両親に「ただいま」といいながら、店先からそのまま奥に飛び込み、やがておやつをほおばりながら、近所の悪ガキとの遊びに飛び出していくというような、なつかしい光景もみられない。

機能と便利さに偏した大型商業施設

 これに対して、私たちが日曜日に家族でドライブがてら足を向ける駐車場付きのショッピングセンターは、機能的といえばたしかに機能的であり、大方の客のニーズは古ぼけた地元の商店よりも、効率的に満たしているのだろう。車で乗りつけても、十分な駐車スペースが確保されているから、安心して駐車しておける。価格や品物の鮮度、品揃えも、地元の商店など最初から太刀打ちできない水準で、客を引きつける。

 しかし、少し時間をかけてニュータウンの買い物シーンを観察すると、商店街というものを最初から整備の範疇に入れずに、いきなりダイエーだのヨーカドーだの大型の商業施設を誘致してくるやり方がよかったのかどうか、そういうやり方でこれからも通用するのか、疑問なしとしない。

高齢者に的を絞った商店街

 かつて新撰組の屯所があった京都市の壬生地区。この地区にある西新道錦会という商店街では、客層を高齢者に絞ることで商店街としての生き残りを賭けている。

 この地域では、身体が不自由で日常的な買い物に出かけるにも大儀なお年寄りのために、商店街組合が月800円でファクシミリ機を貸与し、お年寄りはFAXで食料品や身の回りの品を組合に注文する。組合では、注文のあった品を各商店から集めてきて、事務員がその日の夕方までに客の自宅まで配達する。

 インターネットを使ったバーチャルモールや「電子ご用聞き」システムの実用化が検討されているが、この商店街が取り組んでいることは、FAXによる電子ご用聞きシステムだといえる。しかも、バーチャルモールの実験などと比べて、コンセプトも客層も非常に明確な、地に足のついた試みであり、今後高齢化の進展に伴ってこういう形での情報通信システムの利用のしかたがあることを示唆している点でも興味深い。

 ここではまた、高齢者でも安全に使える特典付きのICカードも導入し、電子マネーの先駆けのようなことも試みていて、これも人気を呼んでいる。

高齢者に意地悪な街?

 商店街の例を通して、ニュータウンという街を観察すると、この街がある限られたライフステージを前提にして設計されているように思えてくる。「世帯主が働き盛りの核家族向け」というコンセプトでつくられた街といってもいい。

 買い物は、車で行けるエリアの中から消費者が自由に選べるから、昔と比べて、消費者の選択の自由は格段に広がっている。車社会に対応できない商店は、競争に生き残っていけないし、数年前にオープンした大型店も、すぐに強力なライバルが登場する、激しい競争下にある。「車」を前提にする限り、消費者はまさに「王様」である。

 反面、車に乗れない人、体力が衰えてきている人にとっては、実に住みにくい街になってしまう。私の住んでいる高花地区でいえば、小学校区全体で商業施設が1ヶ所しかないから、場所によっては毎日の買い物にも相当の距離歩いて行かざるをえない。元気いっぱいの小学生ならどうということはない距離かもしれないが、高齢の女性が重そうな買い物袋を下げて、とぼとぼと歩いているのをみると同情してしまう。

 こうしたことが、これから社会全体が高齢化していった場合、どうなっていくのか。長期的にみると、ニュータウンの開発というのは、高度成長時代には最先端だったかもしれないが、今となっては時代遅れとなってしまったコンセプトのまま進められているのかもしれない。 

「千葉ニュータウン新聞」1999年9月15日号所載