[16]イキな姐ちゃん立ちションベン

少年時代に目撃したこと
 ずっと潜在意識下に埋もれていた記憶が、何かのきっかけで鮮やかによみがえるばかりか、脈絡のない断片的だった記憶のなかのできごとが、新しい文脈につながれて、
意味をもった「事件」として脳のなかで再生されることがある。

 最近、
井上章一「パンツが見える。─羞恥心の現代史」(朝日選書)という本を読んでいて、そういう経験をした。

 本書は、三、四十年前まで日本の女性は腰巻きを着用、パンツとかズロースの類は身につけたことがなかったこと、
白木屋の火災などで羞恥心に目ざめた日本女性がその後急速にパンツ(ズロース)を穿くようになっていったという俗説は、話が逆で、パンツを穿くようになってから、羞恥心が強くなったことなど、「目から鱗」の新説とそのバックデータが豊富に登場する、たいへん知的刺激に満ちた書である。

 同書ではまた、腰巻きだけを着用していた女性たちが、戸外で気軽に小用を足し、時にそれは男と同じ
立ちション・スタイルで行われていたことを紹介する。

 この部分を読んでいて、私は突然思い出したのである。子どもの頃祖母に連れられて外出した、あの日の光景を。

 私の手を引いて道を歩いていた祖母は、私に少し待つように命じて、道路の真ん中に歩いて行き、そこでいきなり放尿したのである。道路が少し坂になっていて、祖母を見上げるような形でその光景を目撃したこと、また祖母も我慢していたおしっこを一気に迸らせたのだろう、何か
馬の放尿を見ているような気分で、とにかく迫力満点だった。

 さらに、私の潜在意識は怪しくうごめき、千葉ニュータウンに引っ越してきてからも女性の立ちションを目撃していた記憶が突然よみがえったのである。ニュータウン内のある超近代的なビルが建設途中の頃、工事に来ていたおばさんが、現場の片隅で用を足しているのを、またしても
私は目撃してしまったのだ。

 その記憶も、本書を読むまで潜在意識下に眠っていたが、突如として祖母の立ちションの光景とともに鮮やかによみがえり、
古来女性の立ちションはかなり普通に行われてきたこと、それも今から三、四十年前まで連綿として続けられてきた風習であること、そして私自身がそのような歴史の生き証人であったことを、この本を読んだことによって、理解したというか、覚醒したのである。

混浴が当たり前だった
 東北など地方の温泉のなかには、いまでも混浴のところがあるが、そもそも温泉とか公衆浴場というのは、
混浴こそが「業界標準」だった。温泉というのは湯治場、つまり一種の診療所であり、男だ、女だといって別々にする発想はもともとなかったようだ。

 ひなびた山里の温泉ばかりではない。街中の銭湯も、江戸時代は男女が分かれてはいなかったようだ。

 その後、銭湯などで男女が分かれるようになり、山里の温泉も都会から旅行者などが訪れるようになってから、徐々に男女別々になっていったというのが、だいたいの歴史のようである。
 △ △ △
 ある皇族が吉田茂元首相を評して「あの方は、生まれがあまりよろしくないようで・・・」と言った。理由を聞くと、「
お風呂に入る時に、前をお隠しになっていました」という。

 臣茂も、おのれのチン茂にはひそかにコンプレックスを抱いてたりして・・・。

 まあ、それはともかく、本当に高貴な方たちというのは、入浴の時も前をタオルで覆ったりはしないのだ。
誰にでもついているものを今更隠して何になる、ン?という、至極まっとうで合理的な開き直りの精神が、畏きあたりのスタンダードらしい。

日本人にとって「裸」が意味するもの
 サザエさんの漫画で、肌も露わな流行の服装で街を闊歩する若い女性を、家の前の縁台から眺めて「最近の女どもは、何てぇ格好だ」と嘆くおじさんが登場する。ところが、家の中から奥さんが「お前さん、これでも羽織ったら」と、半纏のようなものを差し出したおじさんの首から下をみると、越中ふんどし一枚でほとんど裸同然の姿、という落ちがつく。

 ミニスカートだの短パンだのが流行する以前から、
高温多湿の日本、夏などは実にあっさりした、簡単な服装で過ごしたのであろう。

 こんなふうにいろいろと事例を並べてみると、日本人にとって「裸」と羞恥心との関係は、一種独特のものだったことが推察される。そういえば、
相撲における「裸」も、羞恥心の対象どころか、神聖さ、フェアネスなどを表すと考えられる。

 横綱審議委員で作家の内舘牧子氏は、力士が土俵上で振る舞うすべての所作には宗教的な意味があるというテーマで卒論を書いたそうである。

 「裸」を直ちに野蛮、卑猥、羞恥といったものに結びつけようとする発想は、ごく最近でてきた、それこそ「
生まれのよろしくない」、どこか不健全な考え方なのかもしれない。

月刊 千葉ニュータウン(2003年4月12日付)所載