[11]ホタルの里

 昭和の最後の年にニュータウン(印西市高花)に越してきた。

 当時は、毎年今ごろの季節になると、ご近所の人たちと
結縁寺前の沼にホタルの乱舞する様を見に行くのが慣わしだった。

 わが家から結縁寺までは歩いて五分程度の距離だが、バス通りを一歩越えると、ニュータウンとはまったく異なる風景が広がり、当時は夜ともなると本当に暗く寂しい道で、
懐中電灯なしには歩けないほどだった。われわれ一同は、道々怪談噺などをしながら、一種の肝試し的な気分で、ホタル見物とご近所同士の親密な交流を同時に楽しんでいた。

 闇夜のなか、黄色い光の筋を引きながら飛び交うホタルたちの動きは幻想的で、自分たちが移住してきた土地が、豊かな自然を満喫できる、素晴らしい環境であることが実感できるひとときであった。

 ところが次の年に行ってみたら、
ホタルは一匹も見られなくなっていた。理由は、沼のほとりに新しく設置された街灯らしい。

 それほど高輝度でもない、おそらく数十ワットの蛍光灯が地面を照らすだけの街灯だが、今まで懐中電灯片手でなければ足元がおぼつかないほどだった場所に、突如として設置された灯りは、ホタルというデリケートな生き物を追放するには十分な威力があったようだ。

 以来、この場所でホタルはみられなくなった。

 自然豊かなニュータウン周辺地区には、その気になればホタル見物ができる場所が、まだまだ多く存在すると思われる。

 それに、最近はホテルや結婚式場の庭などに、
人工的な水辺の空間を設け、そこにホタルを放して、来場者につかの間の「ホタルの里」を演出するビジネスもあるようだ。

 しかし――。

 
ホタルは、イキな生き物であるというのが、本稿で言いたい点である。農薬その他の有害物質はもちろんであるが、その他の人工的な環境、細工、気遣い等々もまた、イキなホタルからすれば耐えがたいものとなるようだ。今まで快適に飛び回っていた池のほとりに小さな蛍光灯が点灯しただけで、ホタルからすれば、人間による重大な裏切り行為なのである。

 だから、自分たちだけの「ホタルの里」を人に教えるのは考えた方がいい。ホタルが飛び交うスポットを聞いた人たちが、大勢押しかけるようになると、ホタルはびっくりして隠れてしまうかもしれない。なかには、ホタルの飛び交う光景をカメラにおさめようと、フラッシュをたく
ヤボテンもいるらしいから、言語同断である。

 イキなホタルは、こういうヤボテンが何よりも苦手なのである。

 ホテルなどの人工的な環境で「ホタルの里」を演出しようという試みも、ヤボといえば、まさしくヤボである。

 ホタルたちは、ヤボな人たちが待ち受ける、ヤボな空間にはこれからも決して姿を見せないだろう。

 ホタルは粋な生き物なのである。

 ホタルが出てきてくれるかどうかは、われわれの地域のイキ度(ヤボ度)を測るメルクマールなのかもしれない。

月刊 千葉ニュータウン2002年8月10日付所載